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教育ジャーナル Vol.19-2

■学校改革

“学校の当たり前” は、これからも
“当たり前”なのだろうか。
変えられないものはない
第2回 兵庫県川西市立多田小学校の取組(全3回)

■学校改革

“学校の当たり前” は、これからも
“当たり前”なのだろうか。

変えられないものはない
第2回 兵庫県川西市立多田小学校の取組(全3回)

教育ジャーナリスト
渡辺 研

学制150年だという。戦後、新たな学校制度がスタートしてからでも80 年近くがたつ。
その間、子どもや学校を取り巻く社会そのものは大きく変化した。
それでも変わらない“学校の当たり前”には無理があると、教師たちは薄々感じていたのではないか。
人がいない、忙しすぎる、課されることが多すぎる……。
学校は今、大きな課題に直面している。
もはや“今までどおり” という選択肢はないだろう。
“学校の当たり前”ではない取組の第2回は、学年担任制を導入した事例だ。


Ⅱ 兵庫県川西市立多田小学校が取り組む「学年担任制」
  鍵は教師間のチームワーク

学級担任不在の3か月

 小学校では、新採教員でも学級担任をもつ……それ以上に当たり前だったのが、学級担任制そのものだ。でも、その学級担任制でさえ、必ずしも当たり前ではなかった。
 学級担任制について教職員間で議論し、今年度から「学年担任制」を導入したのが川西市立多田小学校(西門隆博校長)だ。ただし、これは〝積極的な学校改革〟というよりも、たぶん全国の多くの学校が抱えている課題を〝学校の工夫でなんとか乗り切る苦肉の策〟。
 そもそもの始まりはこうだった。
 2022年度、5月から産休に入る教師がいて、あらかじめ、補充の要請はしていた。しかし、5月になっても補充の講師は来ない。黙って待っているわけにもいかず、2年生のそのクラスには、短時間勤務の講師や教頭が入り、6月にはほかの教師たちも時間を都合して代わるがわる授業に入った。でも一方で、コロナ感染による欠勤者も出て、綱渡りのようなやりくりになっていた。結局その状態は1学期中続いた(2学期から補充あり)。
 救いは、一番の被害者である子どもたちの態度だった。
「子どもたちは一生懸命頑張ってくれました。いろいろな先生が来て授業をやるわけですが、それを嫌がらず、むしろその先生たちといい関係をつくってくれました」
 だからといって、この状態のままでいいわけはない。こんな事態ではなくても、特に小学校では学級担任と児童、保護者の相性が原因となる問題はしばしば起きるし、担任が病欠する日だってある。迷惑をかけられないからと、担任のほうも、少々の体調不良でも出勤してくる。
「これでええの? 何か対策せな、アカンやろ!」
 今ならどこの学校でも起きそうな事態が、当たり前だと思ってきた学級担任制を考え直すきっかけになった。

当たり前ではない3つをセット

〝対策〟の前に、西門校長のキャリアを大まかに紹介しておく。
 もともとは中学校の理科教師(しかも初任校では学校の規模の関係で3学年を担当)。その後、教育委員会(9年間)を経て、小学校の教頭として現場に戻り、21年に多田小の教頭、22年度に内部昇任で校長となり、現在に至る。
「小学校に来て、先生たちの大変さがよくわかりました。朝から夕方まで、ずっと子どもたちと一緒。全部違う教科の授業をやって、1日1時間、空きがあればいいほう。それは大変だし、すごい人たちだなと思います」
 小学校を外から見てきた経験も、発想や確信、実行を助けたのではないかと思う。小学校では当たり前のことも、〝元中学校教師〟には当たり前には思えなかった。
「クラスを一人で担うのではなく、複数で担えば、たまたま担任が休んだとしても、一日中先生不在ではなく、最小限の自習ですむので、体調を崩した先生も休みやすい。〝あたり・はずれ〟と言われることもない。そういうことがあって、学年担任制と教科担任制が必要だと考えました」
 さらに、この二つを有効に運用するために、ある手立てを考えた。
「そのためには、教員同士の連携が絶対に必要です。でも、勤務状態を考えると、6時間目まである日だと16時に子どもが帰って、それから打ち合わせ。それはできない。そんなことを求めたら、余計に大変なことになる。ここを解決できないと、この案は出せないと思って、なんとか子どもが帰る時間を早くできないかと考えました」
 これは教師への配慮。同時に子どもたちの事情も考えた。従来の時程だと、帰宅後、子どもたちが遊べる時間は少ない。
「小学生は、遊びが学びになるのです。子どもが遊べる時間を確保したいという思いもありました」
 解決策が浮かばないまま夏休みが過ぎた。9月になり、とあるきっかけから「午前5時間制(40分授業)」の実践事例を知った。時数もクリアし、ある程度は定着している取組だ。この時程なら、朝の会が8時20分に始まり、4~6年生(毎日6時間)でも14時45分(火曜日は15時5分)に帰りの会が終わる。その後で学年の教師間ミーティングを行っても、勤務時間内に収まる。
「これなら下校時間が繰り上げられる、なんとかやれると思って、職員に提案しました」
 教育委員会にも了解を取った。
「学年担任制」「教科担任制」「午前5時間制」という〝当たり前ではない〟3つをセットで提示された教師たちはどう反応したのか。

学級担任制について激論

 これが提案された職員会議でどんな意見が飛びかったのか、想像がつくと思う。
「議論はすごかったですね。否定的な職員はいるし、プラス面、マイナス面が出されてすごい議論になりました。当然、1回では合意形成はできない。でも、こんな思ってもみなかった議題で我慢強く議論してくれました」
「ある意味、議論ができてよかったと思います」と西門校長はおっしゃる。ほかの二つはともかく、当たり前すぎて意識すらしない学級担任制について議論することなど、小学校ではまずなかっただろう。
 でも、興味深いのは〝校長対ほかの全員〟ではなく、初めて聞いて「それは、いいかもしれない」と言った教師がいたことだ。ちなみに、大まかに賛否はどんな割合だったのか。
「半々かな。大変な状況だし、うちだけの問題ではないという認識はみんなにありました」
 議論の結果、「やはり小学校は学級担任制だ」と結論が出たとしても、それならそれで意味がある。でも、結果的には、3つの実現に向けて動き出すことになった。
 学級担任制にかぎらない。学校で仕事をする誰もが、「本当にこのままでいいのか?」とうすうす感じていることは、ほかにもいくつもあるのかもしれない。「ところで、これって、なぜやっているの?」と声を出せば、改善できそうなことはあるかもしれない。
 もちろん、子どもたちと保護者、地域にも丁寧に説明した(PTA役員は大賛成だったそうだ)。説明用資料には「学級担任制のメリット・デメリット」という項目もある。これを整理しながら教師たちは、「では子どもたちにとって何が大事か」を改めて考え、「子どもたちの自主性・主体性を育む」ことに焦点化されたのではないかと思う。
 実施を決定しても、細かな詰めは大変だったと思うが、そこは省略させていただいて、実施形態を説明する。

必ずしもクラス数+αではなく

 もしも、きれいに整った実施形態を想像していたのであれば、やや拍子抜けするかもしれない。でも、現実に即した苦心に共感して、「これなら自校でも可能かもしれない」と思っていただけるかもしれない。 
 23年度の多田小学校は、1年生3クラス=学級担任、2年生3クラス=学級担任・教科担任、3年生3クラス&4年生2クラス&5年生3クラス&6年生2クラスは学年担任・教科担任という体制でスタートした。
「1、2年生は『担任との関係をしっかりつくろう』という意見が多く、学級担任を残しました」
 2年生の教科担任制は授業交換。3年生以降への〝ならし〟的な意味合いだろう。 
 3~6年生のそれぞれの〝学年団〟の数は次のようになっている。
〇3年生=3人。シャッフルの形になる。
〇4年生=4人。1人は図工の専科で学級担任に入る割合は少なくしてある。もう1人は通級の担当。
〇5年生=5人。このうちの2人は短時間勤務で、担任として入れる時間は限定される。
〇6年生=3人。1人は音楽専科で学級担任は未経験。割合は少なくしてある。
「例えば、少なくともクラス数+1人で、全員に担任経験があればスムーズに動かせるのですが、現実はそうではないので、担任業務を身につけながらやっています」
 豊富に人がいて、構想どおりに学年担任制や教科担任制を動かしているわけではない。逆に人がいないから、学年を担当する全員が意識と力を合わせて動かしていく。そういう形態だ。
 学級担任のローテーションにも〝意識と力を合わせて〟が見える。
「期間は決めず、学年ごとに柔軟に考えてもらっています」
 さすがに4月は担任を固定してスタート、GW明けに最初のチェンジ。ただ、3年生は子どもの様子を見て交替しなかった。
「子どもたちが安定していれば、どのタイミングでもかまわない。スポット的に代わることもあります」
 病欠の場合は臨時に誰かが入るし、例えば、運動会が近くなれば、担当の教師は担任から外すとか、そういう配慮もする。
「どうすることがいいのか、モデルも何もないので、とにかく柔軟に対応できるようにしておいたほうがいいのかなと思っています」
〝柔軟に〟という発想が、実は学校は意外に苦手なのではないか。こうだと決めて忠実に実行しようとするから、ときに苦しくなる。
「事情があるので、明日の帰りの会を代わってください」と気がねなく言えるだけでも、精神的にはずいぶん楽になるはずだ。

「よう話をしてはりますね」

 教科担任も、受け持つ教科は学年内で決めて運用する。図工、音楽は専科教諭が従来どおり学年を超えて授業を行う。
「3年生と4年生は学年で回しますが、5、6年生は、学年ではなく2学年で回しています。先生たちのほうから『5、6年生はこう回そう』と原案を出してくれました」
 いわゆる〝タテもち〟。
「それも意識しました。5年生から6年生への流れがわかるし、教科数が減ることも大きいです。小学校の先生には『たくさんの子どもを把握できるのだろうか』という不安があったのですが、授業をやっていれば自然に見えてくるものですよ」
 西門校長とは、教科担任制のメリット(教材研究を深められるなど)や不安(1年間、まったく授業をしない教科があり、次年度、異動で他校に行ったときに不安など)の話もしたが、教科担任制は昨年度から全国の多くの学校で実施され、検証もされているので、ここではふれないことにする。
 それよりも、学年担任制も教科担任制も、仕組みの設計以上に重要なのは学年の教師間の連携(高学年は5、6年生の教師間)。そのための午前5時間制だった。
「チームワークが一番大事だと思います。『一緒にやっている』ということを、みんなできちんと共有していることが一番大事です」
 言い換えると、それがあって初めて成り立つ仕組みだ。
 では、例えば〝何曜日の何時からは学年ミーティング〟が時程の中に組み込まれているのかといえば、そうではなかった。ここでもやはり〝柔軟に〟だ。
「時間を設定しなくても、子どもが帰ったあとに自然に集まって話をしています。まとまった時間を取らなくても、10分でいいから、『朝の会でこんなことがあった』『授業でこの子がこんな発言をした』と、気軽に話し合える関係がつくられていたらいいのです」
 多田小学校の教師たちには、もともとそうしたチーム意識があったのだそうだ。
「先生たちが『大事なことはみんなでやろう』という意識をすごくもっていてくれたので、それが継続しています。この仕組みになって、それがよりやりやすくなりました。来校したPTAの人たちが職員室の様子を見て、『先生たち、よう話をしてはりますね』と言ってくださいます」〝Aプラス〟の〝学校関係者評価〟だ。
 最も肝心な子どもたちはどうなのか。22年度の2年生の様子から想像すれば、大丈夫そうに思えるが。
「子どもたちは落ち着いています。普通にやっているように思います」
 西門校長にお話を伺っている間、休み時間になると、ドアが開けっ放しの校長室に、子どもたちが気軽に入ってくる。校長が〝学級担任代理〟でクラスに入ることもあり、「校長を怖い人だとは思っていないようですよ」
 と言う。子どもたちには〝たくさんの先生が自分たちにかかわってくれる〟ことが当たり前になっているのかもしれない。
 学校をお訪ねしたのは5月下旬。これから大きな学校行事も始まり、クラス内の人間関係も変化する。
「どうなっていくのかは、未知の世界です」
 安心することなく、とにかく年度末まで、チームワークを発揮して、教師たちは子どもたちを丁寧に見守っていく。
 多田小学校は創立144年。日本の学校制度の原点から存在する学校だ。そこから新しい小学校の形が提案された。来年3月の卒業式の頃、成功事例として報告されることを期待して待ちたい。

子どもへの影響力は大きい

 この記事は、学級担任制の是非を考えようというものではないし、学年担任制を推進しようというわけでもない。教師たちの議論も〝半々〟から始まったように、賛否どちらもあり、各学校が置かれた環境を総合的に勘案して考えるべき課題だ。
 ただ、教師の数や業務の現状からすると、いずれ広く議論されることになっていくと思う。そこで、保護者用の説明資料に見つけたある記述を紹介しておきたい。
●令和4年度までの課題 教職員=担任として頼られる(自律を妨げる?) ⇔子ども=担任を頼る(自律?他律?)
●教科担任制・学年担任制(3年生以上) 「先生〇〇していいですか?」という言葉をよく聞きます。教員の指示を聞くだけでなく、自身で考え、相談しながら生活する児童の育成を目指します。

「子どもたちが失敗しないようにと、担任はいろんな手立てを準備する。それがかえって、子どもたちから、自分で考え動いてみるという経験を奪っていたかもしれないと、私たちの反省もありました」
 子どもへの大人の影響力は大きい。まして教師であればなおさらだ。学級担任を中心とした学級経営は1年間、たとえ無意識にでも、子どもたちになんらかの影響を与え続ける。
 未来を生きる子どもたちには多様性が求められる。それなら、かかわる大人(教師)も多様であったほうがいいのかもしれない。教師のほうも、〝使命感〟としてのしかかる肩の荷が少し軽くなる。もしも学級担任制を議論する機会があれば、視点の一つにしていただければと思う。

【第3回へ続く】

次回の予定

11月13日(月)

“学校の当たり前” は、これからも“当たり前”なのだろうか。
第3回

※次回のタイトルは変更になることがあります。ご了承ください。