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教育ジャーナル Vol.30-3
■奈良県天理市の新たな取組
子どもにかかわる問題を、学校と行政の連携で解決する
天理市子育て応援・相談センター「ほっとステーション」の成果
【全5回】(第3回)
■奈良県天理市の新たな取組
天理市子育て応援・相談センター「ほっとステーション」の成果③
子どもにかかわる問題を、学校と行政の連携で解決する
第3回は、ほっとステーションの具体的な仕組みや運用を中心に紹介する。
全5回【第3回】
教育ジャーナリスト 渡辺 研
◆市長と教育長
市長も教育長も全案件を把握
ほっとステーション(以下、HS)がかかわる案件は、すべてカルテを作成、児童生徒、家庭ごとに記録を残している。
教師が主体の対応では、担任を受けもつ期間に見える範囲での判断に限られがちだ。でも、そもそもの原因はもっと以前にあることも少なくない。HSを中心に関係者がカルテを共有することで、中長期的なかかわりが可能になる。幼児教育→小学校→中学校の進学時の切れ目が生じないよう、児童生徒の課題についてはHSが学校間の引き継ぎにかかわる。繊細な配慮が必要な場合は、進級・進学時のクラス分けも学校と一緒に考える。学校では手が回らなかったことが改善された。
カルテは、相談件数の数だけあり、対応ごとに更新されていく。25年5月末時点で、トータルの数字は相談件数275件、延べ対応件数574回、現場訪問件数317件に増えているのだが、そのすべてのカルテに市長も教育長も目を通す。そして、HSの開設以来、毎日HSにあがってくるケースについて、相談員(スーパーバイザー。以下、SV)や教育委員会の担当者と共に会議を行っている。
「1年ちょっとでこれだけの数を見ているわけですから、よくもまあ、毎日こんなにいろんなことが起きるものだと思います。私は専門家ではないので、HSや学校の対応に対して『それは“こどもまんなか”になっている?』『いつの間にか大人や職員室の都合になっていない?』と茶々を入れる役ですね」(並河市長)
これもある意味、「単線的な対応ではなく、チームによる複眼的な対応」に通じる。
「出張中の新幹線の中から電話をかけてきはることもあります。具体的な現場の事例をさまざまな角度から見て、どう解決していくのかという話し合いを1年中続けてきました」(伊勢教育長)
おかげで、並河市長は教育現場の日常に精通することになる。あとで、対応事例を紹介するが、市長自らが事例を説明された。
◆ ファーストペンギンになろう
前例がないにもかかわらず、HSはスタートから数か月のうちに保護者にも教師にも理解を得られ、存在の意義が実感されている。学校文化という難関もクリアし、スピーディにHSが浸透した理由は何か。ここまでの紹介でお気づきになったかもしれない。
報告書には23年度の「市議会、市PTA協議会役員、学校運営協議会委員に対して市長・教育長より事前説明」に始まって「事業実施スケジュール」が整理されているのだが、そこから答えが見えてくる。
24年4月の「市長・教育長と校長会との意見交換」を皮切りに、その後も学校運営協議会委員・地域コーディネーターへの説明会、市PTA役員への説明会、臨時校長会での意見交換会、学校管理職・生徒指導主任との意見交換会など(複数回実施の会もある)、毎月のように開かれたHSの周知・徹底の機会に市長と教育長がそろって出席して説明し、現場の教師や保護者と意見を交換してきた。この取材・インタビューでさえ対応は市長と教育長。徹底している。
何か疑問があっても、最高責任者と直接意見を交換すれば、疑問はその場で解消する。
実は、前述の面談時間も、25年の1月に総合教育会議・市長・教育長の連名で出された保護者への「おねがい」によって明確に規定された。
「これに対する反発はまったくありません。しかも、市PTA協議会の了解を得て出せたのは奇跡です。ほかの自治体の教育長は『信じられない』と言いますが、うちはちゃんと体制をとって実行してきたからできたのです」(並河市長)
「前の年に校長と怒鳴り合いをした保護者が昨年、『〇〇のことでも相談にのっていただけるのですか?』という口調でHSに電話してこられた。取組は保護者にも浸透してきました」(伊勢教育長)
取組自体、「高度なすごいものを導入したのではなく、考え方の問題、視点の転換です」と並河市長はおっしゃる。学校の現状、近年の家庭や子どもの状況を少しでも知っていれば、むしろ“本来そうあるべきだ”という理解は得られるはずだ。その意味では全国どこの自治体でも実現できる可能性があり(規模により工夫は必要)、市長も教育長もそれを望んでいる。ただ、あえて「天理市だからできた」という要素を挙げれば、文字どおり前面に立って引っ張ってこられた市長と教育長の熱量。教育と行政の協働を体現してこられた。
「世の中に例がなくて、最初に突っ込んでいくには突進力が必要だったかもしれません」(並河市長)
「市長から『“ファーストペンギン”になろう。飛び込む先がたとえ火の海、氷の海であっても、思い切り飛び込もう』と言われました。でも飛び込んでみると、意外に穏やかでした。実は自分たちにとって居心地のいいところを目指していたのですね」(伊勢教育長)
海にいたのは天敵(怒れる保護者や学校文化の壁)ではなく“待望”だったようだ。
天理市が前例になった今は、勇敢なファーストペンギンがいなくても実現はもっと容易だろう。でも、市長や教育長という立場の方々に「これは教職員にも保護者にも、何よりも子どもたちにとって有効だ」という思いはもっていていただきたい。
◆具体的な事例
家庭環境の悩みもまれではない
HSがかかわったことで保護者が救われた事例と教師の学びになった事例を一つずつ、並河市長から紹介していただく。カルテを読み込み、この課題そのものにいかに真剣に向き合ってこられたかがよくわかる。
◆ 救われた保護者
「これを始めたとき、『天理市がモンスターペアレント対応の専門部署をつくった』という報道があったのです。でも違います。まず“モンペ”というように色をつけてしまうこと自体が問題です。何が親をモンスターにしてしまったのか。保護者も今、不安がいっぱいなんですよ。家族のこと仕事のこと。もし子どもが、障がいや特性をもっていたら、どう向き合っていいかわからない。でも、『どう向き合っていいのかわからない』と素直に言えません。だから些細なことでも『どうなったのですか!』みたいなことになるのです」
実は原因は教室にはなく、起きた事柄への対応だけでは絶対に解決できないことにも教師は誠実にかかわり、その挙げ句、振り回されてきた。想像すると物悲しくなる。
「冷静に話を聞くと、自分の家庭環境の悩み相談事例もまれではない。本当にちょっとしたことで、ものすごく攻撃的になる親御さんがいらっしゃって、保育士たちや保育所がびくびくしていたのです。対応に入ったHSの心理士がカウンセリングをして、実は自分自身が虐待を受けていたから、ほんのちょっと子どもに傷があるだけで過敏に反応していたことを聞き出せた。その事情がわからないから保育士がびくびくして壁をつくり、それに余計苛立つ。この悪循環だったわけです」
そこまで踏み込むことは保育士や教師には難しい。
「HSのスタッフがかかわったことで、『あ、この人も苦しかったんだな』とわかっただけでも全然違います」
保育士は自然な気づかいができるようになり、何より、長年、誰にも言えず抱え込んでいた苦しみから解放されて、保護者自身の態度が変わったことも想像がつく。
◆ 教師も新たな視点を獲得できる
SVや心理士による見立ては、教師にとって貴重な学びになる。マイナスをゼロにするだけでなく、さらにプラスαを目指す。
●教師の学び
「子どもがウソをつく」ことによるトラブルが多いのだそうだ。
ある児童は「どこに連れて行ってもらった」「何を買ってもらった」と何かにつけ“一生懸命”自慢していた。しかも、話にはウソがまじっていた。そのうちだんだんクラスで浮いてきて、とうとうある日、「うっとうしいから黙れ」と同級生から殴られてしまった。ありがちな話だ。
「それで親御さんが学校に来られて、最初、学校が対応したのです。日頃の様子を説明したのですが、なんとこの親御さんは理解があって、『うちの子も悪いんですね。あんたもウソついたらだめなんだよ』と子どもを諭し、先生にお礼まで言って帰ってくれた」
HS開設前なら、これですんだ話だ。
「これまでのように保護者を満足させることが第一だったら、成功事例なのです。だけど、子どもは何も学んでいない」
教師のほうも深くは学んでいない。
「心理士の見立ては、『なぜこの子はウソをついていたのか。それは自分に目を向けてほしいがための誇張表現』だと。成育歴の中で、これまで自分にあまり目を向けてもらえなかった。だから話を“盛って”、自分に注目してもらおうとした。それを、社会通念に照らして『ウソをつくな』と言われたら、子どもはどうにもならないわけです。だから、先生は『ふだんどおりのきみにも、ちゃんと目を向けているからね』という安心感を与える指導をしていかないと意味がない」
これで教師は新たな視点を獲得できる。
例えば、ウソをつくとか、指示を聞かないとか、友達の「おはよう」の声を無視するとか、行動として表れたことに教師は対応できても、実は行動の原因となる“見えない部分”を見取ることは、簡単なことではない。発達障害などにかかわることはなおさらだ。
「真の原因は何かがわからないと、それを補うために必要な力を子どもにつけてあげることができません。でも、集団指導の中で、そこまで見立ててきめ細かくやろうと思うと、相当の技量がいるんですよ。だから距離感の違うところから入って、その子の生きづらさとか、抱えている課題はこういうことかなと、専門家と一緒に見立てていくということをやっているわけです」
負担を軽減するだけではない。負担が軽くなった分、教師も学びながら、指導力や子どもの見取りを向上させる。
(第4回に続く)
次回の予定
12月22日(月)
天理市子育て応援・相談センター「ほっとステーション」の成果④