with Sports 山下良美さん(サッカー審判員(国際主審))
(2021年8月17日更新)
「スポーツと生きる人」から、スポーツの今とこれからを知る
山下 良美 さん
選手との対話、副審との連携で試合を裁くサッカーの主審。山下良美さんは国内で国際主審の資格を持つ女性4人のうちの1人で、世界最高峰の大会であるFIFA女子ワールドカップでも笛を吹いた。今年からJリーグの主審を担当するなど活躍の幅を広げる山下さんに、審判員になった経緯や女子サッカー界発展へ©JFA の想いを聞いた。【取材・文/荒木美晴】
サッカーをしている人であれば、誰もが憧れる夢の舞台、ワールドカップ。2019年にフランスで開催された「FIFA女子ワールドカップ」には、なでしこジャパンのほかに4名の日本人がピッチに立ったことが話題になった。彼女たちの仕事は、審判員。主審の大役を全うした山下さんは、「入場前のぞくぞくする感じ、選手の高揚した顔や目つきまで、全ての瞬間を覚えています。私にとって、やはり特別な経験になりました」と振り返る。
幼稚園生のころ、2歳上の兄の影響でサッカークラブに入り、中学までは朝から晩までサッカー漬けの日々を送っていた山下さん。高校には女子サッカー部がなかったため、バスケットボール部に入部。この3年間は部活動に集中し、サッカーから完全に離れていたが、「だからこそ、やっぱりサッカーが好きだという気持ちに気づけました」。進学した大学ではその想いをぶつけるかのように、女子サッカー部で仲間とともに練習に明け暮れた。
審判員という仕事に出会ったのも大学時代。「全く関心がなかった」が、山下さんの先輩で、現在は共に国際審判員として活躍する坊薗真琴(ぼうぞのまこと)さんに誘われ、軽い気持ちで大会に参加した。そのあとに男子高校生の試合などでも笛を吹くようになり、少しずつ選手とは違う審判の世界の魅力に気づいていったという。「一つの試合で選手がピッチに立てること、観客が楽しめることは、審判員ら多くの人が支えているからだと学べたのが大きかったですね。その“裏の面”を知る中で出会った人たちは、本当にサッカーが大好きで、会話も新鮮で面白い。私は幼いころから関わってきた女子サッカーを盛り上げたいと思っていたので、審判員という選択肢を考えるようになりました」
卒業後は社会人クラブでプレイをしながら、2012年に女子1級審判員の資格を取得した山下さん。2015年に国際サッカー連盟(FIFA)の国際審判員に登録後は、U-17女子ワールドカップ2016年ヨルダン大会、2018年ウルグアイ大会など女子の主要国際大会を経験し、前述の2019年女子ワールドカップフランス大会の抜擢につなげた。
同年には男子トップリーグの試合を担当できる1級審判員に認定される。そして今年2021年1月、女性審判員初となるJリーグの主審としてリスト入り。5月16日にJ3リーグ第8節のY.S.C.C.横浜対テゲバジャーロ宮崎戦を堂々と裁き、複数のメディアで取り上げられた。「当初は、Jリーグを担当することが果たして日本女子サッカー界の発展に貢献することになるのか、正直なところ疑問もありました。しかし、こうして今まで目に留まらなかった審判員に注目してもらう機会が増えたことで、それはきっと女子サッカー界のためになる、と考えるようになりました」とほほ笑む。
選手同様に1試合で10km以上の距離を走りながら、正しく説得力のある判定、スムーズな運営といった、サッカーの魅力を最大限に引き出すことが審判員の責任だと言い切る山下さん。そのために、フィジカルトレーニングやチームと選手の映像分析、国際大会での共通言語である英語の勉強など、日々の努力を怠らない。「しっかり準備することが私の役割。逆に言えば、いくらでも自分で高められるということなので、向上心を持って取り組める魅力ある仕事だなと思いますね」とやりがいを語る。
大学時代、「先輩に半ば無理やり連れていかれてスタートした」審判員としての歩み。そこから世界へと羽ばたいた山下さんだからこそ、やりたいことが見つからない人、将来の選択肢に迷っている人に、こんなメッセージを送る。
「1歩踏み出して挑戦することが大切なんだと、私は改めて実感しています。関心があることはもちろん、関心がないことも、やってみるとその新しい世界の魅力に気づくことがありますから」
PROFILE ● やました よしみ
1986年生まれ、東京都出身。東京学芸大学女子サッカー部で活躍し、卒業後の2012年に女子1級審判員資格を取得、2015年に国際サッカー連盟(FIFA)の国際審判員に登録。2018年FIFA U-17女子ワールドカップウルグアイ大会、2019年FIFA女子ワールドカップフランス大会では主審を担当した。国内では天皇杯などで笛を吹き、同年に1級審判員に認定、2021年5月にJリーグ史上初めて女性審判員として主審を務めた。