学研 学校教育ネット

教育ジャーナル

バックナンバー

学研『教育ジャーナル』は、全国の学校・先生方にお届けしている情報誌(無料)です。
Web版は、毎月2回本誌から記事をピックアップして公開しています。本誌には、更に多様な記事を掲載しています。

教育ジャーナル Vol.13-3

“学校の当たり前”は、本当にかえられないものなのか
~中学校の学年担任制/グループ学級担任制~ 前編

長野県上田市立第四中学校が実施する学年担任制

“学校の当たり前”は、本当にかえられないものなのか
~中学校の学年担任制/グループ学級担任制~ 前編

教育ジャーナリスト 渡辺 研

これまでずっとそうしてきたから……という学校の当たり前が見直されようとしている。
典型例は授業改善。そこにコロナ禍が追い打ちをかけた。
これまでどおりの活動ができなくなったが、それは必ずしもマイナスばかりに作用したわけではなく、「こうしてきたけど、こうかえてみてはどうだろう?」という視点を学校にもたらした。
小学校の教科担任制導入に続いて、中学校でも、学級経営は学級担任が1人で責任をもつという、当たり前のスタイルにも変化が訪れている。
中学校の学級担任制に見られる新しい発想と実践を2例、紹介する。

長野県上田市立第四中学校が実施する学年担任制

生徒の主体性を育みたい

 学年担任制の発端は、数年前、大きな話題になった千代田区立麹町中学校の斬新な取組にある。取組の中には「東京都千代田区」という土地柄の学校だから可能だろうというものもあるが、学年担任制は共感する校長先生によって自校なりにアレンジしたものが各地で導入されている(岐阜市や長野市などにも事例がある)。
「他校の優れた(あるいは共感できる)取組に学ぶ(まねる)」――“学校の当たり前(学校の常識)”にとらわれず、学校をよりよく変えていけるシンプルかつ重要な姿勢だ。
 上田市立第四中学校(以下、四中)の場合は、単に形を導入しただけではない。宮澤好一校長の生徒たちや教職員への思いを実現するためにふさわしい形として、ほかの活動とともに取り入れられた。
 はじめに、学年担任制導入の要因となる全体の経緯も聞いていただきたい。
 宮澤校長の前任校は長野県信濃町立信濃小中学校。県内最初の義務教育学校で、2016年4月から初代校長として3年間、小中一貫の系統だった教育課程づくりや教職員の意識改革に取り組んでこられた。前年踏襲がまったく通用しない仕事だった。
 19年4月に四中に赴任。上田市出身の宮澤校長には“里帰り”になった。
「四中は、昔は“生徒指導的に有名な学校”で、異動が決まったときは“ワッ!”と思ったのですが、来てみて驚きました」
 かつての“やんちゃ”だった面影はまったくなく、学校はとても落ち着いていた。管理職としては好ましいことではあったのだが、どこか物足りなくもあった。
 教職員と面談をすると、共通して「決まった課題にはしっかり取り組むが、内容を自分で考え、自ら学ぼうとする意欲が弱い」「教師から指示されたことには一生懸命に取り組むが、自分で活動を工夫して動く姿が少ない」という生徒像が語られた。
「四中にかぎらないのですが、学校の荒れを防ぐために、生徒の安全安心を最優先して、教師主導で“いいものはいい、だめなものはだめ”といって学校や学級をつくりあげてきた歴史がありました。その弊害なのか、生徒たちは“いい子”なのですが、自ら判断して取り組む力が弱い。それで、その年からすぐに学校改革に取り組みました」
 目標は「生徒の主体性を育む教育の確立」。そのことと学年担任制(=学級担任を固定しない)との関係を、少しの間、考えておいていただきたい。

まず3つの「学びの改革」に着手

 宮澤校長は「言われたことをきちんとこなす生徒よりも、何もないところから自分で考えて判断し、行動できる中学生になってほしい。ゼロから1を生み出す主体性を育む教育をしたいと、さまざまな改革に取り組んできました」とおっしゃる。
「主体性を育む」を含むさらに大きな学校経営のテーマが、「四中プライド~主人公として生きる」。生徒たちに望む姿がなんとなくイメージできる。
 その具体的な取組が「単元テストの導入(中間テストの廃止)」。さらに「四中アカデミー」及び「四中クリエイティブタイム」の創設(この3つが「学びの改革」)。
 まず、中間テスト廃止・単元テスト導入。
 テストが近づくと部活動を休止して、生徒はテスト勉強をする。これが中学校の当たり前の光景。
「それこそ、まさに“やらされている学習”で、生徒に“テストがあるから勉強しよう”という意識をもたせてきたのです。そうではなくて、“自分の学びのために学習を振り返るのがテストだ”という意識をもたせるために、単元テスト(単元が終わるごとに実施)を導入しました」
 原則として毎週水曜日の放課後と金曜日の朝に20分間ずつ、1回につき1教科(=週2教科)のテストを実施。また、一度受けた単元テストに再チャレンジして「できなかった内容を復習したことで、できるようになった」と生徒が実感できるようにチャレンジテストも実施している。
 今年度の単元テストやチャレンジテストの様子が四中のホームページにある「四中学びの改革」にアップされている(タブレット端末を活用して授業時間に実施した教科もある)。1年生には初テストで、少し緊張していたようだ。生徒自身が学習の成果を実感することで学ぶ喜びを味わい、それこそ学びに向かう力が育っていくのだろう。

生徒が主体的に使う時間

 その先を見据えて機会を設けたのが、四中アカデミー(AC)と四中クリエイティブタイム(CT)だ。
「生徒一人一人、学びが違うし課題も違います。そこに対応できるように、地域の企業人や大学生などを講師とした四中アカデミーを毎週水曜日に行っています」
 “毎週水曜日”が四中の大きな特色だ。水曜日(通年)は「4時間授業+給食+短学活+ノー部活デー」として、5時間目に当たる時間が「生徒自身で活動内容を決めて取り組む時間(単元テストや生徒会・集会なども含む)」、その後の1時間(15時半~16時半)に自主学習の場としてACを開設している。まさに生徒が主体的に活用する時間だ。
 ACでは学年ごとに外部のボランティア講師(大学生、地域の教職経験者、公民館・企業の人たち等)の指導・支援で、生徒相互で学び合ったり、講師に質問したりして「自ら設定した課題の解決に向けて主体的に学ぶ」機会にしている(参加は任意。生徒が主体的に決定する)。
 ACの時間(場合により“5時間目”も)は、教職員は教材研究や事務処理にあてる。ささやかだが“ゆとりの時間”になる。
 CTは、その名称どおり、生徒が“主体的に、何もないところ(ゼロ)から何か(ワン)を生み出す時間(=01チャレンジ)”(活動を創り出す)だ。水曜日の午後、月に1、2回、1回について50~100分間をあてる。各学年、30代前半の若手教師が企画・運営をサポートする。
 これも今年度の最初の時間の様子がホームページに載っている。今年度は「自分がやりたいこと」+「誰かをハッピーにさせる」をテーマに、ジャンルごとに学年を超えてグループを組み、活動を創出する。
 コロナ禍で活動に制限がかかり、生徒たち自身の自粛もあって、生徒からあまり独創的な発想が生まれてきていないことが、宮澤校長はやや不満そうだった。
「新しいレシピ、池の水を抜きたい、昼寝、かんけり大会……。まあ、ここがスタートなのだと思います」
 伺うと、宮澤校長のほうがはるかに大胆な活動を想定していた。ただ、ここで選択肢を例示したのではゼロからの始まりにはならない(今年度のテーマは発想のヒント)。いじめ撲滅や地域連携など、中学生のいろいろな主体的活動をみても、発想は意外に“常識的”だ。その意味では安心して任せていれば、やがて生徒は「ここまでやっても大丈夫なのだ」と判断して、責任をもって活動できるようになっていくのだろう。

担任依存になりにくい形に

 単元テスト、AC、CTに続いて、四中では21年度から学年担任制を導入した。「主体性を育てる」という流れに沿うと、学年担任制はどういう役割を担うのか。
 中学校では日々、教科を担当する教師がかわるがわる教室に入る。学級担任による授業がない日もある。生徒は複数の教師とかかわりをもつことになり、小学校に見られる“学級王国化”はしないのだが、それでも学級担任の存在感は大きく、生徒にとって“自分のクラスの先生”はあくまで学級担任であり、学級のことは学級担任が責任をもつ。という理解でいいのだろうか……。
 その学級経営を学年の教師たちで担おうというのが、四中が導入した学年担任制だ。
 では、日本の学校では当たり前の固定担任制(以下、こう表現する)だと、なぜ生徒たちに主体性が育たないのか。宮澤校長はこうおっしゃる。
「教師には“自分がクラスをつくりあげる”という意識があります。かつては私自身がそうでした。“クラスマッチでも合唱でも、絶対にほかのクラスには負けたくない”と。そうすると“みんな、ついてこい”といった教師主導のクラスづくりになる。例えば、いじめ防止では、教師が生徒にアンケートを書かせ、話し合わせる。そこには生徒の主体性が育つきっかけがほとんどないのです」
 担任のカラーが濃いので、生徒や保護者には“担任の当たり外れ”という意識が生じていた。視点をかえれば、生徒たちのほうも学級という集団づくりは、ともすれば学級担任に依存してきたのだろう。
「学級担任には、自分がクラスをつくり、卒業式で生徒と一緒に泣き、『先生のクラスでよかった』と言われたい、そういう思いが強い。一方、生徒には自分たちがいいクラスにした、クラスの問題を自分たちで解決したという実感がもてているのか。本来、クラスは生徒がつくるものであり、それをサポートするのが教師の役割なのだと考えました」
 そこで導入したのが、学級担任を固定しない学年担任制だ。
 注目は、生徒主体の学級経営になるよう教師の意識改革を図ろうとしたのではなく、先に、担任依存になりにくい形にかえたことだ。これだけ長く続く学校文化だ。教師の意識はおいそれとはかわらない。でも、形をかえてしまえば、意識は少し遅れてついてくる。
「他校の優れた取組に学べばいい」と書いたが、ただ形だけまねるのではなく「そうか、このことを実現するためにこのやり方が使える」という過程が不可欠だ。

学年に適した形で実施

 四中の学年担任制の基本形は、次のように設計されている。
 今年度の四中の学級数と学年団は1年生5学級9名、2年生6学級11名、3年生5学級9名、特別支援4学級。各学級にはそれぞれ生徒や保護者の最初の相談窓口となる担当者がいて、これを“主担当”と呼ぶ。各学年には学年主任、副主任に加えて学年コーディネーターを置き、学年担任制の円滑な運営などを担う(担当の割り振りなどを考える)。
 極めておおまかにいえば、当初は主担当が学級に入り(固定学級担任制の形態)、学年ごとに機をみて(遅くともGW明けから)、各主担当以外の学年の教師も加えてローテーションが始まる。なお、年度当初でも学年団の教師は適宜、どこかの学級の学活や給食に入って生徒たちに接する。
(取材は4月だったので、以下、取組の具体は21年度の実践例をもとに説明する)
 基本的には1週間交替(1週間、同じ先生が担任して、学級担当を務める)でローテーションするが、生徒の様子を見ながら、学年ごとに最適だと考える期間を設定する。
 1年生の場合は、“2週間ローテーションして1週間主担当に戻る”形式にした。また、帰りの学活は主担当が行う。当初の予定(1週間ローテーション)から変更されたのだが、生徒や保護者のほうに戸惑いがあったようだ。生徒が不安定になる夏休み明けから初めての文化祭(セルリアン祭、9月)までは、主担当が主になって学級担任を務めた。
 2年生の場合は、5学級・8名(21年度1学期)で、基本形のように8名で1週間のローテーション。学年団はほぼ“もちあがり”なので、生徒と教師間の関係もできており、“よく知らない先生が今週は学級担当になった”といった戸惑いはなかった。
 実施するうちにいろいろな課題がみえてきて、2学期は修正を加えた。教科の授業をしない学級では生徒理解が難しいなどの事情を踏まえて、教師1名が主に3学級を担当するよう5パターンのローテーションをつくって実施した。単純に考えれば、主担当の5名も5週間のうちの2週間は、朝の会や帰りの会など、学級担当を外れることになる。これは、“働き方改革”にも反映されそうだ。 

▲1名3クラス担当制5パターンのイメージ(2学期は9名)

 2年生も学期の初めと終わり、セルリアン祭、保護者懇談会時に主担当がそれぞれの学級に入った。
 3年生の場合は、5月20日~6月23日(21年度)まで1週間のローテーションで実施。以降は、修学旅行準備・進路指導などのため、主担当を学級に戻した。
 学年の事情や生徒の実態によって変更や修正が加えられている。学年担任制を何がなんでも維持することが目的ではないので、時期によって主担当を固定することが生徒にとってプラスであるのならそう選択する。
「最上位の目標は、生徒が自分たちでクラスをつくりあげることです。生徒たちがいろんな先生方の価値観にふれることができて、課題に主体的に取り組むことができる。その目標に向かっていけるのであれば、やり方は学年に任せています。教師が主体的にならないと、生徒の主体性は育ちませんからね」
 価値観といっても日常的には、I先生の的確な言葉がけや、一度も褒められたことがない生徒がK先生に褒められたとか、L先生とは波長が合って私的なことを相談できたとか、そういうことの積み重ねが重要だ。
 実施初年度であっても、2年生の例のように課題は直ちに修正してきた。
「見切り発車的なところはあります。よりよくしていくにはどうすればいいか、やってみながら考えています」
 学校は、見切り発車や試行錯誤は得意ではないが、とにかくやってみなければどんな改善も改革も一歩も先へ進まない。

可能なことは学年で統一

 2年生を例に、実施に当たっての工夫やメリット、デメリットを挙げておく。昨年度実践の振り返り資料を参考にする。
 学年担任制で最も気にかかるのは、教師によって学級経営のやり方や生徒とのかかわり方が大きく食い違うことだ。その点はどのように工夫されたのか。
〇短学活の内容、給食など、学年統一とした。クラス掲示も全クラスほぼ統一した。
 可能なことはユニバーサルデザイン(UD)化する。学級の個性を出すなら、主担当ではなく生徒たちの考えを反映させてカラーを出せばいいのだろう。
〇生徒一人一人のカルテ(ファイル)を学年室に用意し、気づいたことは記入できるようにした。
 カルテ記入は十分に機能しなかったようだが、ファイルを電子化するなど今年度は改善されている。また、月・木(単元テストのない日)の帰りの学活後に、学年打ち合わせの時間を設定した。加えて、立ち話程度のちょっとした連携も重要だ。
「“先週、生徒をこういうことで指導したので、できるようになっていたら褒めてあげてください”とか。生徒の悩みや人間関係など繊細な問題は、対応を誤ることがないようにしなければなりません」
 2学期に修正を加えて以降、教師はこんなメリットを実感していた(抜粋)。
〇多くの目で生徒一人一人を見ることができた。
〇生徒が主体的に自分たちのクラスをよりよくしようと意識づけすることができた。
〇学年の業務についてフラットに負担を割り振れる素地ができた。
〇「学年でやろう」という意識が高まった気がする(担任の色が出すぎない)。他クラスの生徒指導に入りやすかった。
〇生徒の観点からみれば、多くの先生とかかわれたこと(相談窓口が増えた。かかわりやすい教師を見つけられる)。教員の観点からみると、クラスに入らないときは時間的にも気分的にも休まった。

 生徒にとって相談窓口が増えることは、この仕組みでの固有のメリットだ。四中が目指すものはもっと先にある。

教師の意識がまだかわらない

「生徒の主体性を育てる」という目標に近づけたかどうか、今後の課題や改善点の中に気配を見ることができる。
〇生徒指導は結果的に主担当が当たることがほとんどなので、真に学年担任制となっているかは、まだ改善の余地があるかもしれない。
〇生徒の当事者意識をもっと高めたい。それには学年・学期スタートでもローテーションをどんどん回していくべきかもしれない。
〇他のクラスに入りながら結局は主担当をしているクラスに意識がいってしまう。また、他のクラスに入っていても、主担当の先生に頼ってしまう意識が強くなる。
〇相談を自らできないような内向的な生徒のちょっとした変化に気づきづらい。
〇特別支援学級の子の原級とのパイプが担任に頼ることが多かったので、主担当との距離がなかなか縮まらず、学活等への参加のハードルが高くなってしまっている。

 最後の項目こそ、生徒が主体性を発揮してほしい場面だ(生徒が迎えに行くなど)。
 宮澤校長はこんな課題を感じている。
「主担当と学年担当との意識の差が課題ですね。ローテーションで担任に入っても、主担当のカラーをかえてはいけないという意識があるのですよ。副担任のような意識がまだどこかにあって……」
 振り返り資料にもあった。長年の習慣で、無意識のうちに遠慮があるのだろうか。
「私自身も昔、学級経営に口出しされると“うるさいな”という意識がありました。生徒にはまったく関係のない教員の事情なのですが、その意識を払拭するのが課題です。副担任的な意識ではなく、教師のほうが主体的に生徒にかかわるようにならないと……」
 数年前まで四中の教師たちもそうやって学級経営を行ってきた。急に意識をかえることは難しいが、きっかけになってくれるのが生徒の姿、変容だろう。

気づいていたのならかえよう

 さて生徒の姿は、学校評価(21年10月)にこんな数値が出ている。回答は「そう思う」を肯定、「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」を肯定的と表記、数値は小数点以下を四捨五入する。
「先生は話を聞いたり、相談にのったりしてくれる」は肯定57%(肯定的85%)。
 一方、「学年担任制を通して、いろいろな先生と接したり、話したりする機会を増やすことができた」は肯定45%(肯定的76%)。「あまりそう思わない」が15%。
 生徒のほうも主担当を差しおいて、ほかの先生に話を聞いてもらうことにどこか遠慮があるのか、あるいは生徒たちなりの気配りなのかもしれない。それでも取組の初年度途中にもかかわらず、こんな実際の姿が見られる。
「例えば、同性の先生がいいとか、主担当ではない先生に相談する生徒は何人もいます。課題によってそれぞれ相談相手の先生を選んでいる生徒もいます。それは生徒の主体的な判断なので、生徒も教師もそれが当たり前になってほしいです」
 こんな話も付け加えられた。
「保護者面談でも保護者が担当を選べるのですが、圧倒的に主担当が多いです。保護者にはやはり“担任の先生”という意識が強い。主担当の出番が多かったとしても、“いろんな先生が我が子にかかわってくれている”という思いをもっていただきたいです。乗り越えなければならない既存の概念、これは大きな壁ですね」
 保護者のみならず、生徒にも教師にもまだ壁だ。
 でも、学校評価にはこんな数値もみえる。
「単元テストの方法を理解し、授業の復習を中心に学習に取り組んでいる」は肯定40%(肯定的80%)。単元テストやACの成果は、生徒自身が自身の学習を自分の手で調整していく姿に表れているそうだ。これは、まさしく主体的な学習の姿であり、学習指導要領が求めている学びの根本をなすものだといえる。
「CTに主体的にかかわることができた(21年度は生徒会、生徒集会など)」は肯定65%(肯定的91%)。「生徒会活動に積極的に取り組み、自分の役割や責任を果たしている」は肯定62%(肯定的94%)。
 先行した取組はすでに生徒たちに理解され、成果も表れてきている。
「教職員に『四中の教育の柱は何?』と聞くと、全員が『生徒に主体性を育む教育です』と答えると思います。学年担任制に取り組み、単元テストを導入し、ACやCTを設けた理由は生徒の主体性を育むためだと、新たに着任した職員も理解している。それは大きな成果だと思っています」
 主体性が育ったのかどうか、数値化など客観的な評価は難しいが、それは「このままではいけない」と課題解決に取り組んだ、宮澤校長をはじめ教師たちの実感を信頼したい。
「生徒がクラスをつくり、クラスの問題に気づく。それを教師に解決してもらうのではなく、自分たちで解決する。生徒が主体的に問題を捉えてこそ問題解決の力がつくし、自分たちで解決したのだという実感が“自分たちの人生は、自分たちの手で決めていく”という四中プライドを育てます。それが、卒業するときに“四中でよかった”と心から思える学校につながるのではないかと思います」
 宮澤校長の「その日、学年団の教師みんなで生徒と一緒に泣こう」というひと言がとても印象に残った。
「これが四中の生徒たちの課題だと、教職員は気づいていた。気づいていたのだけれど、そういうものだと思っていた。でも、気づいていたのなら、できるようにしましょうよと、取り組んできました」
 今までどおりのやり方では、課題はいつまでも解決できない。学年担任制はそういう視点でも見ていただきたい。
 そして今、授業改善に端を発した「このままではいけない。疑いもなく当たり前だと思ってきたことでもかえていかなければいけない」という機運が学校に広がりつつあるように思う。この機会を逃してはならない。

後編へ