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SDGs×道徳

人生を導いた夏休みの宿題

(2023年10月12日更新)

栃木県那須塩原市立西那須野中学校教諭 藤﨑 由佳

「おめでとうございます。海外旅行が当たりました」
中学三年生の昼食中の出来事である。国語科のN先生が突然教室に入ってきて、私に告げた。私の書いた作文が「JICA地球ひろば 国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト」で優秀賞を取り、副賞でマレーシア研修旅行がついてきたというのだ。
まさに晴天の霹靂(へきれき)。そんなことあるんだ……と呆然としている間に、授賞式が済み、事前研修が済み、気が付いたらマレーシアに居た。
多様性の国、マレーシア。私の運命を決めた国である。


ピースパックプロジェクト

ここで、当時の私について少し紹介させてほしい。私は日本生まれ日本育ちの両親のもと、地元の中学校に通う普通の生徒だった。同年の受賞者には生育歴に外国とつながりのある人もいたが、私はそうではなかった。
受賞した作文は夏休みの宿題だった。「いくつかのテーマの中から一つ選んで書きなさい」という課題で、私はガールスカウト活動を通して考えてきたことを文にまとめるよい機会だと思い、国際協力をテーマに選んだ。
ガールスカウトとは、一九一〇年にイギリスで発足した青少年育成団体で、百五十二の国と地域で約一千万人の会員が活動している(ガールスカウト日本連盟公式サイトより)。
私は小学一年生から高校一年生までガールスカウトに所属していた。たくさん貴重な経験をさせてもらった中で、ずっと忘れられなかったのが「ピースパックプロジェクト」だった。文房具や日用品にメッセージを添えて難民の子どもに送る活動で、小学校低学年の頃に何度か参加したと記憶している。
活動を経るごとに、私は二つの疑問を持った。第一に、なぜ店で買ってきたものではなく、家にある新品のものを探して送るのか。「もったいない」とか「誰かが自分を思ってくれていることが分かってうれしい」とかいうけど、どう説明してもこれは「お古」だ。知らない人間のお古なんて嫌ではないのか。第二に、なぜ筆記具は鉛筆に限られていて、シャープペンシルはダメなのか。シャープペンシルのほうが便利だし、何よりイケている。(小学生にとってシャープペンシルは大人っぽいアイテムだった。)
小学生だった私がぼやいたこれらの疑問について、周りの大人はたぶん答えてくれたと思う。ただ、小生意気な子どもだった私は納得しなかったのだろう。そういうわけで、この時抱いた疑問は心の中に残り続け、時々思い出しては思索の対象になっていた。そして中学三年生の夏休み、作文のテーマ一覧に「国際協力」があるのを知った私は、この件について子どもなりに考えてきたことを文章にまとめてみることにしたのである。

ガールスカウト活動をする藤﨑さん(右から2番目)。
多民族とマレーシア

そんなこんなで身に余る賞をいただき、翌年のマレーシア研修に来た私だったが、そこは衝撃の地だった。なんとマレーシアには多数派の民族が三グループもあったのである。しかも、それぞれの民族同士は言語も宗教も異なる。それまで漠然と「一民族、一言語、一国家」だと思い込んでいた私にとって、マレーシアは衝撃が国の形をした場所だった。
そして、マレーシア流多様性の洗礼にフラフラしている私の前に、一つの出会いが訪れる。滞在中、一泊だけお世話になった家のホストシスターとの出会いだ。中華系マレーシア人で、小学校中学年くらいだったと思う。明るくて話しやすい彼女に、私はたくさん質問をした。学校のこと、マレーシアのこと、生活のこと、彼女はどの質問にも自然でよどみのない英語で答えてくれた。ところが、ある質問でのことである。彼女は答えている途中で、ふと止まり、運転席の父親に何事か中国語で聞いたのだ。やり取りからするに「これは英語でなんというの?」と聞いたようだった。その光景を見て、私は唐突に理解した。
先に述べた通り、マレーシアは多言語国家である。人々は、自分の民族の言語を母語としているが、同時に共通語の地位にあるマレー語や英語も母語と等しく使っている。だから、私はホストシスターが英語で話しはじめても、その流暢さに感心こそすれど、当然だと思っていた。だが、ホストシスターが英語で分からなかったことを中国語で聞いた瞬間、私はある思い違いに気付いた。彼女にとって母語である中国語と英語は同じではない。彼女の言葉の世界は、生まれた時から話している母語=中国語の上に、共通語=英語の世界が乗っている。それらはどちらも彼女の言葉であって、私にとっての英語のように借り物ではない。だが、彼女にとって中国語と英語は置換可能な〈同じもの〉でもない。
それまで私は、言葉や文化は一人につき一つしか持てないと思っていた。だが、別々の言語や文化を自分の中に積み重ねて、どちらも自分のものとして昇華している人がいることを、その時初めて理解したのである。

多文化と日本

帰国後、周りを見てみると日本にも「積み重ねて昇華している人」がたくさんいることに気が付いた。家族と話す時に使う母語(母文化)と、友人と話す時に使う日本語(日本文化)の両方を自分の中に積み重ねて、どちらも自分のものに昇華している人たちである。ところが、日本社会では、「どちらも」という選択肢が少なく、彼らは○○人か日本人かという二者択一を日常的に迫られている。無論、日本は成人の二重国籍を認めていない。だが、アイデンティティという「心の中」の話ならば、「どちらも」があってもいい。それを認められる社会になったら、彼らだけでなく、他のマイノリティにとっても、日本はもっと生きやすい国になる。その手助けがしたい。こうして私は外国につながる子どもたちの教育を大学の専攻に選んだ。
現在は、栃木県の公立中学校で英語を教えている。正直、自分には難しすぎる職だと感じる瞬間がたくさんある。それでも、私の授業を受けた生徒が、世界にはたくさんの言語や文化があることを知り、多様さを楽しむ大人になってくれたら、日本は中高生の頃の私が夢見た国に近づくと信じている。中学三年生の夏休みの宿題が私の人生を変えたように、中学校での出会いが人生を変えることがある。それを信じて、私は今日も教壇に立つ。

* 中学生の時に優秀賞を受賞した藤﨑さんの作文は『新・中学生の道徳 明日への扉 3』(学研)に教材として掲載しています。