with Sports 谷保恵美さん(千葉ロッテマリーンズ広報室所属 場内アナウンス担当)
(2020年12月10日更新)
「スポーツと生きる人」から、スポーツの今とこれからを知る
谷保 恵美 さん
千葉ロッテマリーンズの本拠地、ZOZOマリンスタジアムで場内アナウンスを担当する谷保恵美さん。スターティングラインナップの発表や観客への注意喚起といった進行のほか、盛り上げを演出する重要な役割を担う。2019年7月には一軍公式戦アナウンス通算1,800試合を達成するなど、30年にわたって活躍する谷保さんに、この仕事の魅力を聞いた。【取材・文/荒木美晴】
「千葉ロッテ、マリィ~ンズ」
明るいトーンのその一言で球場を一体にさせる美声の持ち主、球団場内アナウンス担当の谷保さん。1991年に初めてマイクを握り、現在は年間143試合中、71~72試合のホームゲームすべてを、谷保さん一人が担当している。今季は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が3か月遅れるなど、状況は一変。6月23日にようやく迎えた初公式戦は無観客だったが、谷保さんはいつもの試合のように選手をコールし、テレビ中継を観ているファンに元気を届けた。「顔が見えない声の仕事。だからこそ、マイクの前では明るい気持ちでいるようにしているんです」
ZOZOマリンスタジアムの風速10mを超える海風は、もはや名物。その中で観客が聴き取りやすいように発声することを心掛けているという谷保さん。2016年に引退したサブロー選手のコール「サブロー」に代表されるように、語尾を伸ばす特徴的な選手紹介も、実はこうした球場の特性や選手の登場曲に合わせたアナウンスを研究するなかで誕生したものだそうだ。
放送席では、交代する選手を双眼鏡で確認し、スコアブックもつける。また、“猛打賞”や“1000安打”といった記録をすぐにアナウンスするために、試合前には相手チームの選手の資料にも必ず目を通す。1試合、5~6時間は席を離れることができない過酷な現場。仕事柄、かぜは許されないため、喉のケアはもちろん、食事や体調管理は常に注意し、仕事に臨む。そのプロ意識の高さから選手やスタッフに慕われ、親しみを込めて「ヤッホーさん」と呼ばれる。「今の若い選手は息子世代だから、なかなか呼んでくれないけれど、うれしいですよね」と、谷保さんは笑う。
父親の影響で幼い頃から野球好き。高校・短大時代は野球部のマネージャーを務めた。大学のリーグ戦で憧れていた場内アナウンスを初めて経験。社会人になってからも仕事にしたいという想いが強く、プロ野球の各球団事務所に採用の問い合わせをし続けた。募集はほとんどなく、3年ほどアルバイトをしながら、チャンスを待った。そしてついに、当時のロッテオリオンズに職員として入団することができたのだった。「最初は総務・経理の仕事に就き、アナウンスのチャンスがきたときには即戦力になれるように、何度も球場に足を運び、先輩アナウンサーの技を自分なりに学びました。2年目に2軍の担当に空きができ、私に声がかかったんです。よく自宅でカセットデッキにマイクをつないでコールの練習をしましたね。でも本番は緊張して、マイクのスイッチをオンにしたり、オフにしたりして、なかなかしゃべり出せなかったことを覚えています」と振り返る。
それから30年。ずっと続けてこられた理由は何だろうか。谷保さんに聞くと、「野球が好きだからです。長くやっているので“潮時かな”と思ったことはありますが、自分が選んで就いた仕事だから、嫌で辞めようと思ったことはないですね」ときっぱり。そして、こう続ける。「好きなことが見つかるって、すごく素敵なことだと思うんです。私はほぼ独学ですが、好きだからやってこられました。そうそう、ロッテにも元陸上競技部の選手がいて、彼は今、足のスペシャリストとして大活躍中なんですよ。学生のみなさんも、自分の“好き”から何か見つけてほしいですね」
谷保さんの次なる「夢」は、後輩を育てることと、ロッテがホームで日本一になることだ。「私が入団してから2005年と2010年に日本一になっているのですが、いずれもホームでの優勝決定ではなかったんです。次こそは、千葉の皆さんと一緒に優勝を見届け、歓喜したいですね!」
若き日に球場で感じたドキドキを信じ、行動に移し、夢を実現した谷保さん。そのときと変わらぬ美声を海風に乗せ、これからもグラウンドを盛り上げていく。
PROFILE ● たにほ えみ
1966年生まれ、北海道帯広市出身。札幌大学女子短期大学部卒業。1990年に株式会社千葉ロッテマリーンズ(当時のロッテオリオンズ)に入社し、総務部に勤務。翌1991年から場内アナウンサーに着任し、今年で30年目のシーズンを迎える。年間70試合以上のホームゲームをたった一人で担当する唯一無二の存在で、選手やチームスタッフから絶大な信頼を寄せられている。