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教育ジャーナル Vol.16-4
考え、議論する道徳
「それが一番だと思う。だけど…」
対話や多面的・多角的な思考を通して納得解を求める
考え、議論する道徳
「それが一番だと思う。だけど…」
対話や多面的・多角的な思考を通して納得解を求める
渡辺 研 教育ジャーナリスト
教科化に当たっては、懸念もあった。でも、対話的な学びが他教科の授業でも日常的になった今、“読み物道徳” ではなく対話を通して進めいていく道徳の授業を、生徒も教師も楽しんでいるように見える。
Teenager には大切な時間だ。
最適解を自分に戻して
新潟市立白新中学校で道徳の授業を参観させていただいた。
ただしこれは校内研ではなく、「令和3・4年度新潟県中学校教育研究会」指定の新潟地区・教育研究発表会(道徳)の授業。新潟市中学校教育研究協議会道徳部の一斉研修会(会場校及び授業公開)という位置づけだ。大規模な公開授業といっても、社会科や国語科の授業(学びに向かう力は授業でどう表現されているか 前編 参照)と比べて違和感もなく、「日常につながる授業」というスタンスに変わりはないのだなと思えた。
授業の前に、新潟市の道徳部で研究してきた授業づくりの考え方を紹介しておく。
研究主題は「豊かなかかわりを通して、よりよく生きようとする生徒の育成~対話を通して多面的・多角的に考えながら、最適解・納得解へ向かう展開の工夫~」。サブタイトルから、どんな授業を目指すのかは想像がつく。
「対話」「多面的・多角的な思考」「最適解・納得解」の3つを授業に位置づけ、深い学びに至る授業を実現する。
それぞれを少し補足する。
【対話】教材との対話、考えや思いの交流を通して他者(同級生や教師)との対話、振り返りを通して自己との対話と捉える。対話を通して道徳的諸価値の理解を深める。
【多面的・多角的な思考】〈多面的な思考〉他者との対話を通して、教材の登場人物の行為や心情をより多くの視点で捉え、他者の視点や考えを知ることで思考や選択肢を広げる。
〈多角的な思考〉他者の意見や考えを知ることで、自分の選択肢を広げ、多くの考えを比較・検討した上で自分の考えをもつ。
【最適解・納得解】最適解は、内容項目のねらいに対して妥当性があり、みんなが押さえるべきポイントとして捉える。学習課題に対するまとめ。納得解は、最適解を踏まえた上で、自己との対話を行い、自分が納得できる納得解を探して、自分に戻していくことと捉える。授業の振り返り。納得解を導くまでの過程を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。
みんなで最適解を見つけたあと、生徒の心を揺さぶる問い返しや追加の発問をして、再び対話を行い、最後に生徒が自分事として捉えた振り返り、納得解を導いていく。
自分を隠すのはひきょうなのか
研究を踏まえ、リアリティーのある課題を論じ合った2年生の授業を紹介する。
授業を構想する段階で、授業者は哲学対話による対話を考えたそうだ(クラスを11人ずつ3グループに分ける)。でも「それだと人数が多くてあまりしゃべれない」と生徒から意見が出て、FT(ファシリテーション)に変更した。FTに必要なファシリテーターとライター(発言の記録を取る)も生徒が選び、グループ分け(4~6人)も自分たちで行った。この時間そのものが生徒たちには自分事になっていた。
◆2年1組・田澤育江教諭(対話)
【主題名】「嫌われるのを恐れる気持ち」(向上心、個性の伸長)
【本時の学習課題とねらい】「自分も相手も成長するためにどうしたらよいのだろう」=他者とのかかわりの中で自分らしさを発揮していこうとする「個性の伸長」について、自分と相手の立場を多面的に考えるための対話を通して、自己を見つめ、自分自身が納得できる生き方をしていこうとする道徳的実践意欲をもつことができる。
【生徒の姿(評価)】〈評価方法〉対話の様子やノートへの記述を基に評価する。/〈評価規準〉「自分らしさ」について考えることを通して自分の仲間との関りについて省みて自己理解をし、自分の思いを伝えようとすることが成長への第一歩だと振り返りに具体的に記述している。
「目指す生徒の深い学びの姿」が、「最適解」「納得解」それぞれに書かれているが、それは紹介しないでおく。生徒たちの実際の姿を楽しみにしていただきたい。
教科書の教材文は“僕”から届いた手紙。そこには「僕は、嫌だなと思っている人や親しくなりたいとも思わない人に対しても、誰からも嫌われたくなくて、自分の“本性”を隠してつい親しそうな態度をとってしまう。そんな僕という人間は、ひきょうな臆病者なのでしょうか」と悩みがつづられている。
人間関係が存在するかぎり、一生ついて回る。自分を少し抑えることで人間関係が円滑に保たれるのが現実だし、「率直に自分を出すべき」とわかっていても、「果たしてそれが最適解なのか?」とも思える。中学時代に話し合ってみるには、興味深い課題だ。
指導案検討の段階で、この内容はとても1時間では収まりきれず、2時間の構成になったそうだ。その2時間目でさえ、指導案を見て「この内容が1時間で収まるのかな」と思ったほどだ。結果的に充実した授業になったのは、学級担任である田澤教諭が学級の個性をよく理解しておられ、加えて生徒たちがFTなどを通して対話の仕方を身につけていることも大きかったと思う。
1時間目は、「嫌われるのを恐れることはひきょうなのか」を話し合い、そして、“僕”にアドバイスする手紙を書いていた。
どっちも地雷を踏まないから
この時間では、まず“僕”への手紙が紹介された。「ひきょうじゃない」「ひきょうじゃないけど、臆病。自分は何も気にせず話す」「自分も感情を隠してしまうときがある」などと書かれている。ここはまだ他人事。
前時に話し合った結果、生徒は「本性とは、本当の自分の気持ちを素直に表現できる。自分らしさ」と理解しており、その上で、「自分はこのクラスの中でどうなのか」と質問をされていた。その結果が映し出される。三分の二が「自分らしさを出していない」という。
「自分も出していないけど、こんなに多いとは思わなかった」と生徒が感想をもらす。“僕”の悩みが、他人事ではなくなってきた。
田澤教諭が「相手と自分が“自分らしさ”を出して生きるときと、出さないで生きるときに、それぞれどんなことが起きるかを予想してください」と問いを投げかけて、FTが始まった。タブレットの画面に座標軸を出して、メンバーの意見をライターが書き込んでいく(*参照)。
*横軸が「自分」。右が「自分らしさを出す」、左が「出さない」。縦軸が「相手」。上が「出す」、下が「出さない」。便宜上「自分も相手も出す」をA、「相手は出す、自分は出さない」をB、「相手も自分も出さない」をC、「自分は出す、相手は出さない」をDとした。
すぐに「相手が~、自分が~」と話が始まる。“承認”の拍手も起きる。「あ~、たしかにね」「それは嫌だなあ」と“あいづち”。「譲り合うことが大事」「じゃあ、どういうふうに物事を決めればいいの?」と“問い返し”。生徒同士でスムーズに対話を進めて、あっという間に時間が経った(7分)。「状況を教えてください。あと何分ほしい?」。生徒が自己申告したアディショナルタイムは2分。
「班ではこんな意見が出ましたって教えてください」と全体交流。
「(A)何でも言い合えるからいい関係になれる。でも逆もあって、互いに主張し合ってケンカになる」
「Aだと、意見が違ったときにかみ合わなくて、話が円滑に進まない。どっちかが妥協しなきゃいけない」
「どっちも肯定しかしないから(C)、話してもつまらない。表面上だけの友達」
「(B)自分が気をつかって相手の思いどおりになるから、ストレスがたまる」
「(C)どっちも気をつかっているから関係はいいけど、どっちもウソついているから、個人としてみたらよくない」
「おもしろい。もう一回説明して」と求められて「どっちも地雷を踏まないようにしているから、どっちも安全」と表現した。
「ベストはどこ?」という田澤教諭の問いに、生徒たちは一斉に「エ~」と声をそろえる。きっぱりと「エイッ!」ではない。「そりゃこの場の答えはAなんですよ」と不承不承に発した声に聞こえた。
「なんで?」と教師。「相手も自分もモヤモヤしないから」と生徒。
「ベストはA。『成長するにはどうしたらいいの?』って話でした。成長するのは?」
また「エ~」。
ニュアンスを無視して授業を進める。
「Aはお互いに自分らしさを出しているからいい。お互いに成長できるってことですね」
「まとめ」として「相手も自分も成長するには互いに自分らしさを出すといい」と板書して、ノートにも書かせた。これが最適解。“読み物道徳”の時代なら、ここで授業は終了していたかもしれない。
対話ができる学級の空気
「ちょっと聞きます」
ここまで、「エ~」でさえ楽しそうに生徒たちの自由な考えを聞いていた田澤教諭が、例えて言えば“急に真顔になった”。
「このクラスで、今、あなたと友達の関係はどこにいると思う?」
“僕”の課題が、一気に自分たちの課題になった。
特定の友達との関係ではなく、自分と同級生たちとの関係を考えながら、タブレット上の座標のどこかに自分の名前を置く。例えば、Aゾーンでも真ん中かもしれないし、横や縦の軸に近いかもしれない。示された分布を見た田澤教諭は「はあ、なるほどね」とつぶやいた。この「はあ」はなんだったのだろう。
「どうしてその位置になったのか、出された意見をホワイトボードに書いてください。なぜそこなのか、1対1ではなく、みんなで質問してくださいね」
時間は10分ほど。2回目のFTでは同級生の心の中に踏み込んでいくことになる。質問されても答えにくさもあるかもしれない。それでもいっぺんにワッと声があがった。
「えっ、自分を出してないの?」
「罪悪感ってある? どうしても(思っていることを)言えないときに」――「相手が『こうじゃない?』って言って、自分はそうは思ってないのにうなずいているときに、ちょっとは罪悪感がある」「まったく感じない」
「相手の意見を聞いてそれに共感することで、相手が自分らしさを出すようになる」
「そこで意見が食い違うと、その後が気まずいから」
「友達とは気づかいしないで気軽に話せる関係でいたいから、自分を出していこうとしている。でもたぶん相手は、出している人もいれば、出していない人もいると思うので、中間をとりました」
「関係としてあんまりよくないのはどれ?」「Cでしょ」「Cにならないようになんかしていることある?」「できるかぎり自分の意見を言う。ちょっと出せるようになってきた」
ファシリテーターが一生懸命、自分の役割を果たす。それに応えるようにさまざまな思いが出てくる。
「誰のことも気づかわなきゃいけない」「うなずいとけばいいかな」「〇〇さんって、けっこうみんなと~だよね」……話の脈絡までは聞き取れないが、途切れることなく声が聞こえてくる。10分もあっという間だ。
「だいたいそうはならなくて…」
タイマーが鳴る。
「ごめんね、もっとしゃべりたいよね」と田澤教諭。「ごめんね」と言いたくなるのもよくわかる。でも、あえてその空気をさえぎった。ここまで数人で話し合っただけで、クラスとしてはまだ最適解の段階。
これから始める全体交流のために、生徒たちは半円形に集まった。念のため、“対面ではなく、マスクも着用”とお断りしておく。
田澤教諭「どんな話になったか、教えてください」
生徒たち「相手が“らしさ”を出さないと、自分も出せないから、真ん中辺り(座標軸の中心)」「自分たちの班は全員右寄り(自分らしさを出している)で、自分は心を開いているけど、相手はどうかわからない」
ここからの対話を可能なかぎり再現してみる。教師(学級担任)と生徒の関係ではなく、中学時代を通過した卒業生と現役生、人生の先輩と後輩、社会人と学生……そんな立場での対話だと思いながら聞かせてもらった。
(コメントの前のTはティーチャーではなく“TAZAWA”のT、EはEVERYONEのEで生徒諸君)
T「気になったことがあった。ぶつかりたくない、ぶつかり合いを避けると書いてある。聞いてもいい? 友達との関係でぶつかってはだめなの?」
E「めんどうくさくなる。仲直りできて、さらに関係がよくなればいいんですけど、だいたいそうはならなくて、『あのとき、ああだった』『あいつがああ言った』みたいなことになって、ずっと引きずるから」
T「みんな一番いいのはAだって言ったでしょ。それなのに、どういうこと?」
E「僕は『雨降って地固まる』。ケンカになれば、考えはこうだなってわかるから、よりいろんなことを言いやすくなって、もっと仲よくなれる」「相手に信頼してもらえる」
T「こんな意見もあるけど、やってみる?」
E「やろうとは思わない。どうせ違うから、別にいいや」
T「それでモヤモヤしない?」
E「意見が違うのは怖い」
T「意見が違うのは怖い? そうなんだ。意見が衝突するのは悪いこと?」
E「悪くない」
T「悪くないのになぜ変わらないの?」
E「怖い」「すすんでケンカする人はいない」
T「じゃあ、衝突したときはどうすればいい? あきらめる?」
E「相手に意見の理由を聞いて、それに対して自分はどう思うかを相手に言います」
T「なるほど。相手の話を聞く」
E「相手の話が腑に落ちるまで、しゃべらない。ぶつかったときはお互いに熱量をもっているから、距離をおく」
納得解には一向にたどり着かない。
自分が納得できる“解”は何?
田澤教諭は、納得解を無理に導き出そうとはしなかった。代わりにこんな話をした。
「半年、きみたちと生活して、こういう話をたくさん聞いています。これから、修学旅行もあるし、最後の体育祭があって、演劇発表会があって、そこではきっと本気になる。そのとき、こういうことが起こるかもしれない。じゃあ、モヤモヤしたまま終わらせる? ケンカしろとは言っていないですよ。だけど、意見がぶつかったときの対処の方法がどうなのかなと、考えてほしいと思います」
こういう経験をたくさんして、それを乗り越えて、自分を見失わないできた、人生の先輩の思いだ。自分を抑えすぎると、そのうち自分が何者なのかわからなくなる。
最適解は出ている。教師がどんな納得解を期待しているかもわかっている。だからといって、みんながまた声をそろえて「エ~」では、この時間の意義が半減する。
たくさん話し合って違う考えも聞いたけど、やっぱり今の自分が納得できるのはそうではない。でも、先生の言ったことも心のどこかに引っかかる……そんな終わり方だった。
「自分らしさという点で、今までの自分と、これからありたい自分について書いてください。自分と向き合う時間にしてください」
その場で、体を屈めてひざに乗せた「道徳ノート」に黙々と書き始める。
思い返せばこの時間は終始、「確かに」「なるほど」と相づちを打ちながらも、「それはわかるけど、自分は違う」とそれぞれ異なる意見や考えのやり取りだった。でも、クラスに気まずさが残った様子もない。
自分と向き合ってどんな対話をしたのか、ノートには何が書かれたのだろうか。
現実的なテーマを真剣に語り合う中学生の姿や声。見ていて、聞いていて、なぜだかうれしくなった。
それも、現実に起こり得る
この研究発表会では、白新中学校のすべての学級(各学年2学級)で道徳の授業が公開されていた。「せっかくの機会なのだから」と全学級での公開になったのだそうだ。
授業は参観できなかったのだが、研究を重ねた「考え、議論する道徳」が各学級でどのように実践されたか、指導案をもとに授業の構想だけでも紹介したい。中には、最適解さえ見つからないのではないかと思える重厚なテーマで議論した授業もあった。
◆1年1組・橋本千裕教諭(対話)【主題名】「撮れなかった一枚の写真」(よりよく生きる喜び)
戦場で出会った母子の写真を撮らないという決断をしたフォトジャーナリスト吉田ルイ子の著書を題材に、「A職業人としての責任」「B仕事で関わる相手への思いやり」という二つの価値観を考える。
2時間で構成されており、1時間目にはAの例として『ハゲワシと少女』というかつて大きな話題になった写真を提示。2時間目には、「大スクープをつかんだ新聞記者がそれを記事にするか、それによって嫌な思いをする人を気づかって記事にしないか」という設定で、ワークシートを使って自分はAかBかを判断し、話し合った。
◆1年2組・笹原佑介教諭(UDL〈授業UD〉)【主題名】「銀色のシャープペンシル」(よりよく生きる喜び)
友達のシャープペンシルを拾って自分の物にしてしまった“僕”が、返したり謝ったりできない自分の弱さに向き合い、やっと謝罪に向けて一歩踏み出す話が題材。
導入では、①“僕”の行動を確認しながら、そのときの“僕”の気持ちを確認(教師との対話)、②“僕”の行動や気持ちと、自分の考え方を比較(座標軸に共感度を表示)。学習課題の把握。展開では①生徒同士の対話により“僕”の心の弱さがどこにあるのかを捉える。②全体で“僕”の心の弱さを表すキーワードを確認。③“僕”が相手に言うセリフを考える(謝罪、言い訳、克服のきっかけ)、④多くの人が感じている思いを抜き出して最適解を導く。終末で、自分事として考えたとき、自分がとる行動を判断(「謝れる→いつ・手段・理由」「謝れない→理由」という考えを整理できるカードを活用)。
◆2年2組・和田卓之教諭(FT)【主題名】「人って、本当は?」(よりよく生きる喜び)
学習課題は「性善説、性悪説をどのように生かしていけば、人は成長できるだろうか」。まず①二つの説を確認し(教科書)、②日常的な場面から、性善説と性悪説の考えや行動の違いを確認(例・和田先生は中学生に宿題は必要ないと思っている。この考え方はどっち?)。学習課題を確認したあと、③具体的な場面(教材)から、2つの視点から物事の捉え方と実際の行動について考える(FT)。
「二つの視点で考えて行動することで、人は成長できる」と最適解を得たあと、④自分のこれまでの生活を振り返り、納得解に導く。⑤これからの自分の行動を考える。
◆3年1組・渡辺一宗教諭(対話)【主題名】「命の選択」(生命の尊さ)
尊厳死の是非を考える。学習課題は「命の選択をする時、どんなことを大切にすればよいだろうか」。コロナ禍初期には「トリアージ(治療の優先順位)」が現実の話題になった。
「尊厳死とその問題点」という資料や延命治療を取りあげた教材(本人の意思と家族の感情)をもとに、ピラミッドチャートを使って生徒たちはグループで議論する。実際に経験した生徒もいるかもしれない。きっと最適解さえもない。いかに自分を納得させるか。
◆3年2組・藍沢まき子教諭(UDL)【主題名】「手品師」(自主、自律、自由と責任)
(指導案は丸山郁美教諭が作成。授業公開当日は丸山教諭が産休中のため、指導案に基づいて藍澤教諭が授業)
学習課題は「誠実な人とは、どのような人か」。誠実な人は、自分の意思と相手への気づかいとの板挟みにあってしまいがち。教材は、子ども(他人)との約束を優先して、自分に訪れたビッグチャンスをふいにした手品師の話。ここから「誠実な人」を考える。
考えるに当たって、丸山教諭が準備したのが、自身が考案した3タイプの思考ツール。自分はどんな観点からアプローチすると判断しやすいかによって使い分ける(自己との対話で活用)。UDLの具体例だ。深く考え、よく議論するための工夫がこらされている。