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教育ジャーナル Vol.17-5

特別座談会 社会に開かれた学び

多様性×学校教育
「多様性」の現状、学校での取組②【全4回】

特別座談会 社会に開かれた学び

多様性×学校教育

「多様性」の現状、学校での取組②【全4回】


■物部博文教授(横浜国立大学教育学部)
■髙木信俊先生/リモート参加(東大阪市立鴻池東小学校)
■中島潤さん(認定NPO 法人ReBit)
※所属、肩書は座談会開催時のものです。

特別座談会 社会に開かれた学び 多様性×学校教育の第2回。
今回は「LGBTQ 子ども・若者調査2022」の結果や授業や教材の役割についてお話を伺いました。

進行・文/岡本侑子


髙木 性の多様性について、まず感じたこととして、昨年度に一人1台タブレット端末が貸与され、子どもたちと文字だけのやりとりの機会が生まれた中で、これまで見えていなかったことが可視化されたことは、これまでにはない大きな気づきです。タブレットの中という閉鎖空間で、文字だけで行うやりとりで一人称の表現を見たときに、「ぼく」「オレ」を好んで使っている子がいることがわかりました。
 学習面については、私は主に高学年の担任することが多いのですが、高学年になると宿泊学習があります。この時期は、ちょうど体の発育が進み、体の性や異性についての意識をもちはじめます。宿泊学習の前に、養護教諭と協力して第二次性徴について学びますが、その中で、心の性、体の性、性的指向の3つの観点の中でもそれぞれ違いがあることの理解についての学習と、その中で自分自身について考える時間をつくっています。併せて、道徳の授業で違いを理解し合うための授業を、内容項目を選びながら行っています。特に、内容項目「友情、信頼」では、男の子、女の子としての意識が強まる時期なのですが、性別を超えた仲から生まれるものについて考える時間をつくっています。
 6年生になると、キャリアについて扱いますが、職業や将来の夢を考えるときにも性別で区分けした固定観念や思い込みがあるので、自分の中にある考え方と向き合い、区分けについて本当に必要なのかという視点から違いについて考えます。そこからさらに自分のキャリアについて改めて考えてみるという授業を単元として扱っています。

適切なタイミングに
適切な情報を系統的に

中島 とてもすばらしいと思います。宿泊学習を控えての授業の取組として、すべての子どもたちにとって非常に有益であるという前提で、LGBTQかもしれない子にとっては、心強い情報提供の場だと感じます。
 当法人が行った「LGBTQ 子ども・若者調査2022」では、12~34歳までのLGBTQユース2600名以上がオンラインアンケート調査に回答してくれました。その中で、「セクシュアリティに関する情報をいつ得たかったか?」という質問項目があります。
 実際にセクシュアリティに関する情報を得たのは平均18・2歳の一方で、知りたかったのは平均12・5歳という結果が出ました。12歳ということは、思春期・第二次性徴がはじまるタイミングです。続いて、「自分のセクシュアリティに気づいたとき、どう思ったか?」という質問に対しては、「自分は変なのではないか」「人には言えない」などという思いとともに不安や恐れを感じた人が約7割いました。
 子どもたちは、義務教育期間に体系的な情報を得られない中で、周りからは「〇〇さんが好き」という話が聞こえてきたり、宿泊学習などで男女に分けられる場面が出てきたりして、周囲との違和感を認識しはじめているのです。十分な情報を得ていないために、「自分はおかしいのではないか」という不安を抱えながら、統計では5・7年を過ごしていることになります。
 その期間に、自己肯定感が低下したり、深刻な生きづらさを抱えたりするリスクが十分にあると考えられます。深刻な問題の一つとして自殺念慮がありますが、LGBTQの若者、特に10代で見ると、自殺念慮・自殺未遂の割合は全国調査の平均に比べて優位に高いことがわかります。もちろん、原因を断定することはできませんが、適切な時期に多様な性についての十分な情報を知ることができていたら、先ほどお話しした不安を抱えながら過ごさなくてはならない5・7年間は、だいぶ変わってくるのではないかと思うのです。多様な性が特別な誰かの話ではなく、一人ひとりが自分はどうだろう? と向き合って考える経験があれば、もし、友達からのカミングアウトがあったとしても、物部先生の学生さんの話のように「話してくれてありがとう」と言えるようになりますし、こうしたことが命をつなぐことにもなると思います。

髙木 私は、人権教育の系統指導表と道徳科の内容項目との関連についての表を学校として作成して授業を行っています。性の多様性は、言い方は異なりますが男女共生教育として、小学校1年生の頃から学習を進めていて、5年生でLGBTQについて学習する機会をつくっており、系統的な学習が非常に重要であると考えています。
 授業の一つを紹介すると、5年生のある教材では、性別を超えた友情について考えますが、一緒に遊ぶ中から信頼関係が生まれ、互いの関係向上につながっていくという発言が、子どもたちからありました。私の「全員が同じようなことをする子が集まれば、もっとおもしろいのでは?」という投げかけには、子どもたちが「それは違うよ」と。違いがある中で関係性を築くことのよさ、楽しさというものがあるということに子どもたちは気づいているようです。

物部 髙木先生のような取組が小学校から体系的に行われていると、多様性の尊重がスムーズに育まれていくように思います。大人の在り方はとても重要ですし、放っておいて育まれていくものではないと思います。意識をもつことがとても大切なのですね。

中島 1年生の頃からカリキュラムとして学んでいくことはとても大事だと思います。倉敷市教育委員会の人権教育実践資料には、5年生あたりから性的マイノリティやLGBTQに関する話が出てくるのですが、これは急に登場するのではなくて、土台に多様性の尊重(違いを認め合う、個人の尊厳)があり、その上に多様な性の在り方、つまり、誰もが多様な性の中のどこかに位置する一人であるという感覚があって、そこから社会課題としてのLGBTQというものが見えてくるという三層構造になっています。

ときどき、「小学校1年生に性の多様性を教えるのは早くないですか?」と言われることがありますが、むしろ、未就学の段階から「あなたはあなた自身を大切にする権利がある」や「自分が大切なように、あなたの周りの人たちそれぞれも大切」というようなことを、絵本や大人からの声がけで伝え続けた先に、多様な性が一つのテーマとしてあると思うのです。
 私もさまざまな学校で出張授業を行いますが、私たちが授業できるのは1年の中の1日だけで、きっかけづくりはできても、系統的に伝えることには限りがあります。ですから、髙木先生が示されたようなカリキュラムがあると、発達に応じて学びの階段を上っていけるので、系統的な学びとして考えてくださる先生が増えてほしいと思います。

みんなで学び合い、考えながら
「未来を創っていく」

――時代の変化に沿った学びがさらに重要になってくると思いますが、「多様性」を一例として、授業や教材の役割についてお聞かせください。

髙木 最近、特に「多様性」について大きく扱われるようになり、社会の変化に応じた新たな問題意識をもつことが増えています。これまで当たり前だと思っていたこと、「普通」だと言われていたことが、実は、当たり前ではないという社会情勢は、今後もどんどん変化するので、「当たり前だと思うことは、本当に当たり前か?」という視点をもつことについて考える教材が必要になると思います。
 教材の登場人物の名前を一例にすると、従来の感覚で性別がわかる日本人の名前が多く使われてきましたが、こうした部分も変えていく必要があるかもしれません。人物の挿し絵も、ほとんどが日本人ですが、このあたりもどうでしょう。登場人物一つ取っても配慮が必要……というように、教材も社会に応じて変えていく必要が出てくるように思います。

物部 私は、保健の学習面から話をさせていただきます。小学校では4年生で「体の発育・発達」という単元があります。ちょうどこのあたりから児童たちは自分の体の変化を感じはじめるので、自分の体を肯定的に捉えるという点でも多様な考え方があるということを知る必要があります。
 中学1年生では「心身の機能の発達・心の健康」という単元がありますから、小学校時代に系統的に学ぶ機会があれば、その後に続く心身の大きな変化への受容が前向きになると思うので、学びの役割は大きいと思います。一方で、保健だけですべて負えるものではないので、髙木先生の取組のようにいろいろな教科を通して、多様性という観点で実践を行うのはとても重要です。また、心身の発達だけでなく、〝共感性〟が大事だと思っています。今回の学習指導要領改訂で、中学校を中心にがん教育、高校では精神疾患が入りました。
 このように、がんや精神疾患に罹患することが特別なことではない状況の中で、罹患した人もそうでない人も、一緒に課題について共感的に学び合う授業や教材を開発する視点が求められているように思います。そして、教師は子どもたちに対して教えるというスタンスではなく、児童生徒や学生と「どんな未来をつくっていくか、共に考えていこう」というスタンスが大事だと。そのために、まずは教員が世の中にアンテナを張り、多様な人たちと直接かかわることが必要です。
 私自身も、講演の帰りに車いすを利用する学生と一緒に歩いたり、LGBTQの学生に講演の感想を聞いたりする中で、自分だけでは知ることができない視点や、彼らが直面しているバリアについて知ることができました。座学や想像では得られない実際のかかわりや経験が、今の時代を生きる人間としての学びになり、そこから教員としてのインクルージョン的な観点や深い学びをつくっていけるのではないかと思うのです。

中島 髙木先生の〝当たり前について問い直そう〟、物部先生の〝大人は子どもたちと一緒に未来をつくっていこう〟という視点で学びをつくっていくことは、これからの教育にとってどちらも重要なポイントだと思います。
 もう1点付け加えるとすると、多様性を学び実感するのは、多様性について扱う単元と授業だけではないという部分です。テーマを設定した学びはもちろん有効であることを大前提に、全く関係ないと思われるような単元の授業で、多様性が排除されてはいないか、インクルーシブになっているかという確認も忘れたくないという感覚が私の中にあります。
 例えば、性の多様性に関する授業を行うため体育館に生徒が集められたとき、目の前に男女別の列で並んでいることが多く見られるように、何気ない場面でダブルスタンダードを伝えてしまっているのではないかと感じるのです。また、外国ルーツに関しての勉強を1コマ行ったあとの雑談などで、先生がポロッと「やっぱり日本人は……」というような発言をすると、そういったところから子どもたちに伝わると思うので、多様性を尊重し合える環境を大人がどうつくっていくかがポイントだと思います。
 先ほど、髙木先生が教材に使われる名前のことをお話しされましたが、裏を返すと、登場人物の名前を変えるだけで、多様性の単元とはまったく関係のない教科からも多様性を伝えることができるのかもしれません。例えば、算数の問題などに出てくる「男子が〇人、女子が〇人」という部分を赤組、白組に変えるだけでも違ってくると思うのです。
 以前、ドイツの実践を聞いたのですが、LGBTQについて特別に学ぶことはないけれど、例えば、文法の勉強の際に「〇と△が結婚する」という文章では、二人とも男性名が書かれていることがあるそうです。
 これは日本の英語の授業で実際にあった話ですが、「Tom loves Mike」と書いた子がバツをもらったそうです。三人称単数の「s」を付けた正しい文ですが、トムもマイクも男の名前だからバツだったわけです。このように、大人たちが多様性の学びの前提に立って指導を行っているかどうかの確認がとても大事だと思います。

髙木 そうですね。例えば、体育の授業で男女に分かれて行う場面では、違いを超えたところで取り組むという観点が教員に求められていて、ふだんから意識をもつことが大事ですね。性だけでなく、発達障がいなど、目に見えない違いで困っている子どもたちが実際にいますし、彼らの困り感を常に感じながら、日常の授業を一緒に学んでいくという考えに沿った授業をつくる重要性を強く感じます。

物部 本学にも発達障がいだろうという学生がいて、どうしたらハッピーになれるかを考え、いろいろアプローチはするのですが、なかなかうまくいかずに悩むことが多いです。答えが簡単に出せないからこそ、教員も学生と一緒に苦しみを乗り越える姿勢をもつことが、まずは大切なのではないかという考えに至っているところです。

中島 なかなか解決できなくても、先生が寄り添ってくれるだけで心強いはずです。
 私は、学校の外にいる人間として思うことがあります。先生方は多忙な業務の中、どうにか時間をやりくりして子どもたちにかかわる時間を捻出されていますが、そのような状況で、社会の側が、先生方にいろいろなものごとを丸投げしすぎているのではないかと感じています。
 例えば、性に関すること、多様性のことも、まずは「学校でやってくれれば」というのではなくて、学校の外の大人たちが、子どもたちに何かできることはないかと考えたり、かかわったりする学びの機会を増やしていければよいのではないでしょうか。『社会に開かれた教育課程』がもっと積極的に行われることで、先生が仕事を抱え込んで孤独にならずにすむのではないかと思います。子どもの周囲にいる私たち大人が課題について向き合い、学び合うことが、世の中の変化に応じた学びをつくるのだと思います。

【③へ続く】

次回の予定

6月26日(月)特別座談会 多様性×学校教育③

※次回のタイトルは変更になることがあります。ご了承ください。