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教育ジャーナル Vol.32-7
■校長アンケート
日々の一喜一憂はどんなことでしたか?
学習指導要領改訂の議論の中にも、何げない日常がある②
【全2回】(第2回)
■校長アンケート
日々の一喜一憂はどんなことでしたか?
学習指導要領改訂の議論の中にも、何げない日常がある②
全2回【第2回】
教育ジャーナリスト渡辺 研
校長に伺ったアンケートについて、今回は、日常の悲喜こもごもを紹介する。

何げない日常
Q3 悩んだこと、困ったこと。その解決は?
学校と保護者が手を携えて
数百人の児童・生徒、数十人の教職員。学校の外には保護者や地域の人々。これだけの人数がかかわる学校では、何げない日常の中にも困ったことも起きる。そこをどう解決して平穏な日常生活を取り戻したのか。
◆不登校、不登校傾向の増加はとても大きな学校課題です。まったく解決には至っていません。一人ひとりの状況に合わせて、個別の対応をしていますし、短期的・中期的な目標も、それぞれの生徒によって異なります。とても細やかに対応していますが、一挙に解決できる問題ではありません。(中学校)
別室登校児童・生徒の居場所となる「校内ハートフル」(横浜市)などの取組も進められてはいるが、不登校に至る原因が不明瞭な場合も多く、学校の対応だけではどうにもならない問題だ。でも、教師は「ここで見放してしまったら……」と考え、努力をやめない。
◆「発達障害」と「愛着障害」の違いについて、市全体で考える研修機会を設けた。
コロナ禍を経て、保護者が子育て、家庭教育の在り方に悩み、登校させれば学校がなんとか成長させてくれるものと思っている節がある。だからか、学校や教員への期待が大きすぎ、保護者が思い描く理想に届かないと、学校や担任教師等への不信に陥る。それが自分の子どもに伝わって、子どもが学校や教師などへの不信感をもち、学校、教師はそれに対応すべく働き方の乱れが生じ、結果的に何も好転しない日々が続いていく。
例として、子どもが見せる望ましくない行動に対して学校は「発達障害」を疑い、客観的な知見を得たいがために医療機関の受診を勧めるが、それには応じない。研修を通して、そうした行動は、家庭からも学校からも誰からも得られていない「愛情の不足」に起因していることがわかり、学校と保護者が共有して日々の学校教育・家庭教育に取り組んできた。その結果、少しずつ改善してきたと思われる。(小学校)
近年、「(保護者が)そんなことまで、学校任せにしてはダメだ」と思うことが多いのだが、こういう話(乳幼児期からの愛され不足)を聞くと、一方で「学校があるから、この子は救われる」と思ってしまう。
チームで計画的・段階的に
昭和から平成、令和と時代も変わり、さすがに「排他的な学級王国」や「孤立無援の学級担任」といった言葉を見聞きすることはなくなった。代わりに登場した「チーム学校」は、今、どう機能しているのか。
◆子どもや保護者の価値観やニーズは多様化しており、それに一つ一つ応えていくためには、学校もチームや組織で計画的、段階的に取り組む必要がある。(小学校)
小学校にも教科分担制やチーム学年経営がしだいに浸透してきて、そのプラスの面が理解されてきている。困った問題への対応も大変だが、一人の学級担任が30人もの子どもの全責任をもつシステム自体に無理がある。若い教師が増え、教師自身の人生経験もそれほど豊富ではない。だから、多様なメンバーでチームを構成し、多様な子どもたちにかかわるほうが、子どもたちも安心する。国の方針は「教科担任制」だが、現場が「チーム学年経営をベースとした教科分担制」として運用しているのは、いくつもの意味で、それが現場の実情に合っているからだろう。
◆例年同様、子ども同士や子どもと教員、保護者と教員間で問題が生じました。学年担任制で協議体制が構築できた学年は、意見の異なる教員が対立を乗り越え、協議体として問題を解決することができたと思います。
一方で、他府県の先生と話していると、異口同音に出てくるのが、一般教員による教務主任や管理職への“問題の丸投げ”の徒労感でした。他府県でも同じような課題が出てくることを考えると、学校の制度設計や運営設計に問題があるように思います。一人の責任ではなく、共同責任でことを進めることが解決への道筋だと考えていますが、その学校の問題として片づけず、学校の垣根を超えた本音の対話を心がけています。(小学校)
後半の内容は認識していなかった。「一人で抱え込む」のではなく「管理職等に丸投げする」。“Z世代”などと分類されさまざまな“あるある”的な話題が紹介される。気づかったつもりの声かけが“〇〇ハラ”。管理職はこんな“多様性”にも対応しなければならない。
◆教職員一人ひとりの多忙感を受け止め、どう支えていくかに悩む場面が多くありました。日々の業務に追われる中で大切なことが後回しになってしまうのではないか、という不安を感じることもありました。解決のために意識したのは、会議や打ち合わせの進め方を見直し、簡略化できることを一緒に考えるようにしました。(小学校)
一緒に考え、納得解を探るうちに、世代間ギャップを越えられるかもしれない。
◆特にありませんでした。しいて言えば、管理職の資質向上をどう気づかせ、図っていくかということでしょうか。(中学校)
大きな都市にある各学年5学級規模の中学校だ。何がうまく回れば、こんな平穏無事な1年間が実現するのだろうか。
ただ、やはり、保護者が自らの責任を自覚しないと話はどんどんややこしくなる。
Q4 うれしかった出来事は、仕事の糧になりましたか?
人の成長の瞬間に立ち会える
どんな仕事にも悩みや困難はある。でも、それを補ってくれる喜びを、日々、実感できる仕事は、きっとそれほど多くはない。
◆全校集会などで、毛筆で書いた言葉を示しながら生徒たちに語りかけています。「今日はどんな言葉や文字が出るのか」と、生徒も職員も興味をもってくれていることが、壇上で話をしている私に伝わってきますし、時に、そうやって伝えた「ことば」を、その後、生徒たちが自分の振り返りに用いて語ってくれることもあります。大切にしてほしいと思っている言葉が浸透していくことを、とてもうれしく思っています。(中学校)
「毛筆で」「語りかけ」……だからデジタル世代の生徒諸君の「こころ」に響く。こんなこと、AIなんかにできるはずもない。
直筆の書は、校長室の入り口に掲げられている。廊下など校内の至る所に「学校教育目標」が掲示されており、生徒は日々それを目にする。あえて意識しなくても、言葉が心にしみて、彼ら彼女らはそんなふうに育っていく。
◆行事や日常の中で、子どもが自分たちで考え、協力しながら乗り越えていく姿を目にしたとき、何度もうれしさを感じました。また、そうした子どもたちの姿を、教職員が「よかったですね」「あの場面、子どもが成長していましたね」と語り合っている様子を見ることも、大きな励みになりました。学校は、子どもと同時に大人も育ち合う場なのだと、改めて実感しました。
こうした日常の一場面、一場面が「この仕事を続けていてよかった」と感じさせてくれます。忙しさの中でも、子どもの姿を丁寧に見取り、共有することの大切さを、これからも忘れずにいたいと思っています。(小学校)
これだけの数の子どもたちだ。必ず誰かが「昨日までできなかったことが、今日はできるようになった」。その積み重ねが成長。教師はこんな環境にいる。子どもの成長を的確に見取ることができれば、仕事の喜びを実感するはずだ。先輩たちはそれを糧にして、仕事を続け、教師として成長してきた。
◆教師という仕事は、子どもの成長の瞬間に立ち合えるすばらしい仕事です。子どもや保護者からの「先生に出会えてよかった」という感謝の言葉は、人生を生きていく上での何ものにも代えがたい財産になります。(小学校)
感謝や労いの言葉一つで、教師はさらに意欲をもって仕事に励む。威圧的なクレームよりも、それが子どものためになる。
◆アドバイスや指導によって、若手教員が力をつけ、子どもとともに成長していく姿を見ることができたことです。もちろん、仕事の糧になっています。(中学校)
校長先生からみれば、若手教員は“子どもたち”のようなものだ。
教え子が大人になり、親になり
今はもう、校長先生と子どもたちとの距離は近い。こんな交流も生まれる。
◆(つい笑みがこぼれるのは)廊下で出会った子どもたちが、私に向かって「番長先生!」と呼んできて、「誰が番長やねん!」と切り返すときです。子どもたちは笑顔でこちらを見てくれており、言葉ではない安心感のあるやり取りだと感じています。一般的には正しくない関係性かもしれませんが、こんなやり取りができるのは、私以外の教員と子どもたちの間にも自然な会話が存在するだろうし、フランクな関係性ができているからだと思っています。スポーツ界(特に部活動)などの行き過ぎた礼儀正しさとは違う、安心感です。
校長職は孤独感を感じがちですが、身近の人々、特に子どもたちや教頭・教職員と笑いながら話せることが、この仕事を続ける理由かもしれません。(小学校)
教師にはあまりピンとこない感じ方だと思うが、子どもたちが直感的に受け入れてくれる、信頼してくれる大人であることはすばらしいことだし、うらやましい。
ところで、「なんで校長先生じゃなくて番長やねん?」
◆退職となり、学校の教職員に最後にこんな話をしました。「教員として38年間取り組んできた。日々の小さな一喜一憂は、教員としての喜び、楽しさ、また、苦労・困難を乗り越えたときの安堵も含めて、教員を志し、長きにわたり続けてきた意味でもあった。
結果は毎日の中で見られるものではなく、教え子たちが大人になり、親になり、それぞれの人生を築くうえでのベースに〝あのとき、A先生が教えてくれたことが、今の自分に生きているのではないか?〟と心の中で感じてもらえること、それが直接的に自分に伝わってくることがあってもなくても、それが教員としての喜び、楽しさ、やりがいである」
教育の結果を性急に求めすぎる現代の日本。それそのものをみんなで見つめ直し、反省し、もっともっと「ゆとり」の中で「将来の日本を創る子ども一人ひとり」を育てる必要があると感じます。(小学校)
定年退職を知った学級担任当時の数人の教え子から、うれしい手紙が届いたそうだ。
教師は人の人生に大なり小なり影響を与える仕事。責任は大きい。教師といえども不調な日もある。でも、子どもたちとのかかわり合いの中で笑顔を取り戻し、「明日、またね!」と挨拶を交わしながら、校長先生も若い先生も、どうか教師人生をまっとうしていただきたい。「将来の日本」は、子どもたち以前に教師にかかっている。
(了)
次回の予定
9月28日(月)
教科等を補完する時間で一人ひとりの「やりたい」を引き出す①