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with Sports 井上康生さん(柔道男子日本代表監督 東海大学体育学部武道学科教授)

(2020年6月17日更新)

with Sports

「スポーツと生きる人」から,スポーツの今とこれからを知る

井上 康生 さん
日本発祥のスポーツである柔道。井上康生さんは男子日本代表監督に就任後,理知的な指導と数々の改革に取り組み,ニッポン柔道をV字回復させた。同時に競技発展を願い,学校での柔道指導などにも力を入れる。そんな井上さんに,指導をする上で日ごろから大事にしていることや,自身の経験を踏まえた指導者の在り方について,話を聞いた。【取材・文/荒木美晴】
井上康生さん

4年前のリオデジャネイロオリンピック大会で,金メダル2個を含む7階級すべてでメダルを獲得した柔道男子日本代表。最高峰の舞台で選手が見せた強さ,そして凛とした姿は,私たちの心に深く刻まれた。
井上さんは技術の強化だけではなく,柔道への“情熱”,困難に立ち向かう柔軟な“思考力”,仲間や相手を敬う“誠意”を持つ大切さを,選手に説いてきた。
『熱意・創意・人間力』は,井上さん自身が錬成を積む中で学んだこと。「社会で生きていく上でも必要な能力だと思っています。そして,それを磨くことができるのが,スポーツというもの。柔道でも野球でもテニスでも,なんでもいい。スポーツを通して,一人の人間として,自分で未来を切り開く力をつけてほしい」。とりわけ,子どもに伝えたいメッセージだ。

5歳から柔道を始めた井上さん。柔道家として成長する過程で,大いに影響を受けた人がいるという。「まずは両親。父が師匠でもある柔道一家に育ちました。のびのびと楽しく柔道を教わる一方で,父は特に礼節に厳しく,稽古の最後に礼をせず帰ろうものなら,こてんぱんに怒られました。母は,私に逃げ道を作ってくれるような存在で,二人の両輪があってこその私だと思います。また,進学先の東海大学には山下泰裕先生がおられました。自分もこうなりたいという目標が身近にあったからこそ,今の自分が確立されたのだと感じています」
競技人生の節目でどんな指導を受けるか,そしてどんなロールモデルに出会うか。それが選手にとってどれだけ大切かを誰より知っているからこそ,地域のクラブチームや学校の部活動の指導法にも注視しているそうだ。
大人に教えるよりも,はるかに難しいとされる子どもたちへのスポーツ指導。いくら一流の技を教えても,導入の部分で「楽しい」という感情がそがれれば,そこから前に進むのが難しくなるかもしれない。現場の指導者を悩ます課題の一つだ。

井上さんによると,参加者が120人を超えるというある道場は,礼儀作法を教えつつ,4~5歳児には道場内を走らせたり,畳の上で転がらせたりして,純粋に体を動かす楽しさを感じてもらうところから始める工夫をしているそうだ。そうすることで,結果的に子どもたちの能力を引き上げることができるのだという。「現場の先生は苦労しながらも愛情を持って大切に育てておられるのがわかります。でも,ボランティアで教えている方が少なくありません。柔道界の未来のために,もっと指導者自身が生きがいややりがいを持って取り組める世の中を作っていかないといけないと感じています」
もちろん,楽しいだけでは強くなれない。“我慢”や“悔しさ”を経験することも成長に不可欠だ。「想定外のことや理不尽な出来事に遭遇することもある。そうした壁に子どもたち自身が苦しまないように,根性論や精神論も絶対に必要だと私は思っています。彼らがタフに生きていけるよう導くことも,我々の使命ではないでしょうか」
それは日本代表の世界でも同じで,最新のトレーニング場,管理された食事,稽古の質を上げる練習相手を用意するなどの万全の環境を整えているが,その“当たり前”に慣れてしまったせいで,失われるものもあるのだという。特にオリンピックはその最たるもので,日の丸をつけた選手ですら,華々しい舞台の裏でこれまで感じたことのないプレッシャーから全く力が出せずに終わることも多いのだとか。そのため,合宿等ではあえて非効率かつ非科学的な環境を作り出し,普段と違う状況をどう乗り越えるか,選手の対応力を見極めているそうだ。
昔も今も情熱を注ぐ柔の道。井上さんはその背中で,今後も教え子たちを引っ張っていく。

井上康生さん


PROFILE ● いのうえ こうせい
1978年生まれ,宮崎県出身。東海大学体育学部武道学科卒業,同大学院体育学研究科修士課程修了。日本を代表する柔道家で,切れ味鋭い内股を武器に世界選手権100kg級で3連覇。シドニーオリンピック大会では金メダルを獲得した。2008年に第一線を退き,2年間の英国留学を経て,2011年から全日本強化コーチ,2012年11月より全日本男子監督を務める(現在2期目)。