学研『教育ジャーナル』は、全国の学校・先生方にお届けしている情報誌(無料)です。
Web版は、毎月2回本誌から記事をピックアップして公開しています。本誌には、更に多様な記事を掲載しています。
教育ジャーナル Vol.17-1
がんばれ! 公立校!!
「個別」ではなく「個別最適」と「協働」。
そこには教師の確かな指導性が求められる。
がんばれ! 公立校!!
「個別」ではなく「個別最適」と「協働」。
そこには教師の確かな指導性が求められる。
田村学教授インタビュー
渡辺 研 教育ジャーナリスト
アクティブ・ラーニングが学校教育界に登場して以来、全国各地の教育委員会主催研修会や学校の研究発表会、大きなホールや学校の体育館や教室、近年はオンラインでも、田村学教授(國學院大學)は授業づくりの話をしてこられた。
加えて、著作物やこのようなインタビュー記事。日本中の教師が、すでに何度か話を聞いたり、読んだりする機会があったはずだ。
さすがにもう、例えば深い学びがどんなイメージなのか、評価はどうなのか理解しておられることだろう。
今回は、その再点検・再確認のようなお話を伺った。
◆授業改善
期待する学びの姿を描く
── 公開授業や取材で見るかぎりでは、授業改善は順調に進んでいるように思います。田村先生からもそのように伺いました。ただ、構想されたように実現できている“先頭集団”と比べると、まだ十分ではない学校もあると思います。“主体・対話・深い”の意味や、授業を変えなければならない理由は、どの先生も理解していることと思います。それでもうまく授業づくりができていない先生方に、「こうやってみたら?」というお話から聞かせてください。
田村 コロナ禍でも着実に授業改善を進めた学校がある一方で、残念ながらコロナ対応等に追われてしまった学校があったのは事実でしょう。学校や教師個人に授業改善の意識がやや低いという事情もあるのかもしれません。
授業を変えましょう、チョーク&トークの授業からの転換を図りましょうというとき、一番わかりやすいのは、子どもたちの意見交換やディスカッション、学び合いの場面を入れていくことでした。授業中のペアトークだとかグループワークだとか全体の話し合いを導入する。これが授業改善の突破口としてはよかった。
── 公開授業などで授業中、頻繁に児童生徒の声が聞こえてくる授業は新鮮でした。
田村 もちろん、自由にしゃべらせているだけでは学びの質が上がらないので、話し合いのところに思考ツールを入れるとか、話し合いの後に文字言語で丁寧に振り返るとか、そういうことで学びの質を担保しておくことで、学力も保障されます。
この辺りはわかりやすいですが、このくらいはほとんどの学校や授業で実行されているのではないかと思います。
── さすがにもうチョーク&トークではないと理解されて、対話的、協働的な学びの要素は入れられているようですね。この大転換を図った先生方はすごいと思います。でも、改善が進んでいる授業でも、自分の考えを正確に伝える表現力まで含めて、対話の質の問題はあるように思います。
田村 その問題を解決するには、子どもたちが意見交換するとき、そこにどういう学びの姿を期待しているのかというイメージを、教師がもっていないといけない。また、そこでの学びをより確かなものにするには、リフレクションが有効なので、書くことによる自己内省も大事になります。
ただ、同時にICTの話が入ってきているので、ICTの活用による個別最適のような話が、授業改善に絡んできていることが気になります。
◆ICTとのコラボ
ICTを活用した協働的な学び
── 学習指導要領が全面実施というときに令和の日本型学校教育が出され、コロナでGIGAスクール構想が前倒しになり、学校教育にはどれも重要な課題が同時進行になってしまいました。現場は混乱しますね。
田村 対話やディスカッションを目指していたところに、PCを使わせなければいけないという事情が入ってきたので、目指す姿が分散させられる感じがあるのではないですかね。
── タブレットを使うと子どもたちが無言になるという現象もあるそうです。
田村 ICT活用の必要性は誰もが認めていることです。調査、まとめ、プレゼンなどさまざまな場面で間違いなく有効なツールです。そこで、授業の対話のシーンにICTをうまく位置づけることができれば、授業改善が目指している方向とデジタルとがコラボされて、より目指す方向に向かう可能性があります。
一方で、対話の場面にどのようにしてICTを活用すればよいかわからないとか、子どもがそれぞれ画面に集中すると相手の顔も見ないし、全然しゃべらなくなるとか、確かにあるようです。同じ思考ツールを使っても、紙と鉛筆なら会話が促進されていたのに、PC上だと急に無口になるとか。1台をグループのみんなで見るような方法も考えられますが、画面が小さいので、それも難しいとの声も聞きます。
(田村先生から、ある小学校の授業での実例が紹介された。一般的にグループ対話では、机を4つくっつけて、子どもたちそれぞれが自分の手元近くにタブレットを置くので子どもの視線は下を向く。その授業では、4台のタブレットを手元から少し離して中央に集め、メンバーの視線が少し上を向くようにする。そうすることで、タブレットを見ながらでも相手の顔が見えて、会話も進む。)
田村 こうするだけでだいぶ違います。少し工夫すればICTを活用した協働的な学びを進めていける可能性も広がってきます。
── アナログかデジタルかの二者択一ではなく、こうなった以上、積極的に共存を工夫していくしかないですね。
田村 PCやタブレットそのものにさまざまな機能が入っているので、それらを活用しながら工夫はしていけると思います。私たちが目指すのは、子どもたちがPCに向かっているだけではなくて、PCを使いながら思考し、やりとりしている姿なのですよ。先生方にはそのイメージをもった上で、「個別」だけではなく協働的な学びができる使い方を工夫していただきたいです。だいぶ状況はよくなっていると思いますよ。
◆教師像の変化
一人ひとりの子どもを見取る
── 授業改善という新しい考え方に加えて、ICTが入ってくると、授業のやり方を変えるだけでなく、子どもたちにとって自分はどういう存在であるのか、教師像を見つめ直してみる必要があるような気もします。
田村 なんでも教えればいいという話ではなくて、子どもがどんどん選択して学びに向かえるようになることが大事です。そのためにいかに状況を整えるか、そういう力が求められると思いますね。それには、期待する学びの姿がイメージできていないといけない。
昔は、一方的に教えていればよかった時代もありましたので、子どもたちの学びの姿をそんなにイメージすることもありませんでした。でもこれからは、子どもがこういう情報にアクセスして、困ったらこういう人に相談して、問題が起きたらこんなふうに解決していくというイメージをもって、状況を整えていく。そして、その状況が一人ひとりの子どもの学びを確かに実現しているのかどうかを判断する。そういうことがきわめて重要になってきます。
── イメージして実際を見取る。
田村 子ども自身が学ぶわけですから、子どもがどう学んでいるかを、よりよく見取れることが大事です。
── 田村先生は、協議会などで具体的な子どもの姿を例に挙げて話をされますが、その具体例を実践して、教室でグループ対話を学んでいる子どもたちの姿を見ていると、「そんな見方や返しがあるのか」と思うようなことを言っていて、楽しくなります。
田村 一人ひとりの子どもに目を向けると、彩り豊かというか、実に多彩な会話がなされているわけです。そこが捉えられるようにならないと子どもの姿を見取れない。それが捉えられると、子どもが自分から学んでいこうとする姿に、教師は素直に共感できるんですよ。「おっ、いいねぇ!」「なるほど!」「そこ、こうしてみたら?」と思わず声も出る。その共感からは、子どもが自ら学び、立ち上がろうとすることを支えようとする姿勢が生まれてくる。それがまた、子どもの学びを促進する。
その意味では、教師の役割はシフトしていくと思います。
── 子どもたちの変化や成長を目の当たりにできるわけですから、教師という仕事がさらにおもしろくなるでしょうね。
◆全体交流/個別と協働
考えをシェアして終わりでなく
── 対話的な学びや学び合いは実行されているとして、でも、その後の全体交流にあまり時間をかけない授業が多いような気がしています。グループの部分で話が弾んで、残り時間が足りなくなるといったこともあるようです。
田村 全体での話し合いも行ったほうがいいですね。グループ対話で終わり、グループごとに発表して終わりではなく、全体でグレードアップすることも必要です。
個別最適と協働的と言っているように、個別で行う習得や個別の課題による探究も、異なる考えの他者や力を合わせる仲間のいる協働がいいと言っているわけだし、だからこそ学校が大事だと言っているわけですからね。ICTを工夫して活用することでグループによる学びを豊かにしていくとともに、グループの後の全体の学びの質も上げたいですね。
── グループだと話しやすいし発言もたくさんできて、子どもたちは楽しいと思います。「相手の話をちゃんと聞く」という受容的な態度も徹底されているようです。でも、数人による意見の交流なので、多様な考えを求めるのなら、やはり全体交流が欠かせないと思います。
田村 グループで出された考え方や新たなデータをもとにして全体でまた話し合いをしていく。そういうシーンがあることで、個々の意見を全体でまとめて、最後にまた自分で分析することをしていけば質も上がります。
ICTによって、グループや個々の考えを全体で一度にシェアできるようになったために、シェアして終わりみたいな感じがあります。コメントや振り返りも同じように全員のものを手元で見ることができる。それ自体は悪くないけど、その次のひと工夫がほしい。シェアした情報にはどのような傾向が出ているのかを可視化し、意見交換する。そこから学びが深まっていくのではないでしょうか。
個別最適な学びは、ずいぶん意識されているのですが、「個別」ばかりが強調されている感じがあるのです。個別が強調されると、バラバラで始まってバラバラで終わる。学校でなくてもできるだろうという話になってしまいます。
── それこそコロナの自宅学習とICT環境の整備が、そこに拍車をかけたような。
田村 だから、個別最適な学びと協働的な学びなのです。個別は多様、多様を生かすのが協働です。単一な学習なら協働はしなくてもいいってことになる。異なるからこそ、それを協働で生かす。違いがたくさんあるから気づくとか、異なるところがあるから新しい知恵が生まれてくる、新しい発見がある。協働で学ぶことで、個別でやっていることの価値がより見いだせるわけです。
── そう解釈すればいいんですか。ちょっと全体交流に戻すと、全体交流が協働的な学びに当たるのですね。
田村 そうすると子どもたちも、仲間がいるといいと思うし、それぞれが違う学習をしているからこそ得られるものがあるんだと理解もできる。
── 個々の力量をアップした上で、それを集約して新たなものを創造していく。想像すると、なんだかいいですね。
◆個別最適な学び
学びの状況が整っているか
── やはりお話に個別最適が登場しました。“先頭集団”の学校では、すでにマイプラン学習(単元内自由進度学習)などに挑戦する先生もおられます。
田村先生は先ほど「個別が強調されている」とおっしゃいました。それは大変気になります。
田村「個別」が強くイメージされてしまい、子どもたちが別々の学習をやっていることが優れていて、みんなで一緒に学ぶことが古くて間違っているような認識がありはしないかと心配しています。
優先すべきは、一人ひとりにとって「最適」な学びが実現されているかどうかです。
子どもたち一人ひとりが自分で学習に向かうような場面では、例えば、自分で何を学びたいとか、どんなふうに学びたいかが選択できます。“自分で選べる”ことは、主体性や、自ら学ぼうとすることを促進してくれるので、子どもにはいいことだと思います。
── 実際に中学生からもそう聞きました。
田村 そのときに、自分が本当に適切なものを選ぼうとしたのか、選べる状況が整っているのかが大事だし、選んだ結果、本当にそれが自分の学びになったのかが重要です。個別に学ぶことが本当に質の高い学びになるような状況が整っているかどうか、そこが一つのポイントです。
── 今になってハッとしました。個別はあれこれ工夫できても、一人ひとりの子どもに何が最適かなど、簡単に判断できることではありませんね。まして現状では、子どもたちが自分にとって最適なものを本当に選べるかも疑問ですね。
田村 先に、状況が整っているかどうかという話を続けます。
状況というのは、興味・関心もあるし、認知特性もあるし、学習方略もあるし、習熟度もあるし、そういったものは子どもたち個々に違うのですが、それぞれの子どもにとってふさわしい学びが生まれる状況が整っているかどうか。
もう一つは、そこで学ぶ子どもたちが本当に欲しい情報に手間をかけず、ダイレクトにたどりつける状況が整っているかどうか。ICTの環境が整ってその可能性は高くなったのでチャンスではあります。しかし、ICTを活用すればなんでもスムーズにいくかといえば、そう簡単ではないと思います。今まで以上に丁寧な状況設定が必要でしょう。
──「ICTを活用すれば個別の学びが可能」と短絡的に考えがちですね。(*)
*令和の日本型学校教育(R3)「個別最適な学び」→GIGAスクール構想の実現による新たなICT環境の活用、少人数によるきめ細かな細かな指導体制の整備を進め、「個に応じた指導」を充実していくことが重要。
田村 状況を整えることが一番丁寧に行われているのが幼児教育だと考えます。幼児が真剣に夢中になって遊んでいる場面は、発達の特性とか興味・関心に合わせて場や材料、道具が用意されています。一人ひとりの子どもが質の高い学びに向かえる環境構成をしているのです。
── 状況や環境が整っているからこそ、子どもたちが夢中になれるのですね。
個別を最適化していくために
田村 ただ、個別に学ぶのであれば、その前段階(以下、ビフォーのB)と後段階(以下、アフターのA)をちゃんと考えなければならないでしょう。個別の学びがクローズアップされていますが、むしろBとAの充実にも意識を向けていただきたい。
個別の学習に取り組む前には、おそらくなんらかの一斉の学習場面が生まれるはずです。Bで押さえなければならないのは、「なんのために学ぶのか」という「目的」、「何を学ぶのか」という「対象」、そして「どのように学ぶのか」という「方法」や「プロセス」。この3つが子どもたちの中に腑に落ちて、自覚されていないと、個別の学びが有効にならないでしょう。
「このために、このことを、こんなふうに学ぼうとしている」ということが、子どもたちに見えてくれば、個別の学習も動き出す。Bの段階でいかに見通しが確かになるかが大事になります。
見通しを簡単に言えば、プロセスとゴールです。「どんなふうにやっていけばいいのか」「どこにたどりつけばいいのか」。ここが明確であると個別の学習が最適化する可能性が高まるのではないでしょうか。
── ICTのおかげで情報を得る状況は格段に整いましたし、使いこなす点では小学生でさえ教師以上かもしれません。ただ、本当に必要な情報を得ているのか、子どもたちにはその判断は難しいし、「目的」や「プロセス」があやふやなら、情報を山ほど見つけてきただけで、そもそも学びとして成立しない恐れもありますね。
田村 一人1台の端末で、すべての子どもが大量の情報を瞬時にアクセスできる。これまでのやり方だと、先生が用意した3枚のプリントしかなかった。可能性が広がっているのは好ましいことです。それは悪くないですが、ICTの扱いや情報選択等のスキルや能力の差を踏まえつつ、誰もが最適になる状況を整えることを大切にしたい。そしてBの「なんのために勉強しているのか、どのようにやればいいのか」も心がけておかないと、迷路にはまってしまうのではないかと気になります。
── 過去の例からいっても、極端にどっちかに振れる心配もあります。
田村 子どもが自分で学んでいくので、教師はあまり指導しなくていいとか、放任でいいのだという勘違いをしたくないですね。これまで同様、教師の適切な指導が必要だし、個別の学習の場面でも間接的な指導が必要です。そうやって状況を整えるのだと考えたいものです。BやAは直接的な指導になりますが、ここで何が担保されていると個別の学習が充実するか、最適化するかを考えなければいけないのでしょうね。
自分の学習を見つめ直す
── 自由に学んだからといって、深い学びになるわけではないですね。全体交流の話と重なると思いますが、学びを深めるという視点で、Aについてお聞かせください。
田村 子どもたちがそれぞれ学んだことや得た情報を、なんらかの形で精緻化して、つなげていく場面を意図的に設定することが大事だと思います。
一番わかりやすいのは、基本的にはアウトプットして活用するんですけど、その場合、文字言語にする。デジタルでもアナログでもいいのですが、ちゃんと書くことで学んで得た知識を精緻化して構造化する場面をつくっていくことが重要です。
── 物を書く仕事をしていますが、書いてまとめていると、自分が何をわかっていて、何をまだわかっていないのかが、本当によくわかります。
田村 大事なことは、学習のリフレクションは、子ども自身が自分の学習を見つめ直すことになります。この自己査察がきわめて重要な学びの手応えをつかむことになるではないかと思います。
──「主体的に」とか「能動的に」といった学ぶ姿勢は、そういうところから始まるものだと思います。
田村 自分の成長を実感するとか、友達とともに学んできたことの意味を感じるとか、得られる手応えが次の学びを促進することになるので、そういったことを自覚し、意識することが、個別最適な学びの質を上げていくのではないかと考えています。
── なんかいいですね、そういう子どもたちの姿というのは。
◆学習者を育てる
教師がより確かな指導性を発揮
── 今、伺った話と重なるのですが、昨年から気になっていたことを伺います。“先頭集団”の中学校で授業改善は進んでいるのですが、それでも生徒は「先生が教えてくれる授業」と受身的に捉えているようなのです。グループ対話などを取り入れても、生徒にとっては、教師が主導していることに変わりないのかもしれない。それで、教師は、児童生徒を「学習者」として育てる意識を、もっと明確にもたなければならないのではないかと思ってきました。その点、いかがでしょうか。
田村 最終的には、子どもたちは自立しなければならないわけですから、そのためには、常に選択権が子ども自身にあるという話になると思うんですね。教師が選択し、指示するのではなくて、子どもが選択して学んでいくということなので、そう考えると、個別最適な学びの中には子どもを学習者として育てる可能性がある。自分が学びたい学習内容を、自分でやりたい学習方法で学ぶことなどが生まれやすくなるわけですからね。選択権があると楽しく学べるし、学習が自らのものになっていくチャンスだと思います。その意味では、そのこと自体は大事だと思いますが。
── 無条件でOKではないですね。
田村 教育課程全体でいうと、そのボリュームを増やす必要はあると思います。繰り返しになりますが、だからといって、教師が指導したり指示したりすることがゼロになるということではない。
教科によっては、単元によっては、教師の指導性があったほうがいい場面もあるでしょう。子どもを前面に出して自分で選択させる場面が増えたとしても、両者の二項対立ではない。子どもたちが自分で選択するとか、学習に対して自分の意志をもてる状況をつくっていくことは重要です。その場面や機会を増やしつつ、それが本当に有効に実現できるような教師の適切な指導が必要だと思いますよ。
── やはり教師には、先ほどのお話のBやAが大事ですね。
田村 この課題は0か1かのように議論されることが多いのですが、「子どもに任せる」というと、言葉を変えると、丸投げとか放任とか……。
丸投げされた子どもたちが本当に適切な判断や選択ができるかといえば、それは怪しい。放任されるから結果的には自立的になると思いたい気持ちはわかりますが、途中で迷路にはまってしまうことが頻繁に起きそうです。
そこに教師がより確かな指導性を発揮する。結局、行きつくところはそこなんです。子どもが学習者として自立することは重要だから学習の選択権はある程度委ねるけど、それは何もしないということではありません。そのことは、生活科と総合的な学習の時間で、私たちがずっと学んできたことなんです。
総合的な学習の時間では、子どもの興味・関心が最優先で、教師は何もしてはいけないというイメージが、創設当初はありました。だけど、教師の指導性と子どもの主体性は二項対立ではなく、むしろ相乗効果なのです。子どもの興味・関心を確かな学びに高めていくには、より質の高い指導性が必要なのだと確信しました。
── そういう途中経過があってこそ、高校生が学習者としてかなり自立して、今、探究で力を発揮できているのでしょうね。この課題を解決するのに教師はこんなアプローチを示唆した、それを実行しながら子どもたちはしだいに学び方を身につけ、やがて自立する。そんな感じかなと思いました。
ありがとうございました。