学研『教育ジャーナル』は、全国の学校・先生方にお届けしている情報誌(無料)です。
Web版は、毎月2回本誌から記事をピックアップして公開しています。本誌には、更に多様な記事を掲載しています。
教育ジャーナル Vol.18-6
■特別支援教育
問題の軽減を図るための学級経営の工夫
特別支援教育コーディネーターからのアドバイス
■特別支援教育
問題の軽減を図るための学級経営の工夫
特別支援教育コーディネーターからのアドバイス
教育ジャーナリスト
渡辺 研
「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする(学習面または行動面で著しい困難を示す)子どもの割合は8.8%」。令和4 年(1 ~ 2 月)の調査(*)からそんな数値が報告された。
30人の学級で3人程度。しかも必要な支援の内容はそれぞれ違う。さあ、どうしたらいいのだろう……。でも、専門性を必要とする個別の支援の前に、教師の得意分野である学級経営で工夫できることはたくさんあるという。まずは問題を軽減できる工夫を紹介する。
* 文部科学省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果(令和4年) について」(令和4年12月13日)
※ 記事では「注意欠如・多動症」をADHD、「自閉スペクトラム症」をASD、「限局性学習症」をLD と表記(「 」内はDSM-5 内の表記)。
担任と一緒に支援を考える
はじめに“人物紹介”をしておく。
今年2月と3月に、記事タイトルのお話を永野実生教諭に伺った。永野教諭は横浜市立本郷特別支援学校(中嶋浩一校長)に勤務、特別支援教育コーディネーターを務めておられた(教員免許以外にも公認心理師、臨床発達心理士資格を所持)。特別支援学校のセンター的機能の役割を担い、2022年度には担当する市内3区の小・中学校41校(延べ122回)で、子どもや教師への支援を考え、研修の講師を務めた。
永野教諭は小学校での通常学級や特別支援学級担任の経験があり(初任から2校)、実体験を通して学級担任の苦労をよく理解しておられる。そのため、スーパーバイズではなくコンサルテーションというスタイルをとって、担任と一緒にどう支援することがいいのかを考える。それが子どもや教師の困り感に寄り添ったかかわり方につながっており、現場の信頼はあつい。専門知識・知見だけで務まる仕事ではない。
こうした実践が認められ、「令和3年度横浜優秀教員表彰」、「令和4年度文部科学大臣優秀教職員表彰」を受けた。
横浜市の優秀教員表彰の推薦理由は「丁寧に相談を受け、常に新しい情報の収集にも努めている」「児童生徒の見立てや助言が非常に的確で具体的」「課題等の初期段階での解消・改善を図る」だった。「日頃の職務に対する私の姿勢を見ていただけたのかと思って、それがうれしく、励みになりました」と永野教諭はおっしゃる。
特別支援教育の現場には欠かせない存在であったが、23年度からは横浜市教育委員会事務局人権教育・児童生徒課に異動となり、指導主事を務めておられる。活躍のエリアが市内全域に広がることを期待したい(文中では「永野教諭」とさせていただく)。
教育的支援を必要とする子どもが在籍する通常学級の担任は、学級経営の中でどんな工夫ができるのか、実践にもとづく永野教諭のお話を伺っていく。
まず〝今のつらさ〟を減らす
「教室に伺って子どもたちの様子を見せていただいてから、『まずアプローチできるところはここですね』というやり方をお伝えしています」とおっしゃって、3つの“道具”をテーブルに並べた。小学校を訪ねる際は、必ず持参するそうだ。
教室では、体を動かしたり、よそ見をしたりして、授業にまったく集中していない(かのように見える)子どもが目に留まる。ほとんどノートを取らない子もいる。当然、担任は頻繁に注意をするし、なんらかの発達障害を疑う。そこで登場するのがこの道具だ。
写真の真ん中がイヤーマフ(イヤーディフェンダー)。騒音から聴覚を守る聴覚保護防音具だ。工事現場などでも使用される。
「授業に集中していないように見える子どもの中には、人の声を優先的に聞き取ることが難しい子どもがいます。こういうものをつけてみて初めて、自分がそうであることに気づくことも多いのです。もしかするとそうなのかと思う子に『もし嫌じゃなかったら、これをつけてみて、感想を教えてね』と試してもらっています」
渋谷のスクランブル交差点の真ん中で、会話をするような感じなのだろうか。雑音が遮断されると、子どもの表情が変わる。
「そうすると『先生の声だけ聞こえる。こんなにうるさいのに、どうしてみんなは先生の話が聞けるのだろうって思っていた』と教えてくれます」
その子は、生まれてからずっと騒がしいことが当たり前だと思って育ってきた。“ほかの子は違う”とは思いもしない。そのことで、社会生活の中で支障をきたすようになったとき、周囲がどう気づいてあげられるのか、特別支援教育の出発点はそこにあるのだろう。
もちろん、デリケートな問題なので、教師の気づかいは不可欠だ。
言うまでもないが「あなたは話に集中できないから、これをつけなさい」と半ば強制するようなことは絶対にしてはならない。本当に必要とする子だけを“特別な子”にしないために、「イヤーマフをつけると今より先生の声が聞こえやすくなる人も、かえって聞こえづらくなる人もいるよ。もし試してみたくなった人は試してみて。使ったほうが生活しやすいと思ったら、使ってもいいよ」と言ってクラス全員に投げかけてみる。
そしてみんなが「あの子はそれが必要だから授業中にイヤーマフをつける」と自然なことだと受け止める。眼鏡をかけている人を特別視しないのと同じことだ。
「イヤーマフに関しては、一度使い出したからといって一生これを使い続けるのかという過度な心配はせず、まず試してみては、という提案をします。成長とともに落ち着く子や、寝不足など体調の変化があったときだけ使ったほうが楽な子もいます。いずれにしても『まずは、“今のつらさ”を減らすようにしてください』という話をします」
子どもにはもちろん、教師にも“今のつらさを減らす”お話を続けていただく。
人はそれぞれ違うのが当たり前
もちろん、人間はもっと複雑だ。さらに例を挙げてお話を進めていただいたが、方略として理解していただきたい。
「例えば、先生から見て『もしかしてADHDかな?』と思う子は、日頃から叱られがちで自信を失いやすい。でも、例えば、多動の症状は中学生頃から落ち着いてくることがほとんどだとされています。大切にしたいことは、自尊心を傷つけないで成長していけるかどうかです。『叱って行動を修正するのではなく、落ち着きはないけど大丈夫』と思っていただければいいのです、とお話をします」
この課題に“叱る”ことはまったく無意味だ。次の事例も同様。
「例えば、ASDの子には回ったり(スピニング)、揺れたりする(ノッキング)子がいます。筋肉に一定の刺激があることで気持ちが安定するのです。それを先生方にお伝えすると『ふざけていたわけではないのですね』と納得されます。そのことを理由に、先生に叱られることが少なくなれば、この子たちの気持ちも整ってくるという効果もあります」
机をガタガタ動かして、周りに迷惑をかけるような場合は、授業中に“スクイーズ(ギュッと握っても元に戻る低反発の玩具)”をもむなど、周囲に迷惑をかけない程度に体を動かすことを提案して試してもらう。子どもが何で困っているのかを理解し、許容範囲を保てるように工夫すれば、子どもは落ち着く。
ASDを自覚する大人は、自分なりの対処法を見つけて、ある程度、安定して生活している人も多い。
「子どもは、落ち着ける行動を認めてもらえたことで、先生とわかりあえたと思ってすごく気持ちが楽になり、いいほうに育っていきます」(中嶋校長)
中嶋校長は初任時からずっと、特別支援教育の現場で仕事を続けておられる。
ところで、学級のほかの子どもたちには、こうした支援の理由をきちんと説明して理解を得たほうがよいのだろうか。
「説明というより、やはり学級経営です。先生や子どもたちの様子を拝見すると、先生が受容的な学級経営をしているクラスは、子どもたちも受容的です。逆に、先生が何かにつけて注意をするクラスでは子どもたち同士も注意をしあう。小学校に関しては、教師がふだんから子どもたちに見せる姿勢が大きく影響していると実感します。『人はそれぞれ違うのだから、感じ方が違って当たり前だよね』という学級経営であれば、子どもたちはそれが当たり前だと思って過ごすので、困っている子へのかかわり方も上手です」
「人間は本来、多種多様な感じ方をするものだし、それぞれ“違うのが当たり前”ですとお話します。“みんな同じ”だと思うからはみ出す人が気になり、ときには腹が立つのです。本当はみんな違うもので、でも、そこに共通するものがあるから楽しいし、それが仲間なのだと、まず教師自身が思うことです」
通常学級における特別支援教育の基本的な考え方だろう。昨今、さかんに“多様性(を認め合う)”と言われるが、我が国には“みんな同じ”意識がいまだ根強く残っているようだ。せめて、“次代を担う”子どもたちには、重要な資質・能力として“人は多様である”という意識を育てたい。特別支援教育はきっとそのきっかけになる。
やっておいたほうがいい準備
それぞれの違いはもっともっと複雑なので、当然、教師にある程度の知識が求められる場合も多い。その事例は後で紹介することにして、さらに学級経営の工夫を伺う。
永野教諭は、校内研修などの講師を務める機会も多い。
「通常級での支援を考えるときは、身体や脳などの器質的な問題なのか、心理的な問題なのか、家庭環境や学校の環境の問題なのか、いろいろな視野で見ましょうというお話をした上で、いずれにしても、構造化を含めてやっておいたほうがいい準備をお話ししています」
研修用の資料からその準備を抜粋して紹介させていただく。学級担任には、理解も実施も難しいことではないと思う。
①授業を始める前に
・ 教室環境を整える=机の列を整える、ゴミを減らす、掲示物を乱雑にしない
・ 学習環境を確認する=学習に必要なものが机上にそろっているか確認してから授業を始める、不必要なものは机上に出さない
②板書やプリント、教材の工夫
・ 板書の工夫=授業の目当てや教科書のページを最初に板書する、読みやすい大きさや間隔の文字を書く、重要部分は色を変えたり囲んだりする
・ プリントの工夫=要点を強調する、イラストにより視覚的イメージをもちやすくするなど
・ 教材の工夫=映像などを見てイメージをもちやすくする
③授業中のポイント
学習課題をどこまでするのか全体像を示す(○ページ~○ページなど)、授業の最後で振り返りをする、「今から大事なことを言うよ」と伝えてから重要な話をする
「教室環境のことなどは本にいくらでも書いてありますし、日頃の授業にうまく取り入れて実践されている先生方は多くいらっしゃると感じています。ただ、大人でさえ会議中などに気が散ることはあります。振り返りをすれば重要な点はわかるし、『今から大事なことを言うよ』と言えば、集中できない子も救われます。ずっと授業に集中していなければダメだという価値観は、もたなくていいと思います」
教師が“こうあるべき”と思っていても、それに応えられない子どもがいる。決してわざと反発しているわけではないことは、ここまでの数例でもわかっていただけるはずだ。
“みんなそれぞれ違う”という視点に立てば、クラスの個性に合わせた工夫ができる。それがプロフェッショナルというものだ。
まず、問題事の軽減を図る
「同じように見える『行動問題』でも、『行動動機』はそれぞれまったく違うことがあります」と永野教諭はおっしゃる。応用行動分析などで使われる考え方だ。例えば、「授業中に離席する」という子どもの行動がある。授業参観をしていてもよく見かける。その行動動機は次のように分けられる。(*)
* この4 分類は「MOTIVATION ASSESSMENT SCALE(動機づけアセスメント尺度/行動動機診断スケール)V.M. デュランド& D.B. クリミンス,1992」より
〇 自己刺激(前出のスピニングやノッキング等)=(離席の理由例。以下同)座っていることで肉体的・精神的な苦痛を感じ、身体に刺激を与えたくなった。
〇 注目を得る(わざと大声を出したりして注意されようとする等)=先生に「座りなさい」と叱られれば、「簡単かつ確実に声をかけてもらえる」。同級生に「気にしてもらえる」。
〇 活動や物を得る(遊びたいおもちゃがあるから相手を叩いて手に入れようとする等)=「じゃあこれをやってね」と別の活動をもらえる。別室などで他の先生と話ができる。
〇 逃避・回避する(宿題をやりたくないから連絡帳を書かない等)=別室に連れていかれ、結果、やりたくない学習をしなくて済む。
離席の動機が「注目を得る」ことなら、叱れば叱るほど子どもは注目されて満たされ、それを続ける。また、動機が違っていれば支援も変わってくるため、「以前、別の子にこうしたら落ち着いた」ではなく、それぞれの行動の動機を考えることが大切だ。
だから、「注目を得る」ことを喜ぶ子どもには、叱ることそのものを減らし(できればゼロが理想だが、教室内ではなかなか難しいので、できる限りという気持ちで)、ふだんから声かけを多くし、離席以外の方法で先生の注目を得る方法を教える(例=練習問題に取り組む時間、「【わからないときは】、手を挙げて『教えて』と言ったら助けに行くよ」と約束することなど)。そして、社会的に正しい方法ができたら、すぐに反応し、褒める。これを繰り返すことが行動問題解決の近道とされている。
こうした行動は「“困った子どもの困った行動”と捉えるのではなく、“その子どもが生きる上で取らざるを得なかったコミュニケーションの仕方”と捉えてください。そして、社会的に(クラスの中で)受け入れられない行動は、社会的に認められる行動に変容できるよう支援していきます」と永野教諭はおっしゃる。そういう捉え方をするだけで、担任の“イライラ”も収まってくるのではないか。ただ、担任やクラスのほかの子どもたちのかかわりだけでは限界もあるので、ケースによっては当然、他機関との連携が必要になってくる。
永野教諭のお話の中には、状況の説明が必要で簡単には紹介できないような事例も登場した。「褒め言葉が届かない」「むやみに声かけや質問をされると怒り出す」など、子どもの感じ方がわかっていないと対処できないなどの場合もたくさんある。
教師は「困っている子がいたら、助けてあげたい」と考える人たちだ。それは尊いが、決して“自分が”とは考えないでいただきたい。
今回の記事のメインは「自分(担任)が学級経営の工夫で対応できること」だったが、担任の手には負えない複雑な事例がある。学んで知識を増やすとともに、困ったときには特別支援学校などのセンター的機能をもっと頼っていただきたい。永野教諭へのオファーも、中学校からは少なかったそうだ。専門家同士の協働が、困っている子どもへの有効な支援になる。
【了】
次回の予定
10月16日(月)
“学校の当たり前” は、これからも“当たり前”なのだろうか。
※次回のタイトルは変更になることがあります。ご了承ください。