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教育ジャーナル Vol.13-1

特別座談会 社会に開かれた学び 第1回

SDGs×学校教育
後編 今後の可能性

特別座談会 社会に開かれた学び 第1回

SDGs×学校教育
後編 今後の可能性

 特別座談会「社会に開かれた学び」第1回のテーマは『SDGs ×学校教育』。
 前編では学校教育とSDGsの現状と課題について、実際に現場に立つ先生方と専門家の方からお話を伺いました。
 今回は、SDGs関連教育を通して起こった子供たちの変化や、実践の中で感じる改善点、教科書に求めることなど、学校教育の可能性を展望とともに語っていただきました。

■庄子寛之先生
(東京都調布市立多摩川小学校指導教諭)

■山室美也子先生
(神奈川県川崎市立麻生小学校総括教諭)

■木村大輔氏
(一般社団法人グローバル教育推進プロジェクト“GiFT” 理事)

※所属、肩書は座談会開催時のものです。

子供たちから学ぶSDGs

――前編のお話から子供たちのSDGsに対する理解がだいぶ深まっているように感じました。保護者についてはどうですか?

庄子 新型コロナウイルスの感染拡大により、学校と家庭のつながりが薄くなった気がします。保護者との面談はオンライン上で行い、授業参観が中止になったので、保護者はどんな方なのか、どのような家庭なのかがわかりづらくなりました。
 私はもともと学級経営において、保護者との連携を積極的にとるように心掛けています。それでも、昨年度は年に1度しか顔を合わせなかったケースもあり、悩ましい時期を過ごしました。より意識して保護者とのネットワークを築くために、学級通信などを活用しています。
 学級通信などで、子供たちのSDGsに関する学びに触れた親世代の人たちは、「なぜ、今までSDGsに反した、持続不可能なやり方をしてきたのか?」ということを考え始めたと見受けられます。経済成長を重視して、豊かになることを目指し、使い捨てが便利だと思い、エネルギーの使い方をしっかり考えていなかったと……。
 SDGsを通して、これからの社会と未来について子供たちのほうがしっかり考えていることに親たちは気づかされたようです。
 一方で、子供は「自分たちはやっているけど、親たちはどうなの?」という疑問をもつこともあるようです。
 例えば、私も子供と買い物に行って商品を選ぶとき、つい消費期限が遅いほうを選ぶと、「消費期限が早いほうを選ぶんだよ」と子供に教えられる(笑)。こうした小さな行動がSDGsにつながることを、子供たちから学んでいます。日常生活の身近なところから意識をもって行動している、と感心させられました。
 このように、学校教育だけでなく、知識から生活で生きる知恵へと広がっていくことが大切だと思います。

山室 私の学校では特別活動の研究を通して子供たちが学んだことを、家庭で1~2週間実践し、結果を発表する授業を行っています。例えば睡眠。高学年の子供たちは睡眠時間が短いので、健康と睡眠時間の関係を学び、自分の睡眠時間の目標を設定して実践します。
 ほかに、防災教育もあります。いざというときの待ち合わせ場所や災害グッズの用意、避難経路、避難時の連絡手段などを家族と共有しているかについてのアンケートを実施し、それぞれの家庭で取り組んでもらいます。
 このような特別活動の中で、「家で取り組んでいるSDGs」について調べたのですが、私の想像以上に、まじめに取り組んでいる家庭が多いと感じました。主に、エコやリサイクルなどを通して保護者がSDGsに関心をもち、意識して取り組んでいる様子が見えました。

木村 家庭に参加してもらう学びの活動は、家庭環境が多様化する中で、状況によっては保護者からクレームがくることもあり、積極的に行われにくいケースもあります。先生方の取組は学校教育の可能性を考えながら実践へつなげていてすばらしいです。
 子供への豊かな学びを実現するために保護者をどう巻き込むかというのは重要な課題です。勉強として取り組むよりも、日常生活の中でできることはなんだろうと、家族ぐるみで意識することでまずは十分だと思います。子供たちが、それぞれの家庭で実践していることを共有し合えば、さらに広がります。この気づきを、学校の行事などで活用してほしいと思います。
 SDGsについて、大人の理解度は地域差がありますが、おしなべて約3割の人が関心をもっていて、残りの人は、言葉は聞いたことがあるが実践まではよくわからないという状況のようです。
 子供たちは未来を創るアクターだといわれていますが、親世代の人たちは、今すでにアクターであるということへの認識がまだ足りていません。社会を作る一員として参画する意識をどう広げていけばよいのか、ということが課題になります。
 その際、一人一人が考えて判断し、具体的な行動に変えていく、アクションを起こす機会を作ることが重要です。ですから、学校教育から保護者が子供たちと一緒に考え、動く機会を作っていくことは、社会全体に向けた重要な働き掛けです。小さなことからでよいので、ぜひ、いろいろなことにチャレンジしてほしいです。

SDGsで実現する 子供たちの主体的な学び

――SDGs関連の学習を通して見えてきた子供たちの変化や、実施へのハードルについて教えてください。

庄子 子供たちは、このままでは地球の存続が危ういということに気づいています。2030年までの目標達成のために、何かできることはないかと考えています。子供たちから刺激を受けた保護者も、関心をもち始めています。
 しかし、何をすればいいのかわからないという現状があります。具体的なアクションへのハードルが高いのはなぜかと考えたとき、学校教育が変わらなければならない点があるように思います。それは、総合的な学習が柔軟に実施できるようになっているにもかかわらず、教員たちはカリキュラムありきで授業を行ってしまっているという点です。その背景には新しいことにチャレンジしにくい環境があります。
 例えば、私の学校の近くに多摩川が流れているのですが、子供たちが「河原のゴミを拾いたい」と申し出ても、実施のためには管理職の承認が必要で、校外活動実施の届けを出さなければなりません。ほかの行事のスケジュールや各学年との調整も必要です。かといって、クラスや学校全体で行わずに申し出たグループだけに許可を出すことも難しい、などです。
 ただゴミ拾いに行くだけなのに、簡単に実施することができないのが実情です。ボランティア活動で多少なりともお金を得ると、そのお金をどうするのか? という問題が発生しますし、活動内容がよくても次年度以降も継続するのは難しい。シンプルな活動だとしても、実施のためのハードルは思いのほか高いので、教員は日常業務に追われる中で、そのハードルを乗り越えるだけの手間と時間とエネルギーを注げるかというと、現実的には厳しいものがあります。
 その結果、調べ学習と発表で終わらせてしまうことになると、せっかく行動変容のきっかけになる機会があるのに、その芽を摘んでしまうようでとても悔しく感じます。教員が挑戦しやすい文化へと変わってほしい。
 もちろん、安全の確保が第一ですし、許可は必要ですが、公教育の在り方についての問題として、子供のチャレンジに対して教師が応援できる環境を築いていくことを、もっと検討してほしいと思います。
 私たち教員は、全ての授業を教科書どおり行わなければいけないという定型の概念を、変えてもよいのではないでしょうか。教科書は教科書として適材適所で使うべきで、指導書どおりにきっちり授業を行うと、教員や学校独自で行う活動や授業のための時間が足りなくなります。
 子供たちに読む力、書く力、考える力をつけたいとなると、学習指導要領を踏まえた上で、子供たちが今、興味や関心があることに対して臨機応変に授業を行ってもよいのでないかと。SDGsでいえば、子供たちが自主的に行いたいと言っていることに対して、寛容にOKを出せる環境を作ることが大事だと思います。

自ら課題を見つける大切さ

山室 私の学校では、従来の教員が子供たち全員に向かって課題を出してきたことから、「あなたは何をしたいの?」という問いから始まる課題へとシフトしています。そのため、学年総合から学級総合へ移行していて、最終的には個人総合を目指しています。
 ただし、ここで一つ問題があります。学級総合の場合はクラスごとにかかる費用が違ってしまうという点です。ですから、子供たちの、いろいろなことに挑戦したいという思い全てに対応するとなると、渉外や費用など実現のために難しいことが多々あると感じます。さらに、クラス単位となると教員の力量や学習の度合いが関わってくるので、その差をどのように埋めていくかが課題になります。
 庄子先生がおっしゃるように、私も体験学習ができないということは、子供たちの想像力を大きく奪っているように思います。
 ところで、国語の教科書に重松清さんの『カレーライス』という物語があります。思春期真最中の子供と保護者との葛藤を描いていて、ひと昔前の6年生であれば、登場人物の心情について熱く語ることができました。
 ところが今の6年生の様子を見ると、物語の中に出てくる「親との会話がほとんどない」という状況と同じような子が少なくなっていて、「親と仲よしだから、よくわからない」という子供たちが増えました。
 ここ10年、私は高学年を担任していますが、この物語について熱く語り合うことができなくなっていると感じています。
「これはなぜだろう?」と考えたとき、経験、体験の不足が見えてきます。特に人間関係における経験。人とぶつかり、喧々諤々することによって、苦しい中から生まれる心情や気づき、学びがあるのですが、子供たちを見ていると、ぶつかること自体なくなっています。
 以前なら、教師は子供の喧嘩の仲裁に入ることが日常茶飯事でしたが、今はほとんどありません。子供たちは友達とぶつかるのが怖いので、相手の意見を飲んでしまいます。理由を聞くと、けんかしたときに自分が傷つくリスクよりも我慢するほうがよいというのです。失敗を恐れてやらないほうを選択する。子供が、自分の心と体をたくさん使って経験する過程で培う想像力はあるのですが、それらが不足しているように感じます。
 これは、勉強にも通じていて、学習がなかなか深まりません。覚えることが中心の問題は机上の学びですむのでよくできますが、答えを導くまでの過程を考えたり、解決したりする方法を見いだす活動は至難しています。
 私は、豊富な体験活動ができるよういろいろな経験をさせて、自己実現ができたという経験によって自信をもった子供を育てていきたいと思っています。何かをするとき、「どうせダメなんだ」「無理だよね」という諦めから始まらないことによって、子供たちが未来への可能性や期待をもてるようになります。自分の未来への期待が、そのまま社会へ、SDGsへとつながっていくと思うのです。自分がやってみたいことに挑んでやり遂げたときの達成感、失敗から学び、更なる挑戦へつなぐ、そんな経験をいろいろな教科で提供したいです。
 子供たちにとって、SDGsは課題として非常に身近で、入りやすいものです。小さなところから参加できるので、できた自分をちゃんと褒めて、自信をもってもらいたいと思います。
 子供たちの変化については、行動によって自分に自信ができたという声が増えたことは喜ばしいことです。卒業文集の中で、SDGsへの取り組みについて書いた子供が多く見受けられました。
 例えば、食育について学ぶ機会があるのですが、給食をよく残していた子が、SDGsでの学びから完食できるようになり、自分に自信がついたという話がありました。
 振り返りを書く際も、他教科との関連性をもたせて書く子供が増えていて、物事を多角的に捉える学びが広がっているように感じています。

木村 子供たちの自信のなさの原因の一つに考えられるのが、ダニング=クルーガー効果です。これは、能力の低い人は自分の能力を過大評価しやすい、という説です。
 山室先生の学校は、平均よりも学力が高い子供が多いようなので、逆に冷静に周りが見えていることが、自信のなさの一因になっていることも考えられます。
 経験の絶対値は、自信にあまり関係ないかもしれませんが、経験の絶対数は人の行動基準に大きく影響すると思います。先生方の体験学習への考え方や、子供の主体性を重視する学びへの取組は豊かな学びへと具体的につながっています。

社会の変化に応じて求められる学校教育の変化

――SDGs関連学習について、教科書に求めることも踏まえて、お話しを聞かせてください。

木村 教科書は先生方が使われるので、授業のしやすさや使いやすさも求められると思いますが、実際のところはどのような点を重視して教科書を選んでいるのか聞いてみたいところです。
 実際に使用している先生方は、どう感じられていますか?

庄子 教科書は年々、教員にとって使いやすくなっていると思います。教員が多忙であることへの配慮だと思うのですが、私は、もう少し漠然とした部分があっていいと思っています。問いのきっかけになるものをたくさん与えたほうがいいのですが、答えが少ないものにまで問いを限定してしまっています。
 こうなると、子供たちを一定のレールに乗せてはいないか? との疑問が湧いてきます。
 決まりきった問いと答えに終始してしまうと、子供たちは賢いですから、考えを深めていくより、「先生が求めている答えはこれだ」「こう答えてほしいんだ」ということを意識した解答をしてしまう恐れがあります。その意味で、もっと柔軟な教科書が望ましいと思いますが、現実的には、多忙な教員のため、そして、教員の度量による差が生まれにくく、授業しやすい教科書が選ばれています。ただ、これが本当によい教育に結びついているのか、となると一考の余地があると思います。
 子供が、保護者が、社会が変わる前に、教員が変わらなければいけないと思います。世界や社会の動きや文化の変化などに関心をもたず、目を向けることのない人物が指導する立場にあれば、子供の視野も広がっていかないだろうと思います。だからこそ、教材研究では、教科書を読むだけでなく、内容について深く掘り下げたいと思います。
 例えば、先ほど山室先生がお話しされた重松清さんの『カレーライス』という教材を扱うとしたら、重松清さんはどのような人か、どのような思いでこの作品を書いたのか、重松さんのほかの作品を読んでみるなど、教師本人が多面的・多角的に物事を捉えようとするアクションを起こしてみることが大切だと思います。

山室 私はもともと指導書にある問いはあまり使わないのですが、新人の先生にとって優しい教科書というニーズはあると思います。
 例えば、国語の指導書では、授業展開のメインの流し方が掲載されていて、隅にB案、C案が載っています。そうではなく、様々な展開案が並列に載っていて、教材研究をしながら、自分のクラスの状況や様子を考慮して、適切な案を選べるとよいと思います。
 様々な案をもとにクラスに合わせてリメイクできると、子供たちの状況に合わせた柔軟な授業が展開でき、経験の浅い先生方でも、自分のオリジナルの授業が実現しやすいと思います。
 評価研修などで20代の先生方を指導することがあるのですが、子供たちの「なぜ?」「どうして?」という疑問を大切にし、思考を巡らせていく機会を作り、様々なアプローチがあることに気づかせることが、教員の役目だと伝えています。教科書どおりではなく、子供の思考力を養うためのアイテムとして教科書を使い、授業を行うことが指導力の向上につながると考えています。
 とはいえ、新人時代から高度な技術を身につける必要はなく、初めは指導書に頼るのは当たり前ですし、試行錯誤をしながらブラッシュアップしていければよいのです。そのために、先生方が挑戦する意欲をもち、失敗を重ねながら成長することに前向きになれる環境を作りたいです。

木村 先生方がおっしゃるように、教師も子供たちも、答えの導き方は一つではなく、あらゆるアプローチの方法があることが許容される指導、教科書であることが望ましいです。子供たちの多様な学びのために、先生方にも多様な指導方法があるはずです。その中で、最低限達成すべき目標が指導書にあればよくて、アプローチ方法は先生が選んでいいのではないでしょうか。とはいえ、教科書が変われば授業が変わるのですから、教科書は重要な部分を担っていると思います。

山室 2年前に教科書が変わり、ある教科が教えづらくなったという声を聞くようになりました。教師が自分で考えた課題を投げかけたくても、決められた授業展開以外がしづらいのです。本来、子供たちと課題づくりから始めたいのですが、教科書では唐突に課題が提示されています。経験豊富な教員であれば、オリジナルにカスタマイズできますが、教科書どおりの指導をしようとすると「なぜ、この課題が突然出てくるのか?」という疑問をもってしまいます。これまではピンとこなかったのですが、木村さんがおっしゃる「教科書によって授業が変わり、それによって子供たちも変化してしまう」ということを実感しています。

木村 授業のしやすさだけでなく、教師の授業力が培われるような教科書や指導書があってもよいのではないでしょうか。最短ルートで答えを出せることがよいのではありません。
 現代はデジタル化により、検索をすればすぐに答えが見つかるというように、社会全体としても安易に答えを求めがちになっていないでしょうか。
 一方で、社会で求められる人材は検索サイトを必要とする人たちではなく、検索サイトからどう発展させ、何が妥当かを考えられる人たちです。
 ですから、答えへの最短ルートではなく、答えを導くために多面的・多角的に思考できる力を養う教科書が、教師にとっても子供たちにとっても必要ではないでしょうか。

視野を世界に広げ、未来へ意識を向けること

――そう考えるとSDGsは答えのない問いに向き合うよい機会になりますね。総括として『SDGs×学校教育』の今後の展望について、ご意見をお聞かせください。

庄子 授業の質を決めるのは基本的に教員にあると思うのですが、教員は社会人としての経験が限定的で、さらに、業務に追われて仕事以外の経験が積みにくいという実情に問題があるのではないかと感じています。世の中の変化が激しく、従来どおりのやり方では通用しなくなっているところで、学校という枠から出て学ぶ経験が得られずに、教科書からしか学ぶことができないという点はとても不安です。
 教科書は教材の制作から検定、採択を経て現場で使われるようになるまで、3年以上かかります。つまり、新しい教科書が出ても、載っている情報はもう古いのです。学習指導要領はさらに新しく変わっていくことが予想されるのに、教員が古い情報の中からしか学べないとなると、社会との差がどんどん広がってしまいます。
 ですから、教員は学校内に留まらずに世界全体へ視野を向けて社会を知っていかなくてはなりません。真面目で時間を守り、平和を重んじる日本人の国民性は長所だと思いますが、少子高齢化が加速し人口減少が想定される中で、世界に引けを取らない新しい産業を生み出す人材を育てていく必要があり、学校教育の質を高めることが一層求められています。そのために、答えのない問いに対して寛容であってほしいですし、数値で見えないものへの取組を増やしていきたいのですが、マニュアルどおりでないことや、答えがないことに対して不安に思う人たちがたくさんいます。ですから、ある程度経験を積んだ教員が、新しい取組の実績を出し、「挑戦していい」という気風へと変えていく必要があります。
 SDGsでいえば、発表で終わらせず、具体的な行動や取組が評価されている事例を共有し、まねをしたり、状況に合わせてカスタマイズするヒントにしたりすれば、教員の学びにも生かされます。情報共有はとても大事です。

山室 先ほど、自分に自信がない子供が多くなったと話しましたが、若い先生方も実はあまり自信がありません。私が新人の頃は、指導担当の先生に何度も崖から落とされ、そこから這い上がる過程で自信をつけていく経験をしましたが、今は「まずは這い上がり方を教えてください。それなら登れます」と、とにかく失敗を怖がるのです。
 自信は、経験を積みながら身につけていくものだと思います。経験量を増やすことは、同時に失敗もたくさん経験するわけで、失敗から立ち上がったときに自信もついていきます。まずは、失敗を恐れずにたくさんの挑戦をしてほしいのですが、そのためには、信頼できる人たちが周りにいる環境があることが大切で、信頼関係を築くにはコミュニケーションが重要です。
 失敗を恐れると人とぶつかり合うことがないので、一見、平和に見えますが、実際は希薄な関係性となり、信頼関係が生まれにくい。若者の人間関係の希薄化は、デジタル化が進んだことにも一因があると思っています。直接、顔を合わせたコミュニケーションが不足してしまうと、結果として失敗できる環境も減るので、さらに自信がない人が増える恐れがあるわけです。私はこれを解消できる教育の在り方を考えていきたいと思います。
 とはいえ、技術の活用は不可欠ですから、ICTの利点を考慮しながら子供の成長の妨げにならない方法を見いだしていかなければなりません。教室に子供がそろっているのに、端末を使って会話するような授業はいりません。端末の利点を生かした授業のために、活用方法を考えていくことが必要だと感じています。

――先生方、貴重なご意見をありがとうございました。木村さん、今回の座談会の総括をお願いします。

木村 SDGsに関心がない人はいますが、関係のない人はいません。このことを先生も保護者も子供たちも共通認識としてもちたいです。山室先生がお話しされたことはとても重要で、心理的安全性が担保されていなければチャレンジできないという人間の心理状態があります。そのために、先生方にとっては職員室でこの心理的安全性が担保されていることが重要です。
 これはクラス運営も同様で、担うのは担任の先生になります。今、世界で何が起きるかわからないということを私たちは実感していますが、未来が読めないのに、何かを指導することは難しい。ですから、これまでの指導に対する概念を一度、見直す必要があると思います。“指導”から“一緒に学び合う”という意識に変えていくことが、教師や子供たちの行動変容につながると思います。
 教師の能力開発については、世界共通の施策として挙げられていて、どのようにESD(※1)が進んでいくのか、モニタリングしながら先生の能力向上を目指しています。そして、これからの10年は地域レベルでの取組を深めていこうというローカルな話が大切だと考えられています。SDGs達成後の社会になったときに、世界全体の在り方はもちろんですが、地域と世界が往還していくパートナーシップの在り方が大切だからです。
 SDGsが、掲げられてからもう7年たちますが、世界では、人権侵害や分断、戦争など、まだまだSDGsとかけ離れた現実があちこちで起きています。学びのハードルは下げていいのですが、喫緊な問題は山積しています。そこを忘れてはいけません。先進国といわれている国に生まれ、平和な社会の中で生活できている私たちが、「今、何ができるのか?」という問いを深めていかなくてはなりません。
 社会情勢によってリアルな活動が制限されるのであれば、ICTを活用した疑似体験ができるので、積極的に活用したいものです。常に地球規模での関連性をもって、子供たちが主軸となる学びが展開され、実社会に対して発表や実践ができることが目指されるべきで、“指導からの脱却”はこれから重要なテーマになっていくと思います。
 SDGs自体もこれまでに変革があり、以前、MDGs(※2)といわれていたときは、国がアクターであると考えられてきましたが、SDGsに変わったとき「私たち市民や企業が関わります」ということになって広がっていきました。SDGsは、あと8年でゴールとなります。その後、アクターは変わりませんが、私たちが理解している『開発』に対する認識が変わってくると思われます。
「未来のことはわからない」と逃げることはできません。人口動態などのように、ほぼ確実に予測できることがたくさんあるので、それらに対して、未来がどうなるのかという意識をもって、シミュレーションしながら学びを作っていくことがとても大事です。

※1 ESD(Education for Sustainable Development)持続可能な開発のための教育
※2 MDGs(Millennium Development Goals)ミレニアム開発目標

進行・文/岡本侑子