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教育ジャーナル Vol.11

学習指導要領と日本型学校教育(2)
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

ICTの活用、個別最適な学び… 教師はどう向き合えばいいのか

学習指導要領と日本型学校教育(2)
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

ICTの活用、個別最適な学び… 教師はどう向き合えばいいのか

渡辺 研 教育ジャーナリスト

新しい学習指導要領は、小学校も中学校も、そしてとうとう高等学校まで、コロナ禍でのスタートになった。
 でも、そのせいで学校教育が停滞したとは聞こえてこない。令和3 年度も、歩み続けるたくさんの学校を訪れ、頑張る子供たちや教師の姿を見てこられた田村学教授(國學院大學)に、授業改善の進み具合や気にかかる“個別最適な学び・協働的な学び” と主体的・対話的で深い学びとの関係などについてのインタビューの模様を、3回に分けて紹介する。
 第2回目の今回は、授業改善へのICT活用や個別最適な学びと協働的な学び等についてお話いただく。

授業改善とICTの有効活用

「独り」の学びにならないように

 もはや、授業の中での活用が必須のICT。田村先生のお話は、そのことへの危惧から始まった。いくら“一人1台端末”が実現したからといって、懸念される課題がないわけはなく、それなら早いうちに直視し、改善策を意識しておきたい。

田村 対話のところでちょっと気をつけないといけないのは、一人1台端末が入ってきたことです。どうしてもそこに目が向くので、一人一人の個別学習が増える傾向が出てくるのではないかと思うのです。

 ── まして、個別最適な学びとかいわれて、どうしてもそこにも意識がいきます。

田村 端末を使って教材との対話ができて、オンライン上で他者との対話が成り立っていればいいのですが、本当に“独り”だけに閉じてしまうと、多様な考えを交わし合う対話の意義が疎外されてしまう。対話は、ただ話し合っているだけではなくて、それを通じて教師との関係や友達との関係を大事にするためのものでもあるのです。

 ── ただでさえコロナ禍で、コミュニケーションが取りづらい状況ですからね。

田村 リアルな関わりよりデジタルのほうがいいという子もいると思います。でも、一人で端末に向かったとしても、端末の先にいる多様な人々とつながりが持てて、対話なりコミュニケーションが成り立っているか。そこがGIGAスクール構想の大事な点ではないでしょうか。
 授業研究会もリモートでできる時代なので、対話的な学びはデジタルでもできるし、教室内どころではなく、時間も空間も超えられるので、さらに多様な考えに出合えて、学びも豊かになるはずです。そこにいく前ですよね、タブレットの中だけで閉じてしまうとか、オンライン上でドリルの繰り返しになってしまうとか、そこは気をつけたいですね。

 ── ICT活用は飛躍的に進んだようですが、使い慣れたら「何にどう使うか」などに工夫が要りますね。資料提示やグループ活動のホワイトボード代わりならまだしも、弊害もないわけではないようなので。

田村 スキルが上がって、子供たちの認識もそういう形になってきて、端末同士でつながって「あの子はこんなふうに考えている」といったやりとりができればいいですが、そこにいくまでにはやはり一定の経験が必要ですよね。
 現状では、「せっかく環境整備がされたのだから、とにかく使わなければ」というところがあります。そうすると、調べるところで使おうとか、導入でも使おう、まとめるときに使えるとか、力のある先生なら話し合いのときにも使おうとか。

 ── 学力調査の質問紙でも、ICT活用についてはかなり質問していました(9項目)。どのくらい使ったか、どう使ったかと質問されると、学校はかなりのプレッシャーになりますね。当然、教育委員会からも活用状況の調査はあるのでしょうから。

田村 そのために、とにかく使おうとなると、一方で、もしかするとそれによって失われるものがあるのではないかという不安もあります。この話は、改めてどこかでしなければならないと思っています。

まずは教師が必要な情報を選別

 ── 学校にはかつてない状況なので、せかされても焦らずにICT導入・活用の全体像を描いてから、確実にスタートしてほしいと思います。関連して、少し視点を変えたお話を聞かせてください。
 ICTを活用することで、子供たちが得られる情報は桁違いに増えます。当然、その中には、取り組んでいる課題に役立たないものや、偽情報のようなものも含まれます。大人でもその見分けは容易ではありませんが、学校では子供たちにどういう指導なり対処をしていけばいいのでしょうか。

田村 授業の中にICTが入ってくることによって、子供たちが獲得できる情報量や知識量は、これまでに比べて量的にも質的にも膨大になります。得た情報には重要なものもあればそうでないものもあり、確かな情報もあれば不確かな情報もある。そこから適切なものを選択するとか、より確かな情報を手に入れる力を育てる必要があります。それは情報活用能力という話になりますね。

 ── 学習指導要領には「情報活用能力の育成を図るため~情報手段を活用するために必要な環境を整え」と書かれて、まだ先の話のようでしたが、あっという間にリアルな課題になってしまいました。こうなると、活用と育成を同時進行で進めていかなければならないかもしれませんね。

田村 確かに、子供たちも簡単に情報や知識を得られる環境になり、それを使いこなしていくとなると、重要な知識を選別できなければならなくなります。だけど、「得た情報を教科の学習に活用する」という局面を考えるならば、あまりにも多様であったり、まして必要のない情報や知識まで提示したりするのではなく、授業で扱う内容につながりがあるもの、筋が通るものを教師が意識して用意することが大事です。
 必要な情報を教師がきちんと選別した上で示す。あるいは、あまり使えない情報も少しだけ混ぜておいて、そこから必要なものを選択するトレーニングをやってみることも大事かもしれません。もっと混沌とした中から必要な情報を拾い出す練習もしたいところですが、それは総合的な学習の時間でやるといいと思いますよ。

 ── 総合はネットの検索だけではなく、実際に取材やインタビューも行って、集めた素材の中のどれが重要なのかを判断するようなことも、学習に含まれますね。予想と違って振り出しに戻ることもあるでしょう。

田村 総合はそういう“行きつ、戻りつ”がむしろ重要なので、それでいいのです。情報を集めたものの、どれも使えなかったら探し直せばいい。探究としてはそれ自体に価値があります。
 だけど、教科学習の場合は、情報の選択に時間をかけすぎると、本来、その教科で獲得してほしいことに行き着けなくなるので、そこはスッキリさせておく必要があります。
 習得に向かう教科の学習と、探究に向かう学びの場面の違いを、教師は自覚しておく必要があります。

 ── それぞれでのICTの活用の仕方も、なんとなくイメージできます。

田村 昨年1月に出された答申「令和の日本型学校教育の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」の「子供の学び」のところに「指導の個別化」と「学習の個性化」が出てきました。
「指導の個別化」はどちらかというと習得的なことが書かれていて、「学習の個性化」は探究的なことが書かれている。そういうふうに読み解くとわかりやすいのではないかと思います。
 きれいに分けてしまうのもどうかと思いますが、そういう感じで、両者を自覚して実現していく。習得のほうにはAIドリルのようなものが入ってきて、より個別に学んでいくことができるでしょう。一方、探究のほうは、自分が興味や関心があることを学んでいく。ただ、「どちらも協働が大事ですよ」というのが、答申の“キモ”になっています。

 ──「個別最適な学び」と「協働的な学び」については、この後、さらに深掘りをお願いします。

個別最適・協働的な学び

習得と探究と考えてみる

 答申には次のように書かれている。
<〇「指導の個別化」と「学習の個性化」を教師の視点から整理した概念が「個に応じた指導」であり、この「個に応じた指導」を学習者視点から整理した概念が「個別最適な学び」である。
〇「個別最適な学び」が「孤立した学び」に陥らないように、(中略)必要な資質・能力を育成する「協働的な学び」を充実することも重要である。>
 

 ──「新しい学習指導要領が、さあ、スタートだ」「授業改善に集中しよう」というときにこの答申が出されて、「このタイミングでまた新しい概念?」と思いました。
「個別最適な学びと協働的な学びを一体的に充実」とか、主体的・対話的で深い学びとの関係とか書かれていますが、実践する教師としては、具体的にどんなイメージを持てばいいのでしょうか。

田村 先ほどお話したように、やや乱暴ではありますが、個別最適な学びを習得(指導の個別化)と探究(学習の個性化)と考えると、まずはわかりやすいと思います。そして協働的な学びは、習得においても探究においても、一人で学ぶのではなく、他者がいたほうがいい、仲間がいたほうがいいですよという話です。
 習得においては、一人でドリルの勉強をやっていても悪くはないし、ある程度のものは身につきます。でも習得においても、友達に教えてもらうことで、「あ、よくわかった」ということもあるし、教えることで自分の知識の定着が確かになります。それが習得における他者性です。習得も常に一人ではなくて、同じような勉強をしている仲間がいて、教え合いが行われることで、習得の質はPC上で行っているより上がると思います。
 習得はどちらかといえば個別の感じはありますが、一方の探究は、他者性をかなり強調しやすいですよね。
 例えば、興味を持ったことを調査するときに、仲間がいていろいろ違う考えや異なる視点があって「さあ、どうする?」と話し合いながらやっていくと、より質の高い結果が出そうだということは、想像できるのではないですか。そもそも問いを持つときも、情報を集めるときも、たくさんの情報を仕分けして分析するときも、最終的に表現するときも、多様な視点があり、協力し合ったほうがより質が高くなる。探究には協働という他者性があったほうが、学びが豊かになります。
 ですから、個別最適な学びにおける習得や探究においても、一人よりも仲間がいたほうが豊かになるだろうというのが、「『個別最適な学び』と『協働的な学び』の一体的な充実」という話だと理解しておけばいいと思います。
 実はこれは、これまでも日本の学校が丁寧にやってきたことだと思うのですよ。

子供一人一人に応じた指導

 ── 答申を通して読むと、「日本の学校では子供一人一人に応じた教育をやってきました」と書いてあって、その流れの中で個別最適が出てきます。そもそも学校ではそういうことは何十年も前からやってきたはずで、全く目新しい話がいきなり登場したわけではないのですね。

田村「一人一人の子供に応じた指導を、ちゃんとやっていこう」と教師の側から言っていました。それを子供の視点に立って個別最適な学びを考えようということですから、教師は「これまでやってきた一人一人に応じた指導をしましょう」でいいと思います。大きな文脈としては、これまでの学校が大事にしてきたことを、これからも大事にしていきましょうということです。

 ──「そうだったのですか!」という感じです。言葉を見ると、「それじゃ足りない。もっともっと」と言われているような印象を受けました。

田村 頭に「令和の」と付いていますね。令和になったので、もう少しレンジを広げましょう、より子供の多様性に応じましょうという話です。その多様性というのが、特別な支援が必要な子や“特定分野に特異な才能のある児童生徒(ギフテッド)”まで広がりました。でも、それではあまりにも幅が広いので、まずは学級の子供たち一人一人の興味・関心だとか、技能の差だとか、理解度とか、学び方の方略の違いとか、こういったことに意を向けて教材を用意するということだと思います。現実的には。

 ── そういったことも、これまでやられてはいましたよね。

田村 先生が一生懸命、難易度の異なる何種類ものプリントを用意していましたね。それが今度はデジタル化されて、ウェブサイト上で容易に手に入る状態になりました。

 ── 子供たちはそこにアクセスして自分に合った素材で学習する。ICT活用が前提になっていますね。先生方も「いやあ、やっぱり手づくりじゃないと……」などと言わずに大いに活用してほしいです。
 ところで、全国学力・学習状況調査の児童生徒質問紙では、さっそくこれが取り上げられていました(※Q35 前年度までに受けた授業は、自分に合った教え方、教材、学習時間などになっていましたか)。
 先生にはプレッシャーかもしれません。

主体・対話・深いに個別を意識

田村 個別最適の前にあったのが、「主体的・対話的で深い学び」でしたね。

 ── その関係性を是非。

田村 この両者が全く違うものだと考えないほうがいいです。そんなふうに考えると、「今までやってきたことは、なんだったんだ」ということになります。
 簡単にいえば、資質・能力の育成という大命題は変わりません。だから、目指すところは同じ、そこに向かうことも共通です。
 では、違いは何か。AL、能動的な学習にウエイトを置いたときには主体・対話・深いというワードが重要です。それをもう少しアダプティブ・ラーニング(適応型学習)、一人一人に応じた学習を強調したときには個別最適と協働が出てきた。
 そういうことなので、主体・対話・深いを、もう少し一人一人に応じて、レンジを広く捉えてやっていこう、個別最適、協働といっても、主体・対話・深いは欠かさずやっていこうということだと思います。

 ── 主体・対話・深いも、ある意味では協働的に学んでいますね。

田村 両者を比べると、対話的な学びと協働的な学びはシンクロしますが、主体的な学びが個別最適や協働の中では少し薄れる感じがします。ですから、子供自らが自分の意思でとか、自覚的にとか、興味を持ってとか、そこのところの意識を忘れないようにしなければいけない。それとともに、「孤立した学びにならないように協働的な学びが必要」といっているものの、そこにGIGAがくっついてくるので、本質的な対話が失われないようにしなければいけない。同じとはいっても、気をつけておかなければならない部分が生じていますよね。ですから、主体・対話・深いという考えは大事にしておいて、そこにもう少し“個別”ということを意識していくという感じがいいと思います。

 ── “最適”だけ意識すると、教師一人に子供35人ではかなり困難な話ですね。せっかく授業改善を進めて、子供も教師も学ぶことが楽しいなと思ってきたのですから、まずはそれを継続していけばいいのですね。

田村 先生たちが、やっている仕事に満足感とか達成感とか、それを感じないことには継続性がないですからね。そこを大事にしていかないと。

 ── 日本型学校教育は、教師の使命感とともに、満足感や達成感に支えられてきたと思います。実際に主体・対話・深い、個別最適と協働を実践していく現場の先生方にはわかりやすく、不安を払拭していただけるお話が伺えました。ありがとうございました。
(つづく)


 次回は、高等学校の「探究(総合的な探究の時間)」のお話を伺う。かなり画期的なことが高校で起こっており、間違いなくそれは、中学校や小学校によい影響を及ぼす。大学入試の共通テストも受験生を混乱させるほどの変化を見せた。学校教育が面白いことになりそうだ。