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教育ジャーナル Vol.12-1

学習指導要領と日本型学校教育(3)
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

なぜ、今、高等学校では「探究」なのか

学習指導要領と日本型学校教育(3)
~國學院大學 田村学教授インタビュー~

なぜ、今、高等学校では「探究」なのか

渡辺 研 教育ジャーナリスト

高等学校では、ここ数年「探究」に注目が集まっていた。
総合的な学習の時間が総合的な探究の時間になり、さらに、地理・歴史にも地理探究、日本史探究、世界史探究が誕生した(ほかにも古典探究、理数探究)。
どう学習を進めればよいのか、教師たちはいやでも気にかかる。
なぜ、今、探究なのか。どんな背景があるのか。
小・中学校の総合で、すでに探究的な学びを経験してきた高校生の学びにどんな影響があるのか。
田村学教授(國學院大學)は、創設時から「総合的な学習の時間=探究的な学び」を学校教育に根づかせるために尽力してこられた。インタビュー続編として“なぜ”や“どんな”を伺った。

「探究」と「総合」の違い

 高等学校で「探究」が注目されている。どう進めていくか、というセミナーも行われている。なぜなのだろう。
 高等学校学習指導要領解説の「総合的な探究の時間編」の第2章(総合的な探究の時間の特質)にはこう書かれている。
<(名称が変更された)このことは、総合的な学習の時間と総合的な探究の時間には共通性と連続性があるとともに、一部異なる特質があることを意味している。そのことが最も端的に表れているのは、第1の目標である。>
 そして「学習」と「探究」のそれぞれの目標が並べて書かれている。こんな具合だ。
●総合的な学習の時間=探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。(後略)
●総合的な探究の時間=探究の見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。(後略)
 両者の違いは次のように説明されている。
<生徒の発達の段階において求められる探究の姿と関わっており、課題と自分自身との関係で考えることができる。総合的な学習の時間は、課題を解決することで自己の生き方を考えていく学びであるのに対して、総合的な探究の時間は、自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し、解決していくような学びを展開していく。>
 この目標に共鳴して、高校では20年間も軽視されてきた総合的な学習の時間が、にわかに脚光を浴びてきたとも思えない。その背景を田村先生に伺う。
 実は、前号でお話いただいた授業改善や個別最適な学びとつながっている、と田村先生はおっしゃる。確かに「探究」「協働的な学び」「情報活用能力」といった言葉は総合につながっていく。

高等学校の「探究」

社会的な変化に探究が“はまった”

 ── 今になって盛り上がってきたのは、どうしてなのでしょうか。「学習」から「探究」の時間に名称が変わるとともに、学びの内容が画期的に変化したのでしょうか。

田村 高等学校の先生方は「総合的な探究の時間に変わりましたから」とおっしゃるのですが、中身は大きくは変えていないわけです。僕にしてみれば、これまでと一緒だと思っているのですけれど、「変わった」とおっしゃるので……。そう思って探究を頑張っていただければいいわけです。

 ── ここは表記としては「笑」と入れるところですね。

田村「なぜなのか」といえば、学習指導要領が変わったということは一つありますね。後は、背景として社会的な変化が大きいと思います。
 大学入試が変わろうとしている動きがずっとあったので、今までのような学習スタイルでは、よくはないだろうという状況が生まれているのではないでしょうか。入試対策として大量の知識を詰め込んで暗記させればいいというわけにはいかなくなるので、育てるべき力が変わってきているということがあると思います。

 ── 長年、日本の中・高校生は詰め込んだ知識を入試で使いきってしまうといわれてきました。先行して着手した「高大接続改革」が、学習指導要領や授業改善に追いつかれてしまいましたが、遅ればせながら影響が表れてきたようですね。

田村 それと、コロナが象徴的ですが、自分たちで問題が解決できるような力を身につけないとだめなのだということが見えてきた。若い世代の教師には、さらにそれらが伝わったのではないでしょうか。

 ── これからの時代を担っていく子供たちが、世の中には入試用の知識だけでは解決できない課題だらけだと実感しました。

田村 当事者の子供たちも変化を求め始めていて、その象徴みたいなところにSDGsがある。STEAMもそうです。そんな社会的な追い風もあって、学校としても、どうも変わらなければいけないという空気になってきた。そこに「探究」というワードが非常にはまりやすかったのでしょうね。

 ──「教える」とか「覚える」とかだけでは、問題解決の力は育ちませんね。

田村 高校生がどんどん社会的なアクションを起こしているし、それを推進する動きも大きいですからね。

学校の特色を教育課程に反映

 そこにさらに、高等学校自体の在り方の変化も加わってきている。 

田村 国が、各高等学校が自立するような方向を示しているわけです。“スクールミッションを明示しなさい”とか、“普通科にもっと特色を出してください”とか、そういう話になっていますよね。
 そういうこととも連動します。

 ── 本誌でも普通科に設置された「教育コース」を取り上げたことがあります(愛知県立豊橋南高校)。

田村 単に「探究」という時間ができたというだけではなく、「探究」を学校の教育課程のコアを担うものとして、これを工夫することによって、学校の特色をカリキュラム上に出せるということが大きいと思うのです。

 ── なるほど。高校の普通科といえば私学も含めて、特に大学進学に目標をおいた学校だと、程度の差はあってもどこも同じような内容の学習をやっていました。

田村 スクールアイデンティティーといわれて、自校の固有性を出すために行われてきたことってなんでしたか? 例えば、制服のデザインとか、校舎や設備とか、あるいは部活動が強いとか、そういうことだったのではないでしょうか。

 ── 私学に対抗して、大学進学実績を打ち出した公立校もありました。

田村 でも、もはやそういう話ではなくて、学校の個性を出すのは教育課程なのだ、カリキュラムなのだ、と理解されてきたのだと思います。
 各教科・科目においては、国がスタンダードを出しているので、そこに固有性を出すとしてもごく僅かです。そうすると「探究」にある程度のウエイトを置いて、カリキュラムを独自のものにしていくという動きが進んでくることになる。少子化の中で、高等学校も生き残りをかけた問題になってきているので、そういったことも追い風になっているのだと思いますね。

 ── 学校としては本質的な特色ですね。

生徒たち自身からの要望

 ── 高校生自身のお話がありましたが、社会性に目覚めた生徒たちにとっては、面白い学びになってきましたね。まして、生徒は小・中学校の総合では探究的な学びを経験してきたわけですから。

田村 生徒たちは小・中学生以上に楽しいはずですよ。高校生ともなれば社会と関わることへの意識は高いし、よりダイナミックに地域を巻きこんだ活動ができる。当然、得られる手応えや満足感も大きい。面白い学びだと思うでしょうね。 

 ── 在学中に選挙権を得て投票する生徒もいるわけですし、「未来は自分たちが……」という意識ももつようになりますね。

田村 はっきりと「探究的な学びをさせてほしい」と発言する高校生たちも現れてきていますからね。10年くらい前は、高校生に話を聞いても「探究は面白かったです」という程度の感想でしたが、今では「自分たちに探究という学びをさせてくれないと、自分たちの将来は……」ですからね。「自分たちにも教育についての意見を述べさせてくれ」とは、すごいことだと思いますよ。

 ── もともと、環境問題や持続可能な開発には、若い層のほうが関心や意識が高いですからね。それに、探究のプロセスを身につけておくことそのものが、彼らが将来、未知の課題の解決策を見つけようとするときに役立ちますね。

田村 子供たちが物事を学ぶときに、これまでは教師から教えてもらってばかりいた。言葉は悪いですが、敷いてもらったレールの上を走っていると、最終的には入試のための知識が得られたといった感じでした。しかし、それが絶対ではないとわかってきた。
 そうすると、自分でどの道をどう走っていけばいいのかというところから考えていかなければならない。そのときに、「課題設定」「情報収集」「整理・分析」「まとめ・表現」という、4つに整理した探究のプロセスがわかりやすいのだと思います。これをどの教科でも使えるものとして子供たちがもっていると、とても役に立ちます。

 ── 教師が総合を進めるに当たって意識するだけでなく、学習者がこのプロセスを意識して身につけておくのですね。

学びのプロセスに目が向いた

 ── 学習指導要領改訂の論議のどこかの時点で「学び方を学ぶ(身につける)」という表現があったように思うのですが、“卒業後”を考えると、それは汎用的な力としてかなり大事だと思いました。

田村 最終的には学習者は自立しなければならない。常に先生がついていて教えてくれるわけではない。しかも、社会で起きる課題は教科ごとに分かれていなくて混沌としており、そこで問題解決ができなければならないわけです。ですから、学び方として汎用性のあるベーシックな問題解決のプロセスを獲得しておくことはすごく大事です。4つのプロセスを学び手が自覚できているのは重要なことだと思います。

 ── それこそ学習者視点の「どのように学ぶか」「何ができるようになるか」ですね。

田村 過去においては、学校ではそういうことは経験せずに、教科の知識だけを覚えて社会に出ていました。問題を解決する力は、何年かかけてなんとなく身につけていました。
 逆にいうと、これまで学校や先生はそういったことを教えるノウハウをもっていなかったし、プロセスを自覚せずに指導をしていたと思うのですね。あまり過程を気にせずに、最後の知識だけを教えていればよかった。でも、ここにきて、途中が気になってきたわけです、プロセスが大事だと。途中で何をするかが、社会で活用できる力だということがわかってきた。途中に目が向いたら、学び方としての探究のプロセスが見えてきて、それを使えばいろいろなことができる。そこでICTも効いてくるわけですよ。

 ── 順番としてはそうですね。

田村 逆にするとICTに振り回されます。学び方を学んで学習者として自立したときに、ICTが便利な道具として使えます。
 そうなってくると、探究のプロセスを獲得しておくことは、総合だけではなくて個別最適な学びにも影響してきます。

 ── 総合的な学習の時間が小・中学校に理解され、定着するのには10年がかかり、高校ではさらに10年。教育とはそういうものなのでしょうか。締めくくりに、学習指導要領の実施状況を見渡して、気にかかるような点がありましたら、教えてください。

田村 これまでと比べて、今回は高等学校が非常に動いた。ALや探究という言葉が響いたのか、画期的だと思います。探究とか、深い学びとかは、高校の先生のほうが得意なのではないかと思います。「小・中学校は総合だけど、高校は探究」としたことも、高校の先生方をくすぐったのかもしれません。

 ── 冒頭(前回)でご紹介いただいたように、高校の先生方の感じていた閉塞感に風穴を開けるきっかけにもなったわけですね。

田村 小学校の動きはいつも早く、中学校が陥没するのではないかと心配したのですが、いよいよ動いてきた。そういう状況なので、全体としてはある程度、期待する方向に動いているのではないかと思います。高等学校の授業改善や探究は、義務教育のほうにも好ましい影響があるはずです。同じステージで校種を超えた議論が進んでいるという感じもしますね。

 ── 2年続くコロナ禍でも学校は停滞していないことがわかって、ひとまず安心しました。貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

※  ※  ※  ※

 一方で田村先生は「いろいろ気になることもあります」とおっしゃっていた。インタビューでも「デジタルとアナログ」の関係に触れておられた(前号記事)。
 コロナ禍は続いているが、今年度も、そうした点を含めて全国各地で田村先生が講演される機会も多く、たくさんの先生方が共に考え、議論する機会も多いと思う。ぜひ、課題の改善に努めていただきたい。