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教育ジャーナル Vol.22-4

■ 授業参観

今また、不易であるための流行
~日本の先生たちはすごい!
第4回では、新潟市立白新中学校・令和5年度公開授業(校内研修)の様子をご紹介する。

■授業参観

今また、不易であるための流行
~日本の先生たちはすごい!

【全4回】第4回

教育ジャーナリスト 渡辺 研

 
比較的最近の中教審の分科会などの議論の中に、久しぶりに「不易と流行」※という言葉を見つけた。
まさに今、「学校教育の『不易と流行』を考えてみよう」と言われているように思う。
いつの間にか、学校に託された役割は膨大に膨れあがってしまった。本質を揺るぎないものにするために、
授業を改善し、ICT を活用し、前年踏襲の仕組みを変えてみる。ようやく、そんなふうに学校が動いている。
学校教育の代表である授業は、どう変わってきているのか。
第4回では、新潟市立白新中学校・令和5年度公開授業(校内研修)の様子をご紹介する。

※「不易流行」蕉風俳諧理念の一つ。解釈には諸説ある。一説に、俳諧には不易(永遠に変わらぬ本質的な感動)と流行(ときどき新味を求めて移り変わるもの)とがあるが、不易の中に流行を取り入れていくことが不易の本質であり、また、そのようにして流行が永遠性を獲得したものが不易であるから、不易と流行は同一であると考えるのが俳諧の根幹である、とする考え方。(学研・四字熟語辞典より)

◆新潟市立白新中学校・令和5年度公開授業(校内研修)より

1年生の国語、数学――主体的・対話的で深い学びの実現

作品を味わう視点の習得

 従来の概念を覆すような授業を見たあとだけに、白新中学校(金山光宏校長)で見せていただいた「(現実の事象を題材にして)生徒に課題への関心をもたせ、タブレットを活用しながら、対話(協働)し、全体交流」という授業が〝オーソドックス〟に見えた。でも現実には、全部の小・中学校が完全な実現を目指しているのはこういう授業だ。
 なお、二つの授業は校内研修の一環(一定の期間内に全員が1回、公開授業を行う)として行われたもので、両教諭ともそれぞれご自分の課題をもって授業に臨んでおられた。その意図からは外れるが、授業改善やICT活用の視点で報告させてもらった。
【国語・吉野知子教諭 単元「心の動き」】単元で目指す深い学びの姿――文学作品の人物の心情や話の展開を情景描写からとらえることができることを実感する。物語の作品の良さを読み解く際の観点を知り、観点に基づいて根拠をあげながら作品の良さを文章にまとめることができる姿。
 この日は、「『星の花が降るころに』(安東みきえ著)の作品のよさについて、観点別に本文から根拠を見つけて説明する活動を通して、物語作品を読解し味わうために有効な視点を習得することができる」がねらいの授業。8時間中の締めくくりだ。
 読書感想文レベルでも「この作品をよくそこまで読み解いた」と、その鑑賞眼に驚くことがある。驚くだけでなく、そんなふうに作品を読める視点をもてたら楽しいだろうと思う。他者の読み方を共有させてもらうことで、それを習得しようというのがこの単元・授業。作品自体も大半の生徒がおもしろいと感じており(初読後のアンケート)、1年生には興味深い単元だったはずだ。
 作品を読む観点として「人物像、設定(人物・場面・時)、ストーリー展開(結末・クライマックス)、題名、主題、表現・言葉の使い方、心情表現、情景描写、象徴・アイテム」の9つが提示されていた。
 班(3名)ごとに分担し、担当した観点を意識して作品を読み、よさを見つけてきた。本時では、それをクラス全体で共有する(ジグソー法を活用。発表者1名が班に残り、2名はほかの班の発表を聞きに行く。戻ってきて3名で共有。発表者を代えて繰り返す)。
 班で作品のよさを見つけるとき、情報はタブレットに収めていた。他班の生徒に解説するときもその画面が示されていた。1年生でも手慣れたものだ。授業の本質とは離れるが、この場面で気づいたことをお伝えしたい。
 作品のよさや根拠となる記述の引用などが細かくまとめられており、情報量はかなり多い。従来のホワイトボードなら、文字情報はキーワードや何項目かの箇条書きで、細部は話して発表していた。それなら目と耳を同時に働かせながら説明を理解することができるが、タブレットの画面では文字が小さく、目では追えない。情報量が多いから発表者はつい早口になり、要点のメモが追いつかない。その結果、こんな会話が。
「書いている? 書いていないじゃん。聞いてないってこと?」「早いんだよ。あとで送って。お願い」「じゃあ送るよ」
 ほかでも同様のことが起きているらしく、
「お、届いた」という声が聞こえてくる。送信は簡単なので、情報のやりとりには本当に便利だが、集まった情報はかなり膨大になる。それを班でじっくり吟味すれば視点の習得はできるのだが、生徒たちはその情報をしっかり読み込むことができたのだろうか。
 中には説明を聞きながら素早く要約して、タブレットにメモする生徒もいた。話を聞いて「なるほど」と心が動いたことはその瞬間、自分の身につく(忘れないようにメモする)。板書を含めアナログならではの有効な学び方もあるはずだ。まだ当分は、アナログとICTの共存を探りたい。

視力検査から比例・反比例

 中学校では算数が数学に変わる。その違いを生徒たちはどう感じるのだろう。
 授業で取りあげられたのは「反比例」。「関数」の入り口になる。数学の学習指導要領解説には次にように書かれている。
〈(小学校では)比例の関係を理解しこれを用いて問題を解決できている。なお、比例の理解を促すため、反比例についても学習してきている。中学校数学科において第1学年では、これらの学習の上に立って、具体的な事象の中から伴って変わる二つの数量を取り出して、その変化や対応の仕方に着目し、関数関係の意味を理解できるようにする。〉
 授業を通して、生徒たちは数学を実感できたただろうか。
【数学・田村友教教諭 単元「変化と対応『比例・反比例の利用』」全5時間】単元で目指す深い学びの姿――本単元では、関数の意味や、比例、反比例の変化の特徴について学習する。これらを基にして、ともなって変わる二つの数量を対応表、式、グラフからその関数の特徴を見いだし、問題解決する姿。
 指導案には「生徒が『解決したい』という問題意識を醸成するからこそ、『実行する』というプロセスがより学びのあるものへとつながっていく」と書かれている。「自由進度」も「個別・協働・最適」も、その学習を成立させるためには、ここが前提になる。「解決したい」を引っ張り出すために、田村教諭はこの単元でこんな「事象」を設定した。
◆第1時=全校生徒200人でウェーブをする時間をどのように求めたらよいだろうか。
 学校の会議室を使って実際にやってみた。10人で何秒、20人で何秒、25人で何秒……人数と時間の関係を比例とみなして、数学的に問題を解決する。1年生のわいわい、キャーキャーが聞こえる気がする。
◆第2時=生徒がよく知っているランドルド環を用いて、◯◯と距離にはどんな関係があるかを見いだす。うん? ランドルド環とは?
 視力検査表の〝アレ〟……肉厚のCをランドルド環という。(*)

* C の外円の直径7.5 mm、黒い部分の幅1.5 mm、隙間(白い部分)の幅1.5 mm(つまり内円の直径は4.5 mm、白い部分は正方形になる)のランドルド環の隙間を5 メートル離れたところから見分けられる視力を「1.0」とする。(国際眼科学会の基準)

 「視力1.0のランドルド環を用いて視力を測定するにはどうすればよいか」を学習課題として、距離を変えることで視力を計測する活動を行った。15メートル離れて見分けられた生徒がいたそうだ。この学習で、視力と距離は比例の関係があり(したがって、15メートルの彼の視力は3・0)、距離を変えることでどんな視力も計測できることを生徒は見いだした。「保健」の分野にも、数学の見方・考え方が生かされていることに気づいてくれると、数学の教師としてはうれしい。
 ただ、実際の視力検査では、距離は変えず環の大きさを変えることで視力を計測していることは生徒も承知している。そこから第3時(本時)の授業が始まる。課題の共通理解に時間をかける
「事象」はクラスの担任T教師(イメージで登場)の願い。「視力は0.05くらいなので、視力検査表では測れない。測ってみたいなぁ」と言う。じゃあ、T先生のためにランドルド環をつくろう。これがミッション。
 ランドルド環の構造を再確認して(近くの人と会話)、「何がわかれば描ける?」と問う。生徒が「外円と内円の直径の差がわかれば、黒い部分の厚さと同じだから隙間の大きさがわかる(環がつくれる)」と答えると、「何を言ったかわかる? 近くの人と確認して」。生徒は教師に答えるのではなく、共に学ぶ仲間に自分の考えを伝える。こうした授業の進め方がだんだん当たり前になってきた。(この時点で外円直径5:内円直径3:厚さ1:隙間1の割合を生徒はまだ知らない)
 生徒の発言が整理されて「視力0.05のランドルド環の『外円の直径』をどのように求めたらよいだろうか」を学習課題に設定。内円の直径も必要だが、まずは外円から。
 生徒たちに0.1~2.0のランドルド環のプリントが配布された。視力が高ければ環は小さく(直径は短く)なり、視力が低くなるにつれて環は大きく(直径は長く)なる。見ればわかることの中に、どんな合理的な関係があるのかを見つけ出して、検査表にない環をつくる。班になってその外円の直径を実測(データを取る)、表やグラフや式(反比例の関係を表す式x×y=aは知っている)を使って規則性を考察する。ここまで20分。
 既習事項の確認を含めて、「この時間にするべきこと」を生徒に丁寧に納得させた。「主体的な学び」であっても、生徒に関心をもたせ、学びに向かわせるのが教師の仕事。
 たぶん、この時間にも生徒の頭の中はああしよう、こうすればいいんじゃないかと、課題解決のための考えが駆け巡っていることだろう。こういう〝間〟も大事だ。
「まずデータを取ります。班でデータを確認して、自分なりに考える。そのとき、誰に相談してもいいし、ほかの人のワークシート(データ整理の過程)を見てもいいです」
 国語の鑑賞もそうだったが、自分の考えを深め、もっていなかった視点を獲得するには、多様な他者との協働が欠かせない。
「時間は20 分。どんどん始めてください」大事なことは「どう考えたか」
 数分間のうちに「これ反比例だ」と声が挙がる。ただ、実測は普通の定規で、中心の位置も必ずしも正確ではないので、生徒たちのワークシートに書かれた実測値はバラバラ。
「環を二つに折って直径を測れば、かなり正確なんですけどね」と田村先生はおっしゃっていたが、気づいた生徒はいたのだろうか。
 数値はばらついても(誤差範囲)グラフにすると双曲線になり、比例定数も0.75前後の値が求められて、ランドルド環のサイズと視力は反比例の関係にあるとみなせることがわかり、求めるランドルド環の外円の直径は15㎝だと、ワークシートには書き込まれていった。この間、絶えず「すべて求めた」「0.5をもう1回、確認する」「直径15㎝? でかい」と学び合う声が聞こえる。
 テストならこれで完了だが、今は数学の見方・考え方を身につける時間。もう一つ課題が残っていた。
「大事なことは、『答えが合っていればいい』ではなかったですね。どのように考えたか、そこが大事だと話したよね。だから、自分の表現レベルを上げていきましょう」
 考えをアウトプットするにあたり、田村教諭の授業にはこんな約束事があった。
■表現のレベル【レベル1】自分の考えを説明できる。/【レベル2】友達がわかるように工夫して(根拠を示して)説明できる。/【レベル3】わからない人に対して、どこがわからないのかを説明できる。
 例えば、なぜ反比例とみなせるのか、データや式やグラフを駆使して理にかなった説明をしなければならない。それが数学なのだから表現力が重視されるのは当然だ。しかし、他教科でも対話や協働的な学びが当たり前になり、生徒同士がよく話しができる授業では、意識的に表現力を高めるように努めたい。生徒にとって重要な汎用的な力だ。
 表現を意識して、ワールドカフェ。「今日は、発表者は二人ですが、次の時間で残りの二人。だから全員に発表してもらいます」。
 近年、国の施策に「誰一人取り残さない」という言葉が登場するが、「全員に」も実践の場からの一つの回答だ。ほかの重要ワードにも、前出の授業に実現のヒントが見えていたし、教師や学校の努力も見せてもらえた。





【了】

次回の予定

8月19日(月)「何を大事にして、総合的な学習の時間を構想しているのか」