微力ではあるが無力ではないと信じて
(2024年4月25日更新)
佐藤 友莉菜
「大学生の時にウガンダで養鶏始めたんだよね」と言うと驚かれることが多い。だが、そのきっかけは「大切な家族の笑顔を守りたい」というみんなが持っているような想いだった。
国際協力の道へ
幼い頃から募金箱を見ると寄付せずにはいられない子どもだったと母から聞いた。町中にはってあるユニセフのポスターやメディアで見る途上国の子どもたちの様子が、なぜか特に気になっていたように思う。
振り返ると、次の三つが主なきっかけとなり、現在の活動に至ったと感じる。一つ目は小学校の授業で途上国について学んだこと。漠然と「なぜ同じ世界でこんな目に遭っている人がいるのだろう」と疑問に思った。二つ目は子どもが好きで将来は保育士になりたいと思っていた時期があったこと。三つ目は高校一年生の時にアメリカのウィスコンシン州へ約一年間留学したこと。日本と異なる教育を受けたことで他国の教育に興味を持った。高校卒業後は途上国教育を専門に学びたいと思い、大学に進学した。そして大学二年生の時、現地で自分にできることを見つけるため、休学してウガンダ共和国の児童養護施設「Kiyumbakimu Children’s Village(KCV)」へ三か月間のインターンシップに出かけた。
訪問当時、KCVには約二十人の子どもたちと寮母のリタ、用務員のコスマが暮らしていた。私はKCVで暮らしながら活動することになった。
私が現地で行っていた活動は主に二つある。一つはKCVで暮らす子どもたちの世話だ。施設のある村には水道、電気、ガスは通っていなかった。(*)そのため、片道二十分の水くみから始まり、薪まき集めや家畜の餌集め(自然に生えている特定の草などが餌になる)、全て手作業で行う全員分の洗濯など、日本で行う家事に比べるとはるかに時間も体力も必要となる。もう一つは現地の小学校や保育園での授業。ウガンダは基本的に全ての授業が英語で行われる。
*KCVには小さなソーラーパネルがあり、スマートフォンなどを充電するほどの電気はあった。
ウガンダの子どもたちと暮らして驚いたのは、彼らの生活力の高さである。施設で暮らす子どもだけでなく、村の子どもたちも当たり前のように家事を担っていた。また、何かが壊れてしまっても、直してできる限り使おうとする姿勢にも感心させられた。
KCVの運営は現地のNGO団体が行っていたが、資金は十分とは言えなかった。子どもたちはチャイルド・スポンサーシップによる支援を受けたり、ボランティアから個人的な支援を受けたりすることも多かった。
ウガンダでの私の家はKCVであり、そこに暮らす子どもたちは私にとって家族だった。だから、十分な生活資金がなく食事は一日一回、学費が未納という理由で学校へ送り出しても帰されてしまう、薬代や交通費がないため診察料無料の病院へも行くことができないという状況の子どもたちと共にいることが苦しかった。なんとかしたいと強く思い、KCVに直接収入が入る仕組みを作りたいと考えた。
養鶏事業の創業
養鶏を始めたきっかけは、村を歩いているときに放し飼いになっている鶏をよく見かけたことだった。小屋を作って管理できるほどの資金がない村の住民は、ほぼ放し飼い状態で鶏を飼育していた。そのため鶏や卵を盗まれてしまうのもよくあることだった。そこで、鶏舎を建ててきちんと管理すれば、安定した収入が得られるのではないかと考えた。村のインフラの状況を踏まえても実現可能であり、鶏糞を農作物の肥料にすることもできる。
初めは滞在中に自分のお小遣いで小さな鶏舎を建築することから始めた。そこで鶏を飼育し始めたものの、帰国時には少しの間の餌代を置いてくることしかできず、持続させるには規模が小さすぎた。
帰国後は大学の授業やアルバイトなど日々の生活に追われたが、養鶏事業に対する悩みは深まるばかりだった。規模を大きくしなければならないのは明白だが、自分にできることは決して多くない。やる意味はあるのだろうか、そもそもこのやり方でよいのだろうかと何度も考えた。しかし、まずは行動を起こし、変化が必要であればその都度少しずつ変えていけばいいと自分自身を励ました。
養鶏のことをきちんと知ろうと日本の養鶏場を訪問したり、資金集めのために仲間が必要だと思い、学生団体を創設したりすることから始めた。そこから約半年で事業を開始する準備を整え、初めての訪問から一年後、学生団体の仲間と共に再びウガンダへ渡航し、改めて鶏舎の建築からスタートした。
フルーツ王プロジェクトの始動
現在は「ウガンダフルーツ王プロジェクト」と名を変えて、養鶏事業時代の仲間主導の元、新たな取り組みが始まっている。
養鶏を開始して二年間、試行錯誤はしてみたものの、このまま養鶏を続けていくのは難しいのではないかと感じていた。大きな課題となったのは生き物が相手だったことだ。餌や薬、獣医による診察などが待ったなしで必要になるが、それらが手に入る都市まではKCVから片道数時間かかる。そんな中、新型コロナウイルスによるウガンダ国内のロックダウンで物流は止まり、物価が高騰した。そこで思い切って路線を変更することにしたのだ。
生き物でないもの、天候に左右されにくく、ライフラインが整っていないKCVで扱えるものという点で、ジャム・ドライフルーツ・はちみつ事業を展開し始めた。生産から加工までをKCVで行い、ウガンダ国内での販売のみならず日本への輸出も目指している。目標はKCVの経済的自立に留まらず、ウガンダ国内の雇用創出だ。仕事がなく困っている多くの人の一助になりたいと考えている。
「自分にできる国際協力って何だろう?」その答えを探してウガンダと出会ってから、二〇二三年で七年になった。今も答えは見つかっておらず、相変わらず悩み葛藤を続けながらKCVと関わっている。これからもトライ&エラーを繰り返しながら、自分の歩幅で少しずつ前に進んでいきたいと思う。そして、子どもたちの笑顔を守りたい、大切にしたいと思って始めたことは常に心に留めておきたい。
※佐藤さんのウガンダでの活動についてのインタビューは、『新版 中学生の道徳 明日への扉 3』(学研)に教材として掲載しています。