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教育ジャーナル Vol.23-1

■修学旅行改革

古都探訪から先端技術の現場へ
―― 修学旅行を、探究学習の一環に位置づけた
新潟市立小新中学校の意外に斬新な取組

全2回(前編)

■修学旅行改革

古都探訪から先端技術の現場へ

―― 修学旅行を、探究学習の一環に位置づけた
新潟市立小新中学校の意外に斬新な取組

【全2回】前編


教育ジャーナリスト 渡辺 研


コロナ禍でさまざまな教育活動が変更を余儀なくされた。
それは同時に、全国の学校が前年踏襲で続けてきた活動や行事の意義や在り方を
問い直してみるきっかけになった。
このピンチをチャンスにかえたことで、一気にこんなことが実現できた。

目的地を県内に変更して実施

 小新(こしん)中学校(保科賢一郎校長)では2年生の修学旅行を12月上旬に予定していた。このタイミングが短時間での修学旅行改革を可能にしたともいえる。
 コロナ禍に襲われた2020年度、ほぼすべての小・中学校では修学旅行の中止や大幅な変更を迫られた。春に実施予定の学校は議論の余地もなく中止、秋予定の学校でも、そもそも休校の措置がいつ解除になるのかわからず、中止や規模縮小(宿泊を伴わない等)が検討された。その点で小新中学校には少し時間的な猶予があった。経緯を保科校長に伺う。「12月の予定だったとはいえ、さすがに実施は無理だろうと思いました。でも一方で、12月に行けるところはどこなのかと考えてみました」
 少なくとも20年度は、どんな決定をしても正解はなかった。小新中学校が出した結論は、「目的地を県内に変更して実施」。その方向で準備を進めることにした。
「急きょ、旅行社にお願いして、見学先や日程を組み替えてもらいました。生徒、保護者に説明し、決定が6月か7月。保護者からは〝実施できるのならそれでいいです〟と異論は出ませんでした」
 結果的には新プランで実施できたのだが、さて、どこに、何をしに行ったのか。〝とにかく、行けるところに行こう〟ではなく、こんな状況にもかかわらず、筋の通った修学旅行になった。


単なる〝近場〟ではなく

 19年度の修学旅行(2泊3日)は次の内容で行われていた。新潟市の中学校では、関東か関西というのがオーソドックスな形だ。
【第1日目】空路(2便に分散)、伊丹空港へ。見学は4コースを設定、選択したコースごとに行動開始。例えば第3コースは、「お好み焼き昼食」→「大阪城天守閣」→「あべのハルカス」。夕方には全クラスが京都市内に集合して「建仁寺座禅体験」。京都市泊。
【第2日目】終日、「京都市内班別自主研修」(昼食も各自)。
【第3日目】バスで移動し「USJ」で半日を過ごし、夕方、帰路へ。
 説明は要らないだろう。それが20年度はこう変わった(1泊2日。すべてバス移動)。
【第1日目】学校→おぢや震災ミュージアムそなえ館→昼食→道の駅ながおか花火館→長岡高専→宿。
【第2日目】見学先は「燕市産業史料館」「大泉物産」「諏訪田製作所」(クラスごとに順番を入れ替えて見学。〝密〟は厳禁)。昼食後、「燕三条地場産業振興センター」→学校へ。
 大泉物産は世界に知られたステンレス加工技術をもつ金属加工メーカー。諏訪田製作所は〝刃と刃を合わせて切る〟ニッパー型刃物に特化したメーカー。「世界一の爪切り」との評価もある。
 ただ単に〝近場で行けそうなところ〟に変更したのではなく、20年度の修学旅行の意図を読み取っていただけただろうか。
 スタートは、確かに〝行けるところ〟だった。でも検討するうちに、保科校長にも教師たちにも気づきがあった。


新潟のことを学んでいない
 新潟県内を〝目的地〟にすると、意外なことが見えてきた。
「考えてみたら、誰も新潟県のことを勉強していない」と保科校長はおっしゃった。
 修学旅行では目的地を中心に事前、事後の学習にたっぷりと時間をかける。
「小学生は佐渡や福島に行くけれど、新潟のことは学ばない。中学生は関西や関東を学ぶけれど新潟のことは学ばない。関西や外国に行く高校生も新潟のことは学ばない。これでは新潟県のすばらしさを語れない。教科書で新潟県のよさを勉強しても、それにどんな意味があるのだと気がついたわけです」
 そんな意図をもって、学校で見学先を探して了解を取り、旅行社にプラン化してもらった。長岡高専はロボット(先端技術)に関係する講義を用意してくれた。
「村上や長岡を素材にした歴史の学習をすることはあっても、今まで職業ベースの学習などしたことがなかったのです」
 実際に行ってみると、それは期待以上のものだった。
「大泉物産はいわゆる〝町工場〟ですよ。そこでスプーンをどんどんプレスしている。諏訪田製作所にはオープンファクトリーがあって、職人さんの手仕事の技を見ることができるのです。子どもたちはそういうものを見たことがなく、びっくりしていました」
 こういう〝舞台裏〟には、むしろ大人のほうが喜びそうだ。
「いやあ、子どもも興味をもつのだと思いましたよ。これが切り替えた1年目です」
 コロナ禍の困難の中でも工夫して実施した修学旅行が次の展開を生んだ。

探究の流れが分断されていた
 保科校長の着任は19年度。この年から、学校では総合的な学習の時間を「小新クエスト(探究)」として1年生~3年生を通して体系づけた教育課程を組んだ(下図)


■小新クエスト(探究) ~総合的な学習の時間~


 表では省略したが、1、2年生はそれぞれに夏(冬)休みの課題、はがき新聞、成長力アンケートがある。3年生は、災害対応、福祉支援のロボット・AIをより深く学び、3年間の学習のまとめとして「未来防災小説」を書く。必要な部分についてはあとで説明するが、この流れの中に19年度は「関西修学旅行」(小新ジャーニー)が置かれていた。
「そこだけ分断されていたんですよ。今一つ流れが悪いと思っていたのですが、19年度は具体的に『どう変える?』というところまで検討してはいませんでした」
 上の図は23年度のもの。小新ジャーニーの「新潟県のよさ」や「ロボット・AI」を、「座禅体験」や「京都市内研修」に置き換えたら、確かに違和感がある。でも、修学旅行の目的地変更には相当な手間がかかることは、読者の方々のほうがよくご存じだろう。
「コロナ禍だったから、変えたかったけど変えられなかったものが、変えられました」
 そして、防災、仕事、先端技術を学べる修学旅行を実現した。


AIと人間の共生を考えられる
 学校が徐々に日常を取り戻してきた21年度以降も、行き先を関西に戻すことなく、この「ロボット・AIでつなげる」というコンセプトは変えなかった。
「福祉も防災もロボットにつながるし、職場体験は〝人ができること・できないこと〟で、やはりロボット・AIに関係してきます。だから、『関西に行く必要があるのかな。こっちのほうがおもしろいよ』ということになりました」
 21年度、22年度は、修学旅行の目的を明確にできたため、見学先もより趣旨に沿ったものとなっている。主なところを挙げる。
 NBIC(ながおか新産業創造センター)、おぢや震災ミュージアムそなえ館、道の駅ながおか花火館、三条市水防学習館、SUWADAオープンファクトリー、燕市産業史料館=タンブラー鎚つち目め入れ体験、大泉物産、山古志木籠(こごも)集落=中越地震で水没した家屋が残る、藤次郎オープンファクトリー=包丁メーカーなど。全員で行動するのではなく、クラスごとに見学施設の順番を変えてバスで移動する。 
 20年度以来の宿泊している旅館も学習の対象。中越地震で一度は閉館したものの、頑張って営業を再開していた。夜は、復活のドキュメント(講話)を聞かせてもらった。
「NBICは若いエンジニアが新産業創造という取組をしており、そこではドローンや災害現場用のロボットを見ることができます」
 NBICは旅行社からの提案だったそうだが、コンセプトを明確にすると、情報がどんどん集まってくる。
「一方、三条市や燕市(総称〝燕三条〟)は真逆のマニファクチュア、職人技の世界です。両方を勉強することで、ロボット・AIの必然性とか、あるいは不要感や問題点が見えてくるのではないかということで、こういうプランにしたのです」
 AIができること、人でしかできないこと。未来を担う中学生にとって、その共生は重要な課題だ。経済優先で考えがちな大人の判断に任せてはいられない。
 見学施設を見ればわかるが、防災に関連する施設も含まれている。
「だから、1年生から継続して〝修学旅行のための勉強〟ができるのです。防災や福祉を勉強してきて、それを中断して関西の勉強をしようと言われても、生徒は嫌ですよね」
 同時に、新潟県のこんな一面を知れば知るほど、これまで新潟県のことを本当はよく知らなかったことに気づいた。新潟の中学生にかぎらない。前年踏襲によって、実は大事なことを見落としてきたのではないか。
 こんな現実的な話も紹介しておく。
「2日間の日程でも、近いので十分に3日分の見学ができました。しかも費用が安い。20年度なんて補助金(Go To トラベル)があったので、1万5千円程度で済みました。関西だと8万5千円。積立金は保護者に返金ですよ。21年度だって、クーポンなどがあって1万8千円程度でした」
 よほどの価値を関西に見いださないかぎり、今さらコロナ前には戻せない。
 次は、その〝よほどの価値〟の話だ。



(後編へつづく)

次回の予定

9月30日(月)
修学旅行改革(後編)