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教育ジャーナル Vol.17-4
特別座談会 社会に開かれた学び
多様性×学校教育
「多様性」の現状、学校での取組①【全4回】
特別座談会 社会に開かれた学び
多様性×学校教育
「多様性」の現状、学校での取組①【全4回】
■物部博文教授(横浜国立大学教育学部)
■髙木信俊先生/リモート参加(東大阪市立鴻池東小学校)
■中島潤さん(認定NPO 法人ReBit)
※所属、肩書は座談会開催時のものです。
グローバル化や価値観の多様化が進む中、共生社会の実現に向けて、ダイバーシティ教育、インクルーシブ教育が推進されています。また、Society5.0 *時代の到来を見据え、学校教育の変革が求められ、誰一人取り残すことのない「令和の日本型学校教育」の構築を目指す上でも、多様性は重要な課題となっています。
そこで教育現場に立つ先生方と、LGBTQ を切り口とした多様性やキャリア教育の研修を行っている中島潤さんに、幅広い角度からお話を伺いました。4回に分けてお届けします。
※Society5.0:サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)が融合したテクノロジーを活用し、さまざまな社会問題の解決と経済発展を実現する社会のこと。
進行・文/岡本侑子
「多様性」の理解・受容は
子どもたちのほうが柔軟
――児童、生徒、保護者などとのかかわりの中で感じられる「多様性」について、それぞれの立場から率直にお話を聞かせてください。
物部 私は大学で、保健体育科の専任教員及び小学校教諭を目指す学生に保健を指導しています。2022年4月から本学ダイバーシティ推進本部のバリアフリー推進部門長を務めており、特に障がいがある学生の支援、LGBTQにかかわる啓発、オープンキャンパスなどのイベントを通したダイバーシティ推進活動を行っています。
また、ダイバーシティ概論の授業では、視覚・聴覚障がいのあるパラトライアスリートの中田鈴子さんにご協力いただき、彼女と彼女を支援するスポンサーやスタッフの皆さんからお話を聞く機会を得られました。
もう一つ、私にとって印象深い経験として、中学校に通う肢体不自由の双子の生徒たちとの水泳の支援を通じた交流がまず思い浮かびます。自らも頸椎損傷で車いすに乗って生活をしている高野先生の、双子の生徒に対するインクルーシブ体育への取組です。中学生ですから、今後の進路を考えるわけですが、それまで当然のように「卒業したら特別支援学校へ進むだろう」と思っていたのが、この経験をきっかけに普通科の高校へ進学し、大学にも行きたいという気持ちに変わりました。二人の変容を目の当たりにしてうれしかったと同時に、このような経験がないため、自らの可能性を広げられないケースがたくさんあるのではないかと感じました。
私自身を含めて誰一人完璧な人はいません。互いのよさや違いを認め合える社会をつくっていく観点で、学校現場や教員や学生に接することが多いのですが、実際には、子どもたちのほうが多様性についての理解が進んでいるように感じます。
中学生や高校生と話をしていると、友達の中にLGBTQの人もいますが、それが特別なことではなく、普通のこととして認め合っている様子が感じられます。むしろ、我々世代のほうが変われていないのではないかと思います。時代がどんどん変化する中で、柔軟に対応できているのは若い世代ではないかと感じます。
髙木 私が勤務している学校は、1クラスに1、2名、外国にルーツのある児童が在籍しています。今まで勤めていた学校では、日本語がほとんど話せない状態で編入する児童もいたので、言葉が通じない、生活習慣への考え方が違うなど、子どもたちの間にズレが起きているのを感じることがあり、多様性に関しては、道徳の授業を中心として積極的に取り扱っています。
以前、4年生を担任していたときに、中国から編入してきた子がいました。はじめは言葉が通じないことでいろいろなトラブルが起きましたが、様子を観察していると、身ぶり手ぶりでコミュニケーションを取ろうとしたり、外国の言葉を知ろうとしたりする姿が見られました。物部先生のお話のように、子どもたちのほうが積極的にお互いを認め合い、受け入れようとしているように感じます。
一方で、今の国際情勢が子どもたちの考え方に反映されている様子も見られ、家庭での会話やニュースなどから得る情報の影響が大きいように思います。クラスでの子どもたちの発言に課題が見られ、非常に難しいと感じます。
小学校では保護者の方とかかわる機会も多く、外国籍の家庭の場合、例えば、卒業証書を作成する際に名前の表記について保護者と確認をするのですが、名前だけで周りから差別的な言動を受けることがあるという話を聞きます。保護者から、本名を使いたくても使えない難しさやつらさの中で生活している話を聞くと、多様性を受け入れ、誰もが住みやすい社会について、子どもたちと考えていく重要性を感じます。
多様性――私たち大人はどうなのか?
中島 私たちReBit(リビット)は、性の多様性を切り口としながら子どもたちとともに多様性を考える学びを、出張授業や教材の提供という形でお届けしています。物部先生、髙木先生のお話を聞きながら多様性について考えたときに、とても重要だと思ったのは〝みんなのことが前提である〟ということです。
障がいや外国ルーツという切り口は明確なテーマで、教育現場の中でも比較的理解しやすい多様性であると思いますが、そもそも「多様性って何?」ということを子どもたちに伝えたり、問いかけたりするときに、我々が互いに気づきやすい違いだけでなく、見えていない部分、互いに気づかない違いもあるわけです。
例えば、価値観の違いや家族の在り方、健康状態やこれまで育ってきた環境。もしかしたら、まだ名前がついていない違いもあるかもしれないことを意識していきたいと思うのです。
というのも、違いを大事にしたいということのスタートは、一人ひとりが「ありのままの自分が大事にされている」という感覚をもつことなのではないかと思っていて、互いに大事にするという前提を、どのようにつくっていけばよいのだろうと考えています。
このとき、「私たち大人はどうなのか?」という部分が大切だと思います。先ほど、髙木先生が国際情勢の影響についてお話しされましたが、やはり大人たちの会話や家で語られていることが影響として大きい。また、物部先生がお話ししていた、障がいのために希望する進学を諦めなければならない点も、こうした空気感はたぶん社会側がつくっていると思うのです。
ReBitでは、実は、学校向けの教育事業だけでなく、企業向けのキャリア事業も行っていて、会社の研修では職場づくりがテーマなのですが、「これって大人研修だ」と感じることがあります。研修後の質疑応答では、従業員や会社員としての立場を超えて、子育て中の親として、一人の大人として質問される方がいます。つまり、大人が学んで「互いの違いを大事にしながら、私たちは生きていくんだよ」という背中を子どもたちに見せないと、社会全体で多様性を包摂する風土はなかなか醸成できないのではないでしょうか。多様性は、学校を超えて大人たちも学び、考えていきたいテーマだと実感しています。
多様性は誰にとっても当てはまること
――少しテーマを絞って『性の多様性』という切り口から「互いに認め合う」意識を育む教育についてお聞かせください。
物部 私はアドバイザリースタッフとしてボランティアで中学校や高校へ出向き、性の多様性から互いを認め合うという観点で話をする機会をもっています。私がこのテーマで語ると、大人の男性目線の話になってしまうので、養護教諭とTT*を組んで、LGBTQの方や本学の学生も参加して座談会という形式にし、その過程で生徒たちに話をふって、意見を聞いています。そこで、大切なこととして、多様性とは人とのかかわりや社会の関係性の中にあるということを伝えています。
※TT はティーム・ティーチング
すでに卒業した学生ですが、自身がFtoM(Female to male)であることを自覚し、4年生のときに男性として生きていくことを決めて体を変えていった彼が、性の悩みを卒論のテーマにしました。私が高校生向けに話をする際の資料として、彼が当事者の視点でスライドを作成してくれたのですが、そこには「もし、当事者から相談があったら『話をしてくれてありがとう』と言ってくれると救われる」「勝手に他言しないで」「受け入れてくれる人は必ずいる」ということがメッセージとして書かれていました。この話をすることは本人も了承ずみです。
ここからは私自身の悩みにもなるのですが、性の多様性を語るとき、『LGBTQ』あるいは『LGBTQ +』という言葉がひとり歩きしているような気がしています。性の問題は、誰か特定の人たちのものではなく、誰にとっても当てはまるということをSO −GI*(ソギ、ソジ)として考えたほうがよいのではないかと思うのです。その中で、学生たちとの会話で『LGBTQ +』と言ったほうがいいのか、『性的マイノリティ』のほうがいいのか、適切な言葉はなんだろうと迷ってしまいます。保健体育科の教員免許を取得する学生には、学校保健という授業があり、性についてどのように考えていくかを学ぶ機会を設けています。私の立場では、保健の学習に関する要素が大きいですが、その中に性自認等については大きな柱の一つに入れています。
※SO-GI は性的思考と性自認のこと
中島 性の多様性を自分たちの問題にしていく物部先生の取組にとても共感します。私たちが届けている授業も、基本的に性の多様性を入り口にしながら、多様性についてみんなで考えようということを意識しています。性の多様性とは特別な誰かの話ではなく、私たち全員の話であり、みんなが多様性の中のどこかに位置づく当事者の一人なのです。
物部先生のSO −GIのお話は、まさにおっしゃるとおりで、言葉から入ってしまうと「LGBTQという特別な人がいます」という感覚になりがちです。単語としてトランスジェンダーを学ぶなら、合わせてシスジェンダーという単語もあります。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルを学ぶなら、ヘテロセクシュアルも一緒に学べるとよく、その中で、「自分を表す言葉はなんだろう?」と考えていくほうがしっくりきますし、具体的な言葉が決めきれない人や、自分とは違う言葉がしっくりくるという人や、名乗る言葉を決めないという人も含めて、横並びの多様な人との完成の中で違いを実感していくことが大切だと思います。
こうしたときに、「LGBTQ +」というのか「性的マイノリティ」というのか、そもそもこのような言葉でくくることがダメなのでは? という部分は議論されやすい点ですが、ここを問い続けることが大事だと思います。「『LGBTQ +』と言われる人たちがいます」と言われることは、社会に課題がある可視化の段階での言葉であるような気がします。
社会の中に課題があることをみんなで考えて変えていこうというフェーズでは、課題の可視化のためにある程度、くくって語ることでわかりやすくなる点があり、集団を見える化するための連帯の言葉として使われていると思うのです。「障がい者」も「在日外国人も同様です。「女性管理職」という言葉も、管理職になるのは誰でもいいのに、ジェンダー差があり、「女性」というキーワードを使って課題を明示するタイミングだからあえて使っているので、早くこうした課題やくくりがなくなることが望まれます。
同様に「アライ(Ally)*」という言葉も最近使われていますが、呼びかけとして有効な場合があるからで、そもそもみんながアライだったらこの言葉を特別に使うことがなくなります。こうした社会課題については、私たち大人が考え、解決に向けていかなければならないことだと思います。
※アライ(Ally):LGBTQ ではないが、LGBTQ の人たちを支持、支援している人たちのこと。
【②へ続く】
次回の予定
6月12日(月)特別座談会 多様性×学校教育②
※次回のタイトルは変更になることがあります。ご了承ください。