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With Sports 「スポーツと生きる人」から、スポーツの今とこれからを知る

with Sports 寺西真人さん(東京2020パラリンピック競泳日本代表コーチ/タッパー)

(2021年8月17日更新)

「スポーツと生きる人」から、スポーツの今とこれからを知る

寺西 真人 さん

昨夏の東京2020パラリンピック。競泳の全盲クラスの男子100mバタフライで悲願の金メダルを獲得し、涙を流す木村敬一選手に寄り添ったのが、タッパーの寺西真人さんだ。「見えない」選手の「目」となり、ターンやゴールを知らせるタッパー。その第一人者で、元教員の寺西さんに、パラリンピックの裏話や教育現場への想いを聞いた。【取材・文/荒木美晴】


競泳の会場、東京アクアティクスセンター。無観客でありながら、会場内は熱気に包まれていた。バタフライは木村選手の得意種目。50mを1位で折り返し、後半も先頭をキープしてゴールへ。寺西さんはタッピング棒で木村選手の背中を叩き、その順位を確認すると、力強く、何度もガッツポーズを作った。木村選手はパラリンピック3大会目にして、初めての金メダル獲得。プールから上がった木村選手の腕をとり、高々と掲げると、また涙がこぼれた。17年間抱き続けたふたりの夢が、叶った瞬間だった。

木村敬一選手(左)と 寺西真人さん(右)

タッパーの役割は、視覚障害の選手に、先端にスポンジのついたタッピング棒で頭や体の一部を叩いてターンやゴールの壁を知らせること。叩くタイミングが少しでもズレるとタイムロスが生じ、また事故にもつながりかねないため、選手とタッパーの信頼関係が重要とされている。
木村選手が筑波大学附属盲学校(現 視覚特別支援学校)中等部2年のときに、当時教員だった寺西さんが水泳部で指導し始めた。木村選手の先輩にあたり、パラリンピック6大会で金メダル5個を含む21個のメダルを獲得し、東京大会では日本選手団の団長を務めた河合純一氏も寺西さんの教え子だ。
実は、学校のプールのサイズは12mと小さく、授業で教える内容も泳ぎの基本で、当時はタッピング棒は使用する必要がなかった。寺西さんがタッピングについて知ったのは、河合氏が日本代表として海外の大会に出場するようになってから。タッピング棒は基本的に手づくりで、各選手がさまざまな工夫を凝らしていたことから、寺西さんも研究を始めた。「学校のごみ置き場に落ちていたモップの柄に、子どもが着ける浮き輪を刺したものが第1号です。木の棒だから手にとげが刺さったりしてね。白杖や突っ張り棒、水道管のビニールパイプに取り替えてみたり、いろいろ試しました。それで最終的に、持ち手は軽くて丈夫な釣りざおを使うようになりました」と、歴史を振り返る。

自作のタッピング棒

叩く場所とタイミング、先端部分の素材は選手や種目によって異なるという。タッパーはルール上、競技中に選手に話しかけてはいけない。その分、このタッピングで意思疎通を図るため、普段の練習から息を合わせることが大事になる。木村選手の場合は、ゴールまで距離があるときは頭の遠いところを弱く、ちょうどいいときは真ん中をポンと叩き、突っ込みすぎて壁が迫っているときは頭では間に合わないため背中を強く叩く、というように使い分けているそうだ。「僕らが選手の泳ぎをコントロールできるわけじゃないけれど、タッピング技術が0.01秒のタッチ差を削り出すので、タッパーのミスは許されません。ちなみに東京パラリンピックでの木村の100mバタフライのフィニッシュは、木村の気が緩まないようぎりぎりまで壁に引き付けてから背中を思いっきり叩いたので、タッピング棒がポッキリ折れちゃいました。私も力が入っていたみたい」と笑う。

2012年夏季パラリンピック・ロンドン大会にて

視覚障害者の水泳指導を始めて30年。当時は視覚障害者が泳ぐという文化はなく、危険だからという理由で街のプールで泳ぐ許可はなかなか下りなかった。泳げてもタッピング棒の持ち込みにその都度説明が必要だったという。だが、徐々に視覚障害のスイマーが増え、さらに今回のパラリンピックで「その認識は変わっていくでしょう」と期待する。
「私ね、別の学校から盲学校に勤めることになったとき、『え、盲学校ですかぁ?』って言ってしまったんです。当時の自分をぶっ飛ばしたいですよ。それまであまり障害者のことを知らなくて。でも彼らに会ったら、こんなに純粋な子どもたちがいるんだって衝撃が走り、同じ釜の飯を食うなかで、彼らに寄り添う指導方法に変わりました。今の教員は苦労も多いと思いますが、教育現場に差別をなくし、思いやりを持つ心がさらに芽生えることを願っています。


PROFILE ● てらにし まさと
1959年生まれ、東京都出身。日本体育大学卒業後、母校の高校の保健体育科非常勤講師、筑波大学附属視覚特別支援学校の非常勤講師を経て、正式に同校教諭に。自ら水泳部を立ち上げ、河合純一氏や秋山里奈氏ら、パラリンピックメダリストを育てた。木村敬一選手は中学2年のときから指導をスタート。2020年に木村選手が単身アメリカ留学から帰国した後は、彼を支えるため退職し、東京2020パラリンピックで金メダル獲得へと導いた。