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教育ジャーナル Vol.6-2

新学習指導要領での学び(2)

学習指導要領全面実施を目前に控えて、
中学校が確認しておくべきこと
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

【お詫びと訂正】
教育ジャーナルVol.6の第二特集「学習指導要領全面実施を目前に控えて、中学校が確認しておくべきこと」におきまして、取材先である國學院大學田村学教授からいただいたご校正内容が反映されておりませんでした。
誠に申し訳ございませんでした。
ご校正内容を反映させた記事を以下に掲載いたします。

新学習指導要領での学び(2)

 学習指導要領全面実施に向けて最後の詰めを行う予定だったこの1年間、中学校はずっとコロナに振り回され続けた。いまだコロナは収束の気配をみせない。でも時間は待ってくれない。生徒たちの成長を足踏みさせるわけにはいかない。授業改善やそのための校内研究、これまでやってきたことの精度を上げておきたい。どう調整していくのか。田村学教授(國學院大學)に伺っていく。

学習指導要領全面実施を目前に控えて、
中学校が確認しておくべきこと
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

渡辺 研 教育ジャーナリスト

授業改善/校内研究

 今回の改訂では、全面実施(令和4年度)まで時間があるにもかかわらず、高校の授業改善への動きが良いのだそうだ。
「高等学校の場合、今回の改訂は平成20年度改訂の積み残しがあったので、最初から『高校はどうする』という議論がありました。大学の入試改革も連動しており、高校の先生にはアクティブ・ラーニングのインパクトは強かったと思います。高校は今までになく動いています。小学校はいつも動きが早い。その意味からすると、部活動くらいしかトピックがなかった中学校には、ちょっと心配なところがありました」
 その上、コロナだ。それでも田村教授は、
「僕のところにも中学校からかなり声が掛かって、確実に動いていることは感じます」とおっしゃる。
 小学校から高校、大学へと続く授業改善の流れの中で、中学校は重要な位置にいる。

子供の変化を感じ取れると

編集部 アクティブ・ラーニング(以下、AL)は、中学校の教師にとっても、わくわくする授業スタイルではありませんか?
田村教授 今回やろうとしているALは、より深く理解するとか、より知識を活用できるようにするとか、教科の中でも探究的にしていこうということですから、高い専門性を持った中学校の教師には、魅力的で面白いはずです。専門性が高いということは圧倒的なストロングポイントになります。
 資質・能力という言葉は、“知識を軽視する”かのように受け取られることがありました。さすがに“知識を暗記しておこう”とは言いませんが、知識を獲得してその定着を図った上で、使えるようになることは、重要な要素であることに変わりはありません。ですから、これまでやってこられたことを大事にしながら、更なる発展をと考えていただくと、中学校の良さが出る。求められる授業改善は、これまでやってきたことの否定ではありません。それどころか、もっと充実させようとか、少し違う方向に持っていこうとか、そういうことです。
編集部 せっかく専門性があるのに、入試に備えて生徒の知識量を増やそうという授業だけでは、教師も生徒も物足りないと思います。知識を使ったり、深めることで疑問が解けたり、改善が進んだ学校の生徒たちはALを楽しんでいるように見えました。
田村教授 授業改善するには何が大事かというときに、まずはきっかけになるインパクトが少しあって、その後に手立てとしての方法論があって、最後は手応えとして子供たちの変化を感じられると、先生方は動くのではないですかという話をします。その手応えとしての生徒の姿、ゴールイメージが見えてくれば、動きますね。
編集部 数年来、田村先生は機会あるごとに「授業は子供の姿で見てください」とおっしゃって、ストーリーとともに子供の表情の変化を写真でお示しになる。リアルタイムの子供の変化は、授業者はなかなか気づけなくて、研究発表などの参観者のほうがよく見ている場合がありますね。
田村教授 例えば授業研究会のとき、中学校の先生は、授業者が教材をどう教えるかに目が向いているように思います。協議会でも教材をどう提示したとか、解釈したとか、教科内容をどんどん深掘りすることが多かった。それで結果的には他教科の人は参加できないというか、「自分たちは関係ないよ」みたいなことになっていたようです。
編集部 専門性が高いゆえに、いささかマニアックになってしまうのでしょうか。
田村教授 研究授業や授業研究会などは授業者の腕試しというか、授業者の力量をみんなで推し量る場になっていたところがあります。そうではなくて、子供たちにどんな学びがあったかをきちんと見取り、協議会で議論できるという、参観者の姿勢や力量が問われる場でなければなりません。
 今日はこの後、中学校の英語の授業研に行きます。僕には英語の教科内容の専門性はありません。でも一方で、子供たちの学びをどう理解して見取るかという専門性はあるわけです。それはどの教科の先生も同様で、子供たちの姿なら語ることができる。むしろ、自分の専門によって子供の見方がそれぞれ違うかもしれない。そういう視点が出れば出るほど、これまで個別の教科だけでやっていた議論よりも広がったり深まったりして、豊かさを生みます。

教科を越えて協議を

編集部 授業改善に不可欠かと思いますので、授業研究会について伺います。昨年の秋と冬に新潟市立白新中学校で授業を見せていただき、校内研のやり方なども聞いてきました。白新中では教科も学年も越えて、お互いに授業を見合って、学校全体で改善に取り組んでいました。
田村教授 僕がどの学校に行ってもそれなりに役に立っているとすれば、やはり原理原則は変わらないということでしょう。子供の学びにこそ本質があって、それを話題にしていけば、意味や価値がそこには生じるということだと思います。そうでないと、僕がそんなに呼ばれる必要はないのですが、そこでも生徒の話をすれば、皆さん「ああ、なるほど」と納得してくれます。
 生活科や総合は子供を中心に置くことを大事にしてきたし、子供がどう学んでいるかということから検証してきたので、そこの一点はおそらく本当の意味での本質なのではないかと思います。そういう変わらざるものが見えてくるということだと思います。
 資質・能力の育成ですからね。子供たちがどんなふうに変容していっているか、いかに見えにくいものを見取って、そこが語れるようになるか。思考力・判断力・表現力、学びに向かう力、人間性ってどれも見えにくいものですからね。見えにくいものが見えるような意交換や、議論ができることが大事だと思いますし、評価という話にもつながっていきます。
 子供たちの変容が見えるというのは、すごく楽しいことだと思いますよ。それができるようになれば、先生方は手応えを感じて、更にやる気が出てくる。
編集部 評価のお話は後でしっかりと伺います。皆さんプロの教師なのですから、それこそ授業者の声を聞きながら集中して生徒を見ていれば、生徒の変容は見取れるものだと思います。田村先生をお招きするような中学校では、そういう観点を持って授業研を行っているわけですよね。
田村教授 伺っている学校はどこもそうです。深い学びの研究をしましょうと、タテ(教科)・ヨコ(学年)をうまく組み合わせて、組織化してやっています。中学校では、教科部が教科ごとに教材を十分に研究することは大事ですが、同時に、教科部だけではなく学年とか、更に先生方をシャッフルしてチームを作っている学校もあります。それが良さを生み出しています。
 逆に言うと、中学校では教科はきちんと存立しているので、そこにALや主体的・対話的で深い学びというワードを出したときに、教科を越えた方法論みたいなものが共有されて、学校全体として進むことができる。授業を他の教科の人も見合うようになれば、進み方は速くなるのではないでしょうか。教師のストロングポイントと合わせてですけど。
編集部 学習指導要領の構成でいえば、「何を学ぶか」は十分に確立されているのだから、今は「どのように学ぶか」に集中しようということになりますか。
田村教授 教科らしさは存分に発揮しながらも、そこに方法として主体的はどうする、対話的はどうするといった話になります。途中でグループワークを入れようとか、どんなグループ分けがいいのかとか、グループワークのときの板書はどうかとか、そういう協議ができますから、それは教科を越えて広がっていきます。

学校教育の本丸は授業

編集部 進んだ取組をしている学校がある一方で、ほんの1年半くらい前のNITSカフェ(札幌)では「数学の授業研究会に英語の自分が参加しても、何も言えない」と発言された先生がいました。現実問題として、やはりそういう学校文化が根強いのでしょうか。教科や学年の壁が分厚いといいますか。
田村教授 中学校の教科担任には“タテ持ち・ヨコ持ち”という関係があります。(注=例えばヨコ持ちはA先生が1年生、B先生が2年生、C先生が3年生のZ教科の授業を担当する。タテ持ちはA先生が1年1組、2年1組、3年1組、B先生が1年2組、2年2組、3年2組、C先生が……のZ教科の授業を行う)
編集部 以前、福井県の学力の取材をしたことがあります。福井県はタテ持ちが当たり前で、それが中学校のあの高い学力の要因の一つだと分析されていました。他県にはあまりないそうですね。
田村教授 タテ持ちだと、おのずと教材研究の議論ができ、テスト問題のすり合わせもしなければいけない。でもヨコ持ちだと、乱暴な言い方をすれば、“個人商店主”でいけるわけです。全国的には圧倒的にヨコ持ちなので、これも極端にいえば、全国学力・学習状況調査の点数は、“D中学校の点数”というより“D中学校のE先生の点数”とも考えられるわけです。「F先生が担任の代は良かったけど、G先生に替わったら……」と、デコボコが出るのはそういうことが理由かもしれません。
編集部 ある高校でも大学受験に関して同様の話を聞いたことがあります。「今年は英語が弱い」と思っていても、社会科や技術家庭科の先生たちは指摘できないのですね。
田村教授 そう考えると、本当の授業改善に向けた議論は、授業研を意図的に構成しないと生じないということはあると思います。小学校に比べて学校のサイズが大きいので、学校全体が動き出すには組織やシステムの問題が大きい。学年2、3クラスの小学校ならひと言でなんとなく伝わりますが、クラスが多く、各教科に教師がいて、大所帯になりますので、意図的に体制を作っていく必要があります。校長先生の組織マネジメントにかかってきますね。
編集部 理由も利点もあるのでしょうが、教科ごとや学年ごとにがっちり固まってしまうと、学校全体の動きが鈍くなりますね。問題解決に多様性が求められる時代に、「国語に数学は口を出さない」や「2年生は2年生の学年団にお任せ」はありえないですね。
田村教授 旧来の組織やシステムの中に入っていると、どうしても“前はこうしたから”とか“これまでどおりで”とか、そういう話になってきます。そこをちょっと揺さぶるというか、改善に取り組むきっかけを作っていくことは大事です。なんといっても学校教育の本丸は授業ですからね。
編集部 部活動が第一になっている先生もいないわけではないようですが。
田村教授 部活動は大事ですが、もっと大事なものがあるのは確かなのではないですか。いい授業ができることが教師にとって一番の幸せですよ、という話はします。
 組織やシステムと言いましたが、うまくマネジメントできると職員室での人の動きや会話が変わります。それは大事だと思います。課題別のチームを作るとか、意図的に年齢、教科、学年をシャッフルしてチームを組むことで、そういうことが起こせます。
編集部 分厚い壁ではないですけれど、教科や年齢が違うと、話をするきっかけが持てないようなケースがあるそうですね。
田村教授 授業研に呼んでいただいているC中学校では、全教科の単元配列表を1枚ものにして職員室に貼って、みんなが見ることができるようにしています。その結果、それを話題にして会話が交わされるようになったそうです。ちょっと工夫して環境を整えることも大事ですね。

高校入試に求めること/評価

 これまで中学校では、様々な教育改革への取組は積極的だったとは言い難い。部活動や生徒指導など中学校特有の事情もあるのだろうが、阻害要因の一つが高校入試。受験には結局のところ、知識の絶対量が物をいうと考えられてきた。
 でも今、授業での知識の扱い方も変わってきている。蓄えるだけでなく活用する、対話等を通して更に深める。まして、高校もそんなふうに動いているのなら、当然、入試も変化しなければならないはずだ。学力調査もAとBではなくAB一体化された。
 後半はまず高校入試と、授業における学習評価のお話を伺う。

ただ記述させるだけでなく

編集部 こういう授業改善の流れを受けて、入試では生徒の何を見るのかと、高校入試の在り方にも改善が必要だと思います。田村先生のお立場上、差し支えのない範囲で、入試の在り方についてお考えをお聞かせいただけないでしょうか。
田村教授 これまで聞いている範囲だと、記述形式のものが増えてきたり、より個性を多様に評価したりする方向が出てきているようです。中学校の出口、高校の入り口のところに期待する資質・能力とか、高校での学習に必要な力を測定しようとしています。
 全国学力・学習状況調査やPISAで出てきたような論述形式の問題を、これまで以上に入れることも可能でしょう。知識は問題文中に明示されていて、それをどう活用して解くかといった方向になっていけば、中学校でも“暗記”のウエイトが下がって、どう使えるかという授業に、より一層シフトしていくのではないでしょうか。全体としていい方向に向かっているように思います。
編集部 入試でも、PISAやB問題のような問い方が主流になっていくのが、一つの方法なのでしょうか。
田村教授 ただ記述させればいいということではなく、どの知識をどう使っているかを問うわけです。そうすると、知識は前もって全員に提供されていて、それを使って出題された課題をどう解決するか、それをどうアウトプットできているか、そこを見て評価していくことになります。そのアウトプットが教科によって違って、数学では極めてロジカルに計算式で表現できるとか、社会科では言語を中心に事象の関係性が言及できるかとか、そういうことを見ていきます。
編集部 ある程度の知識は必要ですが、「この事件が起きたのはX年」と暗記しているだけでは、歴史の学習をしてきたことにはなりませんね。
田村教授 もう一つは、調査書における内容は、より中学校での学びが反映されるものになっていくのではないかと思います。
編集部 「学びに向かう力、人間性の涵養」も的確に評価されなければなりませんね。
田村教授 面接や実技試験があれば、少しそれを垣間見ることはできるかもしれませんが、ペーパーテストでは難しいです。
 だから、中学校から高校にいく資料にどういったことが書かれているかということになります。この生徒は中学校時代にどういった学びがあったかを、先生方はきちんと評価して、資料に載せていかなければならない。そうすると、授業における評価の話や評価規準の話が出てきます。

評価規準を具体的に書けるか

編集部 学習評価のお話を是非、お聞かせください。
(注=資質・能力の三つの柱で整理した目標に準拠して、観点別評価を「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の三観点に整理)
田村教授 過去における「関心・意欲・態度」のような観点は、授業中、手を何回挙げたとか、どれくらい発言をしたとか、そういったもので測定していた学校もあったようです。
編集部 本当なのですか?
田村教授 本当なのですよ。それはどう考えてもおかしな話です。では、今回の「主体的に学習に取り組む態度」をどう評価するかということになるのですが、それは評価規準がいかに具体的に書けるか、言語化できるかということです。「思考・判断・表現」も同様で、“見えにくいものをいかに見取るか”ということは、いかに評価規準を具体的に書けるかが最大のポイントだと思います。例えば「思考」のところで「真剣に考えている」と書いても、残念ながら評価はしにくい。
編集部 先ほどの授業研もそうでしたが、この学習指導要領では子供の姿をどう見取るかが重要ですね。
田村教授 例えば「計画を立てる」という活動があるとします。この活動を通して「思考・判断・表現」を重視して評価することもできれば、「主体的に」を評価することも可能です。立地条件や時間、目的を関連づけながら計画を立てていれば、これは思考力を発揮していることになります。あるいは、友達同士の多様な意見を取り入れながら計画を立てるという行為は、思考よりも期待する態度になると思います。教師がこういう具体的な表現を意識的にできるか、その結果、そういう子供の姿を見取ることができるか、それが評価ということになっていくのだと思います。
 このように、教師がより具体的に評価規準を書ければ、AさんとBさんの良さや違いが、はっきり評価できるでしょう。挙手や発言の回数で評価するよりは、信頼度が上がります。評価は妥当性と信頼性の問題です。
 中学校は、テストだけで判断しようという傾向が強かったと思います。もちろんテストも評価対象ですが、日常の授業の重要な節目ではそういう評価をやっていただきたい。こうして積み重ねた評価を総括すれば、信頼度の厚いものになってきます。
 さっきの高校入試の調査書などに位置づけていけば、受け取る高校側としては「こういう子なのだな」と、生徒を見てくれるのではないかと思います。

より豊かな授業、豊かな評価

編集部 教師によるばらつきが出ないように、学校として、あるいは教科ごとに評価規準をきちんと練っておくのですか。
田村教授 全ての授業の評価規準だとか、あるいは全ての単元の評価規準だとかを全部クリーンに決められるかというと、結構悩ましいのですよ。また、評価規準が言語化された表が手元にあれば本当に評価できるかといえば、それもちょっと怪しいです。
 現実的なのは、例に挙げたような何かモデルになる場面で、自分で言語化した評価規準を作って、実際の生徒の姿と照らし合わせることを一度やってみることです。これができれば、その力は汎用性があるので、他の単元や他の授業でも十分成り立ち得る。したがって、そうしたことを校内研究等の機会に経験するといいと思います。そして、それをモデレートする。
編集部 まず、自分で作ってみる、そして教師同士で検証し合うのですね。学年内でもブレがあってはいけないので、やはり教科を越えた授業研が重要ですね。
田村教授 評価規準を明確に定める、あるいは具体的に書けるということは、どういう授業をするかということの、完全な裏返しの話ですよね。“様々な条件を関係づけて計画を立てているか(思考力)”を評価しようとすれば、そういう授業を作ることになるわけですから、そこの関係が見えるかどうかは、案外大きい。
 どちらが先でどちらが後ということではなく、両者が行きつ戻りつしながら作っていくものなので、より豊かな授業にも向かうし、より豊かな教師の見取りや評価になるということだと思います。
編集部 保護者の授業参観後の感想のような発言です。授業や単元の終わりに育ってほしい子供の姿が、授業者にはイメージできているはずなので、それなりのキャリアがある教師には、田村先生がおっしゃることは決して難しいことではないように思います。
田村教授 意図的に授業をやって、期待する姿になったら「あ、うまくいった!」。でも、「全然だめだった」ということもあって、「何がだめだったのだろう」と考えていけば、授業づくりや単元づくりはとてもクリエイティブな作業、創造性あふれる仕事になります。何かをただマネすれば常にうまくいくというものではないので、だからこそ魅力的で楽しい仕事なのです。

先頭集団から遅れぬように

編集部 田村先生のお話を伺っていて、改めて「学ぶ子供の視点に立って」とは、よくいったものだと思いました。授業づくりや評価や授業研といった教師の仕事の根本的な部分で、そこに立つことで、教師が見る景色がガラリと変わるものなのですね。
田村教授 今回、「学習する子供の視点に立つ」という最大の原理原則を出したのは、大事なことでしたね。
 中学校ではこれまで、現実的にはその発想を持ちにくかった。学習内容が多く、入試に向けて限られた時間内にそれを教えなければいけない。何か追い立てられているような感じが常にあるのも事実だと思います。
 再確認します。来年度から学習指導要領が全面実施になります。授業改善が求められていますが、年間の全ての単元や全ての内容が探究的であったり、活用型であったりする必要はありません。しっかり教えなければならない授業はありますし、知識を説明する授業が全否定されるわけではありません。でも、毎回、そればかりを繰り返していたのでは、学び手はいつまでたっても受け身のままで、学びに向かう力はどんどん減退していきます。よかれと思ってやっていても、そんな副作用があります。大事なのはそのメリハリです。
 その意味では総則の第3-1をもう一度読んでください。「単元や題材など内容や時間のまとまりを見通しながら」と書いてあります。一連の問題解決のまとまりを視野に入れながら指導していきましょうといっていることの意味は大きいと思います。そこでメリハリをつけたり、軽重をかけたりしながらやっていく。ちょっと視野が広がってくると、総則の第2の「教科等の横断」という話になっていくということだと思います。
編集部 学習指導要領の最終確認、いよいよ全面実施前夜という雰囲気になってきました。本当は最初に伺っておくことでしたが、田村先生は中学校の準備状況をどのように感じておられますか。先生が書かれた『問い、対話、振り返りによる中学校の授業改革』には府県をまたいだ中学校の協働的な研究がまとめられています(P46で紹介)。これは中学校の“やる気”でしょうか。
田村教授 県を越えて一緒に研究していこうというのは、これまでにない動きです。福井市の明倫中学校の校長先生だった小木一良先生が「全国的なつながりをつくろう」とおっしゃって、一緒にやり始めました。今まで中学校の全国的なつながりといえば、部活動などが多かったのではないでしょうか。
編集部 部活動はあなどれませんね。
田村教授 4校の実践を紹介していますが、これらの学校を中心にしてそれぞれ近隣の中学校同士が研究会を持って、授業を中心に議論しようという動きが広がっています。市全体の広がりもあります。先頭集団はグイグイ動いていますよ。
編集部 どの学校も、その動きに遅れないでついていきましょうということですね。
田村教授 そうです、追いかけてください。
編集部 今日はありがとうございました。こんな状況ですが、感染防止には万全の対策を取って、中学校の先生方を刺激してあげてください。