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教育ジャーナル Vol.19-4

■幼保小連携

連携の取組はどう続けられてきたか
「架け橋」を考える前に

■幼保小連携

連携の取組はどう続けられてきたか

「架け橋」を考える前に

「子どもたちが安心して小学校生活を始められるように」と始まった幼保小の連携。新たに登場した「架け橋」を理解するために、あゆみを振り返ってみる。


 現在「幼保小の架け橋プログラム」(以下、「架け橋」)についての取材を進めている。「幼児教育と小学校教育の円滑な接続」という趣旨は、そのとおりだ。でも「子どもの育ちをスムーズにつなごう」ということは25年も前から言われてきたことだし、今さらなぜなのだろう。
 学校教育や幼児教育に何を求めているのか、スタートカリキュラム(以下。スタカリ)や10の姿とどう関連するのか、どんな実践がイメージされているのかなどを探ってみたい。まさか「学校教育の前倒し」ということではないと思うが、現場の先生方の理解も十分ではないかもしれない。
「架け橋」に手をつける前に、これまでのどんな連携や接続期の取組が行われてきたのかを確認しておきたい。趣旨や概要を見るかぎり、過去に実践してきたことを大きく覆すものではなさそうなので、〝既習事項の確認〟にも意味があると思う。

成果あり、課題はもっとあり

 例によって、たくさんの資料が公開されている。つぶさに読めば、根拠や意図が理解できるはずだ。しかし、現場の先生方には、その時間が取れないのが現実だ。
 その資料の中に、「架け橋」以前の「幼保小連携の成果と課題」をまとめたものがあった。導入としてこれを紹介する。
【幼保小連携の成果と課題―成果】
〇幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領の3要領・指針の整合性確保(編集部コメント。以下、同。平成20年に幼稚園教育要領改訂と保育所保育指針改定が同時に行われ、内容もかなりそろえられた。画期的な出来事だった)
〇幼保小接続期(平成20年頃からいわれる)の連携の手がかりとして「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿(10の姿)」策定(平成29年改訂・改定時。3要領・指針とも)
〇小学校との連携の取組を行っている園が約9割に上るなど、取組が進展 
【幼保小連携の成果と課題―課題】
●幼稚園・保育所・認定こども園の7~9割が小学校との連携に課題意識(9割が取り組んでいても、質の問題か)
●半数以上の園が行事の交流等にとどまり、資質・能力をつなぐカリキュラムの編成・実施が行われていない(「資質・能力」が登場したのは平成29年改訂・改定)
●「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」が到達目標と誤解され、連携の手がかりとして十分機能していない(誤解を生むことは、当初から懸念されていた)
●スタートカリキュラムとアプローチカリキュラム(幼児教育の最終段階である5歳児教育の後半における小学校進学後を意識したカリキュラム)がバラバラに策定され、理念が共通していない
●「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」だけでは、具体的なカリキュラムの工夫や教育方法の改善方法がわからない
●小学校側の取組が、教育方法の改善に踏み込まず学校探検等にとどまるケースが多い(本来は〝学校探検〟から学びにつながる多くの要素が得られるはず)
●施設類型の違いを越えた共通性が見えにくい(各園の事情・環境が大きく違うので、要領・指針に共通にうたっていても、現実にはそれだけでは難しいだろう)
●教育の質に関するデータに基づき幼児期・接続期の教育の質の保障を図っていくための基盤が弱い(そもそも接続期の教育という意識がどこまで浸透しているのか)
 ゆえに「架け橋」が必要という話だ。

「小1プロブレム」に困り果てて

「架け橋」関連の資料ではないが、ある幼稚園がアプローチカリキュラムを考えるに当たって整理した「新1年生に見られる姿」。そこに「話が聞けない」「座っていられない」と書かれていた。10年ほど前の資料だが、幼保小連携ではすでにこの時点でスタカリは実施されていた。スタカリの授業公開(4月)の取材もしていたが、そこではこういう1年生の姿はほとんど見られなかった。
 本誌が初めて幼保小連携を取りあげたのは1998年。その頃、小学校は「小1プロブレム」の対応に困り果てていた。
〝担任の話が聞けない。45分間、席についていられない〟子どもたちに、いきなり学校のやり方(黙って授業を聞く、生活を時間で区切る)を求めた。一方で、子どもたちを〝(何もできない)赤ちゃん〟扱い。「小1プロブレム」は大人の身勝手が招いた小さな反乱だった(立ち歩きなどが限度を超えて学級崩壊もあった)。遊ぶことが生活の中心で、遊びを通して学び、成長してきた子どもたちにとって、「今日からは学校のやり方に合わせなさい」は、大人の都合でしかなかった。
 小学校の教師たちは、そこでやっと「自分たちは幼児期(入学前)の子どもたちの姿を知らない」ことに気づいた。園を訪れ、幼児の活動を見学してきた教師たちは、子どもたちができること、できるけど時間がかかること、まだできないことを具体的に理解した。ここが幼保小連携の始まりだった。
 そして、子どもの育ちはつながっている、幼保と小との間に大きな段差をつけるのではなく、大人が協力してスムーズな接続を実現しよう……と取り組んだのが25年前。何通りかの形態で小学生と年長児の交流が行われるようになったが、本質は、子ども同士ではなく大人同士が手を携えることが連携だと、その後、理解されるようになった。
 それからずいぶん時間がたった。それでも「座っていられない」など幼児期には自然な姿は、1年生の〝欠点〟として捉えられてきていたのだろうか。

なかよし・わくわく・ぐんぐん

 小学校が、子どもの育ちの受け取り方を改善したのがスタカリだ。前述の状態で入学してくる1年生の迎え方を、子どもにもはっきりと見える形にした。
 入学から間もない1年生の授業を公開しているのが横浜市だ。今年度も鶴見小学校、本郷台小学校が4月に、恩田小学校が5月の連休明けにスタカリを公開した。公開が始まったのは2010年頃だと思うが(文部科学省の「スタートカリキュラム スタートブック」発行は2015年)、スタカリの原型はすでにできていた。原型といっても、今もほぼ変わっていない。
 1日の時間割を「なかよしタイム」「わくわくタイム」「ぐんぐんタイム」で構成。

  • なかよし=小学校への安心感をもつ、自信をもって自己発揮する、新しい人間関係を築く、そういう時間。園で経験した歌やダンス、ふれあいゲーム、外遊びなどで過ごす。
  • わくわく=体験的な活動を通して生活科を中心とした合科的・関連的な指導。メインは学校たんけん。学校たんけんで子どもたちが発見した〝(不思議な)ひと・こと・もの〟が、その後の学習の材料になる。
  • ぐんぐん=教科などを中心とした学習だが、「なかよし」や「わくわく」の経験と結びつけながら進める。経験を国語や算数の見方・考え方で捉えていくという感じだ。

「なかよし」は、子どもたちがよく知っていることをして過ごすので、「学校でも自分はやっていける」と自信がもてる。「わくわく」は、子どもにとっては、学校という巨大な遊び場で遊んでいる感覚。そこで発見や経験した「あれは何?」「こんなときどうするの?」という課題をもって「ぐんぐん」の教科学習に入るので、授業中も集中する(教師の問いに、ああだ、こうだと、我先に発言はするが)。
 ところで、横浜市立鶴見小学校の学校たんけんは、初日から子どもは一人で、あるいは新しい友達と一緒に思い思いの場所に散っていく。行った先に何があるかは出たとこ勝負。そして、教室に戻って発見の情報交換。友達の発見に興味をもてば、次の時間に自分も行ってみる。そんなふうに実施するから、子どもたちはさまざまなもの(こと・ひと)を発見してくる。当然、全職員・全児童がそれを承知しているので、1年生と出会ったら適切に対応する。
「時計の長い針が7になったら、教室に戻って来てね」と約束をして出かけるので、数日のうちに、時間で活動が区切られることも自然に身についていく。
 担任に引率されて校内を見学することも学校たんけんと考えられているようだが、教師が見せたいものを見せるだけでは、たんけんとは呼べない。

子どもをよく見取れれば

 時間割は、最初の1週間は「なかよし」2コマ、「わくわく」1コマ、「ぐんぐん」1コマでスタート、2週目からは、順に1コマ、2コマ、1か2コマ(5時間授業の場合)。ただ、これは一応の目安で、その日の子どもたちの様子によって、「なかよし」を長くとったり、逆に早めに切りあげて学校たんけんに出たり、柔軟に対応する。学校の都合に押し込めないのは、25年間の成果かもしれない。
 スタカリはそのように運営するから、教師は、子どもたちをよく見ていなければならない。おおむねGW前まで「園の再現→遊びを通して課題発見→小学生なんだから勉強したい」と、日課を通してゆったりと幼児教育と学校教育との接続が図られる。
 では、時間割を組み、教材を準備して環境設定を済ませた教師は何をすればいいのか。
 昨年、嶋野道弘先生(元文部科学省主任視学官)にインタビューをした。そのとき、この質問をしたら「何かを教えようとか、しつけをしようとかではなく、一緒に遊んで、子どもとの距離感を縮めておく」という主旨のことをおっしゃった。
 嶋野先生は、もうずっと鶴見小学校のスタカリ公開時に講師を務めておられ、研究協議で語られる〝子どもの見取り〟には、いつもハッとさせられる。嶋野先生の隣に立って、同じ子どもたちの姿を見ていても、見えているものがまったく違う。
 まったく違うというより、表面に現れる子どもの行動や表情や言葉の奥にあるものまでを的確に読み取っておられる。インタビューでは、子どもの見取りは観察ではないし、〝子ども観〟も影響するともおっしゃっていた。
 幸いスタカリでは、授業を先に進めることをさほど意識しなくてもいい。そのかわり担任教師は、子どもを見取る目を養いたい。
 嶋野先生の域に達するのは容易ではなく、それ相応の〝年季〟も必要だが、子どもをもっとよく見ることができれば、おのずと次は何をするかも見えてくる。「10の姿」も生きてくる。そうすれば、幼児教育から引き受けた子どもの育ちや学びをもっと的確に学校につなげられるだろう。
 ここまでは連携やスタカリで実現できるはず。さて、「架け橋」とは?

【了】

次回の予定

12月11日(月)
令和5年度全国学力・学習状況調査を検証する

※次回のタイトルは変更になることがあります。ご了承ください。