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教育ジャーナル Vol.10-3

学習指導要領と日本型学校教育(1)
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

授業改善は進んでいるのか?

学習指導要領と日本型学校教育(1)
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

授業改善は進んでいるのか?

渡辺 研 教育ジャーナリスト

 新しい学習指導要領は、小学校も中学校も、そしてとうとう高等学校まで、コロナ禍でのスタートになった。
 でも、そのせいで学校教育が停滞したとは聞こえてこない。令和3年度も、歩み続けるたくさんの学校を訪れ、頑張る子供たちや教師の姿を見てこられた田村学教授(國學院大學)に、授業改善の進み具合や気にかかる“個別最適な学び・協働的な学び” と主体的・対話的で深い学びとの関係などについてのインタビューの模様を、3回に分けて紹介する。
 第1回目の今回は、全国の学校の授業改善の進み具合についてお話いただく。

授業改善の進み具合

コロナに対応できてきた

 コロナ禍で痛手を受けたことの一つが、各校が取り組む授業研究の発表会(報告会)だろう。公開授業の取りやめ、参観者数制限、オンライン併用など、苦心の運営を強いられた。それでも授業公開や授業後の協議会は授業力向上のための貴重な機会であり、厳しい制限の中でもICTを駆使したオンライン研究会も実施されて(授業の生中継もあった)、授業改善の歩みそのものは止まっていなかったのではないかと思う。実際はどうだったのか、そこから伺う。

 ── 私たちは研究会の参観が困難だったため、ほぼオンライン参加でしたが、パソコン(PC)を通して田村先生のお話(講演)はしばしば聞かせていただきました。
 今年度(令和3年度)も多くの学校・授業をご覧になっておられましたが、小・中学校の授業改善の進み具合はいかがでしょうか。学習指導要領全面実施のタイミングは、大きくコロナの影響を受けてしまいましたが、それまで取り組んできた授業改善が滞ったというようなことはありませんでしたか。

田村 確かに授業改善モードに水を差されたということはありました。授業中の対話は禁止みたいな状況もありましたね。でも、今年度はコロナへの対応の仕方に少し知見が手に入ったというか、ここに気をつければここまではやれるということがわかってきて、子供同士の話し合いや対話もできるようになってきました。その意味では、前年度に比べると授業改善や学習指導要領が示す方向に向かって取り組もうというモードが正常化してきたように思います。
 今年度は、とりわけ印象的なのが中学校の動きです。コロナ禍ではあったけれど、授業改善に集中しなくてはいけないみたいな雰囲気になっています。
 授業改善で一歩先行していた小学校で大きかったのは、GIGAスクール構想ですね。ICTを活用して授業を変えたり、見つめ直したりという動きになってきています。

 ── あっという間に“一人1台”ですから、使わないわけにはいきませんね。本当に児童の机の上にはノートも鉛筆もなくタブレット端末だけ、という授業も見ました。

田村 もう一つは学習評価です。国もきちんと示したので、学習評価をちゃんとやりましょうという動きになってきました。
 コロナに対応できるようになったこと、GIGAスクール、学習評価、今年度はこれが学校の背中を押してくれたように思います。

生徒の変容を実感できれば

 ── 中学校が授業改善に集中してきたのは、コロナ禍とはいえ学習指導要領がスタートしたからでしょうか。生徒の姿に変容が見られて、それがモチベーションを上げたという要素もあるのでしょうか。

田村 学習指導要領の全面実施というのは当然あります。でもそれだけでは、長くは続かないです。生徒が変わるとか授業の様子が違うとか、それを実感し、手応えをつかんだときに、取組が本物になり、持続性とか継続性につながっていきます。

 ── 数少ない参観例しかないのですが、例えば、本誌でも紹介した京都市立下京中学校の授業でも(Vol.8)、アクティブ・ラーニング(AL)によって、生徒が楽しそうに学んでいるという印象を受けました。

田村 下京中学校の先生方も、最初からみんなが積極的だったわけではないかもしれません。「ALだ、対話を大事にしよう」と取り組んだとき、ある先生が「なぜこんなことをやらなければいけないの?」と疑問を持ったようです。だけど、実際の授業で、生徒同士の話し合いをしてから感想を書いたら、それまでの授業の何倍も書いてあって、しかも中身もいいと。それを見て「あ、こうやって授業を変えていかなければいけないのだ」と納得したというエピソードを聞けました。

 ── 専門性が高いことに自負があると、「なんでこんなこと?」と思う教師もいるでしょうね。でも、とにかくやってみると、従来の授業にない手応えがあるわけですね。

田村 教師にとっては生徒の変容を実感できるかどうかが重要なポイントです。それをつかめれば、いい方向に動いていく可能性は大きいと思います。

 ── 田村先生が全国の様々な機会にお話をされて、ALが浸透してきていると感じるようになって以来、記事には「子供たちが授業を受ける」ではなく「楽しそうに授業に参加する」という書き方をしてきました。こんな児童・生徒に授業をすることは、教師も楽しいだろうなと思います。

田村 それは指導している先生が一番感じるところです。
 もう十数年前の話になるのですが、福井県の高等学校の国語の先生が、当時の高校では珍しく総合的な学習の時間に熱心に取り組んでいました。理由をたずねると、彼は「多くの教師は今の授業に閉塞感を感じていると思うよ」と言うのです。教師が一方的にしゃべって、生徒はつまらなそうな顔で聞いている、居眠りしている生徒もいる。「それでいいと思っているわけではないのだよね。だから総合を」とおっしゃる。総合を通してALをやることで、生徒から「おもしろい。もっとやろう!」「次はどうする?」という声が聞こえてくることは、指導者とすれば、ひと味違う手応えになります。

 ── 本当に今が、閉塞感を打ち破る絶好のチャンスですね。

対話的な学びの質を上げる

「先生の話も聞きたい」

 ── 授業改善が進み子供同士の対話が普通に行われている授業を参観して、それがさらに深い学びにつながっていくように、対話の質を上げていきたいと思うことがあります。昨年11月に下京中学校の授業研究報告会(田村先生が講師を務められた)をオンラインで参観しました。国語の授業でしたが、その先生は生徒同士の対話を隣同士の相談にとどめて、メインは教科書の文章との対話(しっかり読む)、教師と生徒との対話で授業を進めていました。それを見て、こうやると学びに深みが出るように感じました。子供たち同士の対話はもちろん大事ですが、それだけではないなと、改めて思いました。

田村 ALとか対話とかいわれると、授業中の生徒同士の話し合いがすぐに思い浮かびます。先ほどの“閉塞感があるチョーク&トークの授業”を転換する意味では、そのイメージは悪くない。だけど、では授業中ずっと生徒がしゃべり続けていれば学びの質が高まるかといえば、それは怪しい。展開や場面によっては、違うタイプの対話を入れる必要があります。それが教師との対話であったり、資料だとか教科書との対話であったり、あるいは自分自身との対話ですね。それを授業の中でうまくコントロールして、どう位置づけていくかということになります。
 姫路の中学校で、授業を見せていただいた後、生徒に聞いたら「生徒同士の話し合いはさせてほしい。交流は楽しい」と言うのです。だからといって、ずっと話し合っていたいわけではなくて「先生の話を聞く時間もほしい」と言います。「自分で考える時間も必要です」という話もする。しかも、優先順位が高いのは「先生の話を聞くことかな」とも言うのです。
 きちんと説明してもらうとか、学習内容をわかりやすく説明してもらうとか、自分が問いかけて答えてもらえる。学習内容を正しく理解して本当の力がつき、話し合い自体の質が高まるためには、そういうことが必要だと、生徒たちもわかっているのですね。別の中学校の生徒たちも、同様のことを言っていました。

 ── 生徒が自分たちの学びや授業についてコメントできるのはすごいですね。それこそ学習者のほうに「このために学んでいる」という自覚がないと、授業も有効な時間になりませんね。

田村 対話しているときだって、その自覚を持っているか、それを実現するために話し合おうという意思を持っているか、それがあるときっと深い学びになっていきます。

知識を得る過程と連動してこそ

 ── 教師のほうも、従来とは異なる観点での授業づくり、授業力向上が求められるのではないでしょうか。

田村 かつては、45分間、50分間、教科書に書かれたことをわかりやすく説明すればよかった時代があったかもしれません。でも、今はそうではない。教師が説明し、知識を与えたら、子供たちがそれを使って意見を交換し、自分なりの考えを作り、問いに対する答えを見つけ出すことになるわけですね。教師が与えた情報が有効であれば生徒たちのディスカッションは活性化するし、過剰に与えすぎると話し合ってもしょうがないことになる。そういったことを教師がうまくコントロールしていきます。

 ── 変な話ですが、面白味はなくても、やっぱりチョーク&トークのほうが楽だと考える教師もいるかもしれませんね。

田村 実は、子供たちが話し合いを通して得た知識や答えは、もしかすると教師が初めから説明することができたのかもしれません。でも、子供たちがそこで獲得した知識は、教えられた知識とは違うものです。自分たちが考え、話し合いながら生み出した知識は、その過程と連動して、非常に駆動するというか、機能する知識になっています。

 ── 仮に、入学試験のためにとにかく知識量が必要なら、一方的に教え込んだほうが効率的ですが、そうやって得た知識は、入試をクリアしたとたんにどこかにいってしまいます。自分たちの時代の経験ですが。そこのひと手間ですね。

田村 知識の生成過程ごと学び手に委ねないと、得られたものが実際に使えるものにはなりにくいと思います。
 ですから教師は、何を子供に用意し、どんなシチュエーションを設定すれば知識の生成過程がより豊かになるのかを考える。得た知識を自覚し、より有効にするために、最終的には文字言語による振り返りを行う。そういうイメージを持って授業づくりをやっていけば、いわゆる導入・展開・終末、教師の指導、子供の学び合い、まとめそれぞれの機能がはっきりしてくる。だんだんそういう授業が行われるようになってきているようです。
 授業者はとにかく導入のところで、子供たちが「今日は何をするのかな」「どんな目的でやるのかな」ということを自覚できて、「よし、やってみよう」と思う状況を作ることが大事です。それが繰り返されると、子供たちの中に学びに向かう姿勢が安定的に育っていくだろうと思います。

つづく
(次回は、「ICT活用」、「個別最適と協働的な学び」等について伺います。)