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小学校道徳

掲載日:平成25年5月31日

5年 いじめを許さない心を育てる

新潟県阿賀野市立水原小学校 土田 暢也

1 なぜ、悲劇は繰り返されるのか

 【イジメは自分をどん底まで沈める。誰だって自分を否定されるのは嫌だと思うし、つらく悲しいと思います。その人に対して、私はもう必要のない人間なのか、もう世界中誰一人と私をこれから必要としてくれないのか、考えてみたらとても胸が苦しくなります。】 <埼玉県中学2年女子生徒(自殺前日の作文抜粋)2004年>
 埼玉県で2004年に自殺した中学2年女子生徒(当時14歳)の自殺前日に学校に提出した作文が、2007年に両親の要望で教育委員会の公文書となり、情報公開の対象になった。その父親は、「学校でのいじめに悩んだ娘の叫びを多くの人に知ってほしい。」と話していた。両親の話によると、同級生にゴキブリと呼ばれたり、異性への好意を告白するゲームを強要されたりしていたと言う。女子生徒と両親の心の痛みや苦しみは、想像を絶する。
 いじめによる自殺が社会問題として大きく取り上げられたのは、1986年2月に東京都の中学男子生徒が遺書を残して尊い命を絶ったことである。「俺だって、まだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。もうバカなことをするのはやめてくれ」といった内容の遺書であった。しかし、その後も、いじめによる自殺は後を絶たなかった。
 1994年には愛知県西尾市の中学男子生徒、翌1995年には新潟県上越市の中学男子生徒が、いじめを苦に短い生涯を閉じた。人間にとって何ものにもかえがたい命をかけてまで、訴えたかったことは何であろうか。やり切れなさと悲しみだけが心に残る。そして、いじめを防ぐことができない学校教育の在り方そのものが問われ続けている。

2 子どもの実態とこれまでの課題

 今、子どもたちの心は、大人の常識や想像を超えた状況になっている。自分の言動が、相手にどのような感情を引き起こすかが理解できず、感情のままに振る舞う。「うざい」「きもい」「消えろ」「死ね」といった言葉によるいじめが、子どもたちの心を傷つけ、耐え難い屈辱、疎外感、恐怖心を与えている。また、人をランク付けするような社会の風潮が子ども社会にも広がっている。そして、狭い範囲での仲間意識と自分の居場所を確保することに必死になっている。さらに、階級社会のような少人数のグループ化が顕著になり、周囲の目を過剰に意識し、素直に自己表現することを避けるような傾向も見られる。また、メールなどによる見えない相手とのやりとりに明け暮れ、人とのかかわりがうまく保てない子どもも多い。さらに、実体験が不足し、体験から学ぶ様々な感動や成就感を味わう機会が少ない。そして、仮想と現実を区別する認知能力が欠如し、判断力が低下し、異常な問題行動に走る傾向も見られる。
 一方、学校では、人を侮辱するような言動を取る子、誰からも誘ってもらえない疎外傾向にある子などが確かに存在していた。その都度、周囲の子どもたちに働きかけはするものの、子どもたちの心に響かず、一人でいる子の寂しさ、誰からも誘ってもらえない子の切なさや心の痛みなどを感じ、勇気を出して優しく手を差しのべようとすることのできる心を育てる手立てが不足していた。人の心の痛みや切なさを感じ、自分の内面にある人間的な弱さを見つめ、それを克服し、優しくたくましく生きていこうとする態度を育てることができなかった。

3 いじめに立ち向かう力を育てる心の教育の必要性

 子どもたちの成長に大きな役割を担っている学校は、豊かな人間関係の中で、子どもたち一人一人が安心して個性や能力を発揮できる場所でなければならない。一人一人の存在が認められ、何でも言い合い、安心して自己表現のできる学校が、全ての子ども、保護者の願いである。そのためには、教師が鋭い人権感覚を身に付ける必要がある。そして、規範意識が低く、社会性の未熟な子どもたちに、様々な場面で、人をいじめたり差別をしたりすることの罪の重さ、相手の気持ちを考えて行動することの大切さなどについて考えさせる場が必要である。時間の経過と自然の成り行きに任せた形式的な言葉だけの指導を繰り返すことがあってはならない。
 学校では、様々な教育活動を実施している。それらの活動の中には、確かに「互いに尊重し合うこと」「人権意識を高めること」などを学習できる内容が存在している。しかし、それらの活動から学んだこと、感じたことを補充、深化、統合し、自分自身を見つめる道徳授業の工夫に弱さが見られる。「だれに対しても差別をすることや偏見をもつことなく、公正、公平に接すること。」「勇気を出して正義の実現に努めること」といった道徳的価値について、真正面から向き合う時間が必要である。そして、自分の行為の善し悪しを見極める力を小学校段階から身に付けていく必要がある。さらに、様々な学習での学びと自己を見つめる道徳授業を、意図的、計画的、長期的に関連付けて実践していかなければ、子どもの心の荒廃を打開していくことはできない。

4 実践の進め方

 いじめについて具体的にどのように対応したらよいかを考えられるような道徳授業を進める。さらに、道徳授業で学んだ実践力を発揮できるような教育活動(学級活動、学校行事等)を意図的、計画的に実施すれば、いじめに立ち向かう力を育てることができる。
<いじめに立ち向かう力とは>

いじめにあったら、一人で我慢していないで、誰かに事実を伝える勇気をもつこと。そして、いじめが人の心を傷つける卑劣で許されない行為であることを理解し解決の方法を考えること

←道徳授業(いじめに立ち向かう力に視点を当てた授業実践)

自分と他者との違いを互いに認め合おうとする態度を養うこと

←学級活動

  • ①グループエンカウンター
  • ②人が輝く言葉を伝えよう

やさしく接することを体感できる体験活動を実施すること

←学校行事等(異学年交流)

5 実践の成果

 周囲から孤立する傾向にあったN子は、5月に実施した実施した「いじめについて言いたいこと。」というアンケート調査で、「いじめは、多分なくならない。それは、いじめている人が、いじめられている人の気持ちをぜんぜん分かっていないから。」と記述している。しかし、2月に実施した同じアンケートには、「加害者になっている人は、被害者の苦しみをもっと想像しないといけない。それから、傍観者の人たちがもう少し勇気を出していじめについて伝えていかないと被害者がどんどん苦しくなっていく。」と記述した。被害者意識が強く、自分へのいじめを感情的に訴えていたN子は、道徳授業を丹念に進めていくにつれて、加害者の責任と罪の重さ、傍観者の責任と勇気の大切さ、被害者の心の痛みや適切な対応の仕方などについて、理解を深めていった。そして、徐々にいじめについて冷静に考えられる余裕が生まれてきた。また、周囲の人とのかかわりも、徐々に自然に接することができるようになっていった。また、N子に対する周囲の子どもたちの言動からも、無視をしたり差別をしたりせず、普通に接しようとする姿や進んでグループに誘うなどの姿が見られるようになっていった。また、学級活動でも、言葉によるいじめが、どれほど人を苦しめるかについて痛烈に批判する意見が出された。また、学級活動でのエンカウンターでは、自分や人のよさに目を向けるきっかけになったのが道徳授業であり、実施するたびに、明るい雰囲気が生まれた。そして、学級内でのからかい、冷やかし、差別的な言動が減少していった。
 いじめに立ち向かう心を育てるためには、このような実践を継続して取り組んでいく必要がある。