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with Sports 京谷和幸さん(車いすバスケットボール男子日本代表アシスタントコーチ)

(2019年12月20日更新)

with Sports

「スポーツと生きる人」から,スポーツの今とこれからを知る

京谷 和幸 さん
Jリーガー,そして車いすバスケットボール日本代表として活躍した京谷和幸さん。現在は指導者に転身し,企業などでの講演会活動にも力を入れている。ピッチやコートを降りてなお輝きを放つ京谷さんにとって,スポーツは人として成長させてくれるものだという。これまでの半生を振り返りつつ,京谷さんが感じる「スポーツのチカラ」について聞いた。【取材・文/荒木美晴】
京谷和幸さん

私たちが挫折や苦難を乗り越え,人として成長していくうえで必要なものはいったい何だろうか? 京谷さんの場合は,サッカー,そして車いすバスケットボールが,夢をつなぎ,未来を切り開いてくれたものだった。
小学校2年生でサッカーを始め,名門校卒業後にジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)と契約。1993年,Jリーグが開幕した半年後,結婚式の衣装合わせの日に交通事故で脊髄を損傷。車いす生活になった。希望を失った時期もあったが,その後出会った車いすバスケットボールに新たな夢を見いだし,日本代表入りを果たすと,4大会連続でパラリンピックに出場した。

現在は両競技の指導者として活動しているが,その決断は簡単なものではなかったそうだ。車いすバスケットボールの選手引退後はサッカー界に戻るつもりだった京谷さんは,2012年に日本サッカー協会C級コーチライセンスを取得。翌春には城西国際大学のコーチに就任し,忙しくも充実した日々を送っていた。
その年の9月,転機が訪れる。2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決まったのだ。車いすバスケットボール界から手伝ってほしいと声がかかったが,どちらかを選ぶことはできないと,すぐに答えが出せなかったという。そんなとき背中を押したのが,恩師や友人たちだった。「3人に同じことを言われたんです。サッカーと車いすバスケットボールの両方をやれるのは,あなたしかいないでしょうって。それを聞いて,両立の覚悟を決めました」

2015年から車いすバスケットボール男子日本代表のアシスタントコーチに加わった京谷さん。バスケの国際大会とサッカーのB級コーチライセンスの試験日程が重なり,帰宅するなりレポート作成に取り組むハードな時期もあったが,「どちらも中途半端にはしない」とやり切った。
東京2020パラリンピックでは,外国勢との体格差を速攻で補いゴール下を制する「トランジションバスケ」が日本代表の上位進出への鍵となる。これはもともと京谷さんがヘッドコーチ(HC)を務めるU-23日本代表で実践していた戦術で,日本の優位性を見いだしたA代表の及川晋平HCが取り入れた。「サッカーのライセンス取得のために必死で勉強したことが,今のバスケットボールの指導方法や練習の組み立てに役立っています」と京谷さんは笑顔を見せる。

サッカーから車いすバスケットボールへ。垣根を超えた「スポーツのチカラ」を,京谷さんはどう感じているのだろうか?「仲間や競い合うライバルの存在,挫折,支えてくれる人たちの大切さ……。大事なことは全てサッカーが教えてくれました。それは転向した車いすバスケットボールも同じでした。僕にとってスポーツは,“人間・京谷和幸”を作り上げてくれるものだった。もしスポーツがそばになかったら,今の自分はいないんです。だから,事故でサッカーができなくなってしまったけれど,不幸と捉えることはありません。それ以上に,大切なものに気づかせてくれたから」
現在の目標は,まずはパラリンピックで日本代表をメダル獲得へと導くこと。サッカーでは,Jリーガーや日本代表として活躍するような選手を育てること。また,今後は障がいのある子どもたちにさまざまなスポーツを体験してもらう「きっかけプロジェクト」にも注力するつもりだ。
そんな京谷さんに対して,教育関係での講演会では「元気が出る話を」というリクエストが多いそうだ。京谷さんは「教師って忙しいし大変な職業ですよね」と前置きしたうえで,現場の先生方にこんなメッセージを送ってくれた。「子どもたちに,夢や目標を持とうって話をするときに,“いいか,先生の夢はな……。”って胸を張って伝えてほしい。道徳の時間に僕らが呼ばれて話をするより,身近な先生が語ってくれたら,子どもたちは目を輝かせてくれるはずです。大丈夫,きっとできると思いますよ」


PROFILE ● きょうや かずゆき
北海道室蘭市出身。1991年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)とプロ契約。1993年に交通事故により車いす生活に。車いすバスケットボールの強豪・千葉ホークスで活躍し,パラリンピック日本代表に選出された。現役引退後は指導者として活動するほか,城西国際大学サッカー部外部コーチを務める。2016年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンス取得。