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SDGs×道徳

〈対談〉SDGs×いのちの教育 ②

(2023年5月9日更新)

〈対談〉
SDGs×いのちの教育 

NPO法人いのちをバトンタッチする会 代表 鈴木中人
一般社団法人グローバル教育推進プロジェクト(GiFT) 理事 木村大輔

いのちに向き合うとはどのようなことなのか、生や死について、子どもたちにどのように伝えることができるのか、お話を伺いました。

いのちのバトンを渡し合う

木村 私が所属するGiFTは、よりよい世界をつくっていこうという志を学校教育、社会教育の中で推進することを目指して立ち上げました。GiFTという名前は、「これまでの世代からたくさんの贈り物をいただいた中で、今を生きる私たちは何を残せるか?」という問いに由来します。SDGsの理念から、市民一人一人の行動変容のために何かできないかと考え、多岐にわたる教育活動を行いながら今に至ります。
鈴木さんは数多くの学校でいのちの授業をされていますが、いのちの授業を行うことで鈴木さんご自身に変化はありましたか?

鈴木 私の体験を「いのちの授業」として子どもたちに話すとき、どのように伝えるべきか考えました。私の話は子どもが亡くなる話ですから、死というものを伝えるとはどういうことかを考えました。
死について話すときには、個人の主観がベースになります。例えば、戦争体験を話す人であれば反戦や平和というメッセージになりますし、差別や偏見という視点であれば人権につながります。しかし学校で授業をする上で、子どもたちに伝えるメッセージは個人の主観よりも普遍的なものにしたいと考えました。そこで私は、いのちの授業で伝えるメッセージを「生き抜くこと、支え合うこと、感謝すること、そして親より先に死んではいけないということ」にしました。つまり、死の教育ではなく、どう生きるのかということについて、自分のありのままを伝えようと決めたのです。
子どもたちから教えてもらったことはたくさんあります。第一に、いのちの授業では考えを押しつけず、ありのままを感じ取ってもらうこと、問いかけることが大切だということです。
このことに気付かせてくれたのは、ある小学校での出来事でした。私が授業をしているとき、子どもたちの中に、まったく表情のない子が数人いました。気になって後で先生に聞くと、児童養護施設で暮らす子どもたちで、多くは虐待された経験があるということでした。私はハッとしました。実は、心のどこかで「生きたくても生きられない子がいるのに、なぜ君たちはもっと一生懸命に生きないんだ!」と思っていたのです。「私が話せば彼らは変わる、変わらなくちゃいけない……」と思い上がっていました。
大人も子どももいろいろなものを背負って現実を生きています。たった一度話を聞いただけで現実を変えることなどできません。では、私に何ができるかと問い直し、きっかけを作ることならできるのではないかと考えました。
以来、授業を行う前に、私は子どもたちに「今から小学生の女の子が病気で亡くなる話をします。そこには多くの困難や悲しみがあります。もし自分だったらどうするか、いのち、家族、生きるって何だろうと自分に問いかけてみてください。そして、何か一つ大切にしたいことを見つけて、それを続けてください。きっと幸せになれますよ」と話すことにしました。自分に問いを向けてもらうようにすると、不思議なことに、皆さんの体験や生き方を教えてもらうことが増えました。活動を始めた当初、いのちのバトンは私から渡すものだと思っていましたが、互いにバトンを渡し合い、心が共鳴し合うことが大切なのだと気付きました。
もう一つ、いのちの教育で何を学ぶかについて確信させてもらった、ある男の子との出会いがあります。彼は、私の授業を聞いて大声で泣き出しました。二週間後、子どもたちの感想文が届いたので読ませてもらうと、一番目の作文に先生のメモが貼ってありました。「この作文を書いたのは、あの時泣いてしまった子です。六年生ですが、ほとんど漢字が書けません。いつも無口で何を考えているのか心配していましたが、この子の気持ちを知って涙が止まりませんでした」とあります。
彼の作文を読むと、確かに平仮名ばかり。「僕はいつもお父さんお母さんに迷惑ばかりかけています。親孝行をしようと思ってもなんの取り柄もありません。なにかないかと考えたら、お父さんお母さんより早く死なないことにしました」と書かれていました。彼はいのちの授業で三つのことを学んでくれました。まず、いのちを感じてくれたこと。次に、人は生まれて生きて死んでいくという、いのちの真理を知ってくれたこと。その上で、どう生きるかを考えてくれたことです。これが、まさにいのちを学ぶプロセスなのだろうと確信し、「いのちの学びサイクル」と名付けました。
活動を始めた頃、学校を訪問して感じたのは、死をタブー視していることへの違和感でした。子どもに死を語ることが不安なのは当然ですが、果たしてそれでいのちを感じることができるのでしょうか。生きることは死に反するのではなく、死があるからこそ生きることが分かると私は思うのです。
いのちの授業の冒頭で、子どもたちに「人は死んだらどうなるか」と聞くと、「分からない」と答える子が一定数います。印象深かったのは、小学一年生のある子の「私は分かりません。なぜなら死んだことがないからです」という言葉です。
これが真実です。現実の死に向き合ったことがない子どもが、いのちの実感が薄いのは自然なことです。だからこそ、現実のいのちや死と向き合う「いのちの授業」に多くの方が共感してくださるのでしょう。

木村大輔さん

答えのない問いに向き合う

木村 鈴木さんが子どもたちとの出会いから得た気付きにとても共感します。私もいろいろな学校でワークショップなどを行いますが、大人はつい、ワークショップに参加すれば子どもたちが変わるだろうと考えます。しかし、ワークショップで作ったきっかけをどう学校で拾い、扱っていくかが重要なのですね。
SDGsが、絶対的な貧困をなくす、平和な社会をつくるというゴールを掲げているのは、人の死に直結する問題が今も起きているからです。それは遠い世界の話で、私たちは豊かで平和な国に生まれてよかった……というところで終わらせてしまうのはもったいないことです。自分とは関係がないと思うことの中にも、実は自分につながる部分があるという視点を持ち、思考の幅を広げると見える世界が大きく変わる経験をしてほしいのです。これは、鈴木さんのお話にあった死のタブー視にも通じています。SDGsを学ぶ際、ネガティブな側面が少ない無難なテーマを扱うのではなく、自分自身と重ねて考えることができるリアルな学びを大切にすべきではないかと、鈴木さんのお話を聞きながら思いました。

鈴木 ある中学校へ行ったとき、先生が「午前中はSDGsについて学びました」とおっしゃいました。午後にいのちの授業を行い、生徒たちに感想を聞くと、ある子が「うーん……」と考え込んで「いのちは大切だけど、世の中は(戦争や殺人があって)そうなっていません。いのちが大切って建前なのでしょうか。こういうことを学ばないと大人になれないのでしょうか」と鋭い質問を私にぶつけてきました。
そこで私は、「すごくいいことに気付いたね。みんなが勉強するのは生きていくためなのだけれど、生きていくのは夢の中ではなく現実です。君が矛盾に感じたことも現実です。なぜだろう? と考えることもいのちについて向き合う現実です。プラスなこともあればマイナスもある。それを知った上で、自分で考えて行動する。これが社会の中で生きていくことだと思うし、その第一歩を踏み出した君の問いは素晴らしい。もっと悩んで、考えてください」と答えました。
大人として大切なのは、よい面や模範にしてほしいことばかりではなく、現実をまるごと伝えることだと思います。両面や相対ではなく「まるごと」です。

木村 答えに導くのではなく、探究する、自分に問いを向ける活動が大切なのですね。 日常の中に、子どもたちが主体的に考える機会はたくさんあります。これらを丁寧に扱えば、豊かな学びの機会になります。自分の中で考えを深めるためには知識が必要でだから勉強が大切だという姿勢が、これからの学びのスタイルになるでしょう。
先ほど鈴木さんが話された「いのちの学びサイクル」はこれを体現していて、いのち以外のテーマでも同じプロセスがたどれます。知って感じて、真理を探究して、「では、自分はどうするか?」と問う。そのために、学校という場所は、先生にとっても児童生徒にとっても、自分の考えが否定されず受け入れられる居場所であってほしいと思います。安心して居られる場所だからこそ、現実をまるごと受け止めて、それぞれの生き方へ向き合えるのだと思います。

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