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教育ジャーナル Vol.16-2

授業改善

主体的な学び・対話的な学び・深い学び、個別最適・協働的な学び、
学びに向かう力は授業でどう表現されているか 前編
授業者の意図、学習者の姿

授業改善

主体的な学び・対話的な学び・深い学び、個別最適・協働的な学び、学びに向かう力は授業でどう表現されているか 前編
授業者の意図、学習者の姿

渡辺 研 教育ジャーナリスト

 人材育成の始まりとなる小学校や中学校で、コロナ禍で自粛されていた授業公開や研究報告会が徐々に復活しつつある。うれしいことだ。
この間に、リモートによる授業参観や授業後の研究協議も可能になった。利点は大きい。でもやはり、生の授業を通して、教師と子どもたちのやりとりを見たい、聞きたい。
秋から冬にかけて「そういえば、研究会シーズンだった」と思いつつ、いくつかの研究会に参加して、授業を見ることができた。

新潟市立白新中学校の授業――5つの要素

教師全員で実行に移すチーム力

 当Web記事『教師が、自分の働き方を デザインしていけるように 前編』で白新中学校(大橋伸夫校長)で授業を見せていただいたのが2020年秋。コロナによる得体の知れない恐怖感に覆われていた頃だ。
 にもかかわらず「生徒が経験すべきことは中止できない」として、体育祭(学校全体)、演劇発表会(学年単位)、合唱発表会(学級単位)の「三大行事」も“三密”を避けながら実施されていた。授業における対話的な学びも同様だ。コロナだから、教師が多忙だから、それはできない……とは言わない学校だ。
 コロナ禍はまだ続いているが、2年ぶりに訪ねた学校では、新たなチャレンジが始まっていた。もともと全校で(生徒も教職員も)ファシリテーションに取り組んできた(平成23年度~現在)学校で、目的を共通理解して、全員で実行に移すチーム力がある。
 現在の取組は下の図だ。

最上段は教育目標「知性の高い生徒になる」。“~を育てる”ではなく“~になる”。
 教師がいくら頑張っても、生徒に主体的に学ぶ態度とか学びに向かう力がなくては、こうはなれない。まさに今求められている子どもたちの学びの姿だが、白新中学校はこの教育目標と表現を開校以来ずっと掲げてきた。「知性の高い生徒」とは、「よりよい自己・よりよい社会の実現(自己実現)に向けて真剣に努力することであり、活力に満ちた生き方を求め続ける姿である」。
 そこに必要な力(育成する資質・能力)を「自ら考え判断する力」「自分の思いを表現する力」「認め合い励まし合う力」「挑戦しやり抜く力」として、授業や行事を通して育てていく。正確には、その基盤を育てるということなのかもしれないし、中にはこの時期だからこそ目に見えて育つ力もあるだろう。貴重な3年間だ。コロナに邪魔されるわけにはいかない。
 生徒の成長にかかわっていく教師の使命は「鍛える教育」の実現(生徒一人一人がもっている資質・能力を生徒自身の主体的な活動を展開させることを通して引き出し、最大限に高める)。自己実現プロセス(興味をもつ→課題を設定する→実行する→振り返る→興味をもつ→……)を設定して、具体的には、授業に次の5つの視点を設けて、取り組んでいる。
■自己実現プロセスを支える5つの要素=「目的の共有」「ファシリテーション」「対話」「地域連携」「UDL」。
 教師全員がこのすべてに取り組むのではなく、自分が学びたいことや授業課題を踏まえて一つを選択し、同じテーマを選択したメンバーとグループで研修し、授業力向上を図る。
参観した授業も「お互いの授業を見せ合う」という研修の一環だった。

もっと向上を目指して

 では、5つの要素とはどういうものなのか。主体的、対話的、深い、個別最適、協働的といった言葉を意識しながら見ていきたい(「令和4年度 白新中学校の教育」より)。
■目的の共有=「活動がうまくいく時は、みんなが同じ方向を向くことができている時です。同じ方向を向くためには、『何のためにやるのか』という目的を共有することが大切です。目的が共有できていれば、それぞれの立場や役割で別の活動をしていて一見ばらばらに見えても、活動がうまく回っていきます。活動にあたって、教職員同士、教職員と生徒、生徒同士で、『何のためにやるのか』『今何のためにしているのか』を繰り返し確認しながら進めることを大切にしていきます。」
 すべての活動の前提で、主体的、協働的が想像できる。“一見ばらばら(多様性)”が重視される時代にはことさら重要な要素だ。
■ファシリテーション(FT)=「FTとは、話し合いを促進したり、気付きを促したりする手法です(特別活動や授業で実践)。FTは互いの考えを受け入れながら新たな考えを創り出し学びを深めたり、ファシリテーターとなってリーダーシップを発揮したりするなど、様々な教育的効果があることが分かりました。」
 対話的、協働的な学びの有効な手法であり、全体交流と組み合わせることで、より深い学びを実現できる。
■対話=「生徒がもっている資質・能力を引き出し、高めるには、生徒同士の関係だけでなく、教職員が生徒と対話をすることが重要です。生徒は対話の中で、新たな視点に気付いたり、現状を見つめ直したりすることで、より高みを目指すようになっていきます。このような対話を日常的に行うことができるように、教職員は生徒と「目的の共有」をし、生徒の様子をよく見て、事実を基に対話をすることができるようにします。」
 授業改善の取組の当初、全国の学校で対話的な学びは「グループ対話」が主流になった。授業中、子どもたちが活発に話し合う姿は、授業改善の象徴的な光景だった。ただ、子どもたち同士が話し合うだけでは学びを深めていけない課題もある。その後、研究授業でも、教師と子どもたちの対話をメインにする授業が見られるようになった。
 対話を有効なものにするには、教師の人としての深さや広さが求められる。
■地域連携=「自己実現プロセスの『興味をもつ』において、人との出会いは重要です。生徒は様々な人の生き方にふれることで、その人に憧れを抱いたり、自分の生き方について考えるようになります。地域の方と協働して活動することで、人と出会い、人とつながる機会を増やしていきます。」
 生徒と地域の人々が地域課題についてFTを行うこともある。
■UDL=「『多様な子どもたちの多様な学び方』に柔軟に対応できるように、学習の目標の明確化・学習方法や教材・教具の工夫をしていきます。学びやすい環境をつくること で、生徒は学習に興味をもつことができたり、理解を深めることができたり、学び方を工夫したりすることができるようになります。これによって、様々な場面で自ら自己実現プロセスを回していける環境につながっていきます。」
 ユニバーサルデザイン・フォー・ラーニングといい、和訳は「学びのユニバーサルデザイン」。UDとの違いは「学習者に障害があるのではなく、カリキュラムに障害がある」と考えて、「自分の得意な学習方法で、自分自身で選択しながら、学び続ける学習者になる」という考え方。具体例は授業の中で。
 授業改善はさらに先へ進んでいる。それぞれ、実際の授業を通して見せていただいた。

生徒がどう学びたいか

 白新中学校の研修について、研究推進部リーダーの田村友教教諭にお話を伺った。
 田村教諭は現在、新潟大学教職大学院に内地留学中(2年目)で、大まかに言えば、“午前中は白新中で授業、午後は大学院で研究”。教師のキャリアにとって貴重な時間を過ごしておられる。まず、イメージがつかみにくかったUDLを説明していただいた。
「白新では『授業UD』に取り組んできたのですが、“教師がさせたいこと”ではなく、“生徒がどう学びたいか”と、生徒に視点を置きました。教師がいくつか選択肢を用意して、そこから生徒自身が選択して最適な学びを見つけていく。与えられたものをただ受け身でこなしていくだけではなく、自ら“こういうふうに学んでいきたい”と、そんな生徒になってほしいなと思って取り組んでいます」
 この後の国語の授業で登場する。
「教師のほうも、“UDLって何?” “UDと何が違うの?”と勉強している最中です。UDLグループの先生たちが探究して、ミニ講座を開いて全体に発信します。5つの要素それぞれが、そうやって研究・研修を進めています。白新ではFTをずっとやってきましたが、今、研修ニーズは多様化しています。そこで、教師個々にとって個別最適というか、自分の課題に合わせた研修を行っています。“みんなでこれを”ではなく、“点と点をつなげる”という形です」
 もちろん、必要なところではFTを生かしている。生徒同士の協働的な学びをより有効なものにするために、FTを通して育つファシリテーターとしての力も、きっと知性を形成する重要な力の一つだ。
「FTが目的化しないように、必要なところで使うから意味があると考えています」
 FTは“ツール”。そうやってこそ生きる。

教師は生徒のロールモデルに

 これから紹介する授業は、研修の一環であり、外部にも公開しているのだが、あくまでも“ふだんの授業”。
「大橋校長に“日常の授業につながらないことはやめよう”という考えがあり、見せている授業もふだんの授業と変わりません」
 大橋校長は公開授業をちゃんと見て、かなり手厳しい授業評を書いておられる。
「遠慮なく書いてありますね。読むのは苦しいですけど、そこから次の課題が見えて、自分に矢印を向けられます」
 課題に気づかされれば向上もできる。
「校長は『教師の姿が子どもに映る(教師は生徒のロールモデル)』と言います。目指す生徒像を生徒たちに求める前に、自分たちがどう学んでいるか。校内研は“教師だって学んでいる姿を見せよう”と“自分が学びたいことを追究する”、その2点でやっています」
 教師たちの学びは『グーグル・クラスルーム』で情報を一元化。授業動画、指導案、コメントなどがここに入っている。
「授業者にとっては振り返りがしやすいですし、みんなが見ることができるので、ほかの先生がどんな視点で授業を見て、どう評価したのかがわかります」
 日々こういうスタイルの研修が教師たちの間で行われている。
「皆さん、『楽しい』と言いながらやっていますよ」
 十分に生徒たちにも見せられる姿だ。

マイプラン学習に向かうために

 今回、授業を見せていただく主目的は、「目的の共有」をはじめ、5つの要素が実際にどのように表現されているのか。それが生徒にどう伝わったか(生徒の見取り)よりも、どう授業が進められたかを見たかった。きっと“旧スタイル”の授業の見方だが、例えば、教育目標実現のプロセスの第一歩は、授業でその意図が明確に表現できていることだと思うので、今回はそういう視点で参観した。
 当然、研修で授業を参観しておられた校内外の先生方の見方とは異なっている(大橋校長や他の先生の授業評は読ませていただいた)。そのことはあらかじめお断りして、どんな授業だったのかをお伝えする。
◆社会科・小林大介教諭(目的の共有)
【単元名】2年生「江戸時代の産業の発達―新潟町の成長を通して」(5時間)
【単元で目指す深い学びの姿】江戸時代の都市の中で、新潟町が他の都市に比べて発展した(人口が増えた)理由を、新潟の地形や西廻り航路の発展などの理由から説明し、江戸時代の中頃から産業が発展していたことを説明することができる。

 この授業は単元の1時間目。2~4時間目は「マイプラン学習」が設定されており、本時は、生徒がマイプラン学習に向かうために学級全体で課題を共有する時間(目的の共有)に当たる。言い換えれば“学びに向かう力をくすぐる(「なぜ?」と課題に大いに興味関心をもたせる)”時間だ。
 歴史的分野の前単元(7月)でも「江戸時代は他の時代に比べてなぜ長く続いたのだろうか」という課題を学級で共有し、マイプラン学習に取り組んでいた。
 マイプラン学習(単元内自由進度学習)は、個別最適な学び・協働的な学びの具体例(一つの形態)として、にわかに注目されている。これを小林教諭は「学級全体で課題を設定し、その課題解決に必要なチェックポイントとして学習カードを提示し、そのカードをクリアしていく形式にした。これにより、学習の方法や順番は違っていても、同じ目的に向けて学習するようにした」(指導案より)として、この単元に導入した。
 こんな方法で歴史を学ぶことで、都道府県間、市町間の人口の偏りが進む現代的課題解決のヒントが得られるかもしれない。

問い返しが繰り出される

 授業改善の視点でいえば、授業は教師と生徒、生徒同士の対話で進められた。
 生徒たちは1年生のときの演劇発表会で「新潟明和騒動」(1768年、町民が藩政に抵抗し、2か月にわたって町民自治を行った。中心人物は商人・涌井藤四郎)を題材にした劇(新潟樽きぬた)を制作し演じていた(演劇には学年単位で取り組む)。したがって、武士が支配した江戸時代の政治、身分制、経済活動などは理解している。そんなことも前提として、既習事項の確認から授業は始まる。
 授業前から“穴埋め問題”のようにして、「……幕府は⑥や⑦を直接支配し財政を安定させた。……江戸時代の新潟町は⑩が治めていた。」と板書されていた。生徒たちは立ったまま、隣同士で言葉を交わし、全部埋められたと確信したら座っていく。いわば授業に臨むための頭と体の準備運動のようだ。そこから小林教諭と生徒たちが対話しながら“答え合わせ”をしていく。
「⑥は佐渡金山! ⑦は? 大名? 財政から考えて」「石見銀山? 石見銀山は何県?」「⑩は答えてほしいな。長岡藩! ありがとう」。この間ずっと生徒同士で確認し合う声が聞こえる。授業には全員参加だ。「新潟町では何が起きていた?」「演劇はどんなシーンで終わった?」「涌井藤四郎はなぜ斬首されたの?」とテンポよく問い返しが繰り出され、生徒たちは授業に集中していく。
「小さいことがつながると大きくなるので、気づいたことを言ってください」と促されて「町人が勝手に政治をした」「暮らしはよくなった」「でも処刑された」と生徒から答えが出てきて、「それは、武士の支配に反抗したことへのみせしめ」という結論に到達した。騒動が起きたのは幕府が長岡藩に御用金を課したことがきっかけだったことを確認して、ここまでが前単元の復習。だいぶ時間をかけたが、この学びを前提として次に進むには、おろそかにできない。

必要な情報は学級全体で共有

 授業の次の段階は、次時以降の学習への導入。ここからが「目的の共有」だ。生徒に「なぜだろう→探究してみたい」と課題にフォーカスさせることがこの授業のねらいになる。
 小林教諭は、江戸時代の5つの町の人口の変化を表したグラフを示した。町は長岡、高田、新潟町、酒田、敦賀。大別すると城下町と港町だ。生徒たちは相談し合いながら、どのグラフがどの町なのかを考える。
 考えた結果、生徒たちの多くは人口そのものが多いグラフを新潟町だとしていた。でもそれは高田で、人口は減少していた。やはり城下町の長岡も同様に人口は減少していた。
 新潟町は実はこのグラフだと示して「ほかのグラフと比べて何が違う?」と問いかける。
「少なくとも一つは言えるように、隣の人に説明しましょう」。
「人口が増えている」「2・5倍以上になっている」「新潟町と酒田は同じ変化」「でも増え方が新潟町のほうが大きい」としだいに精度が上がってくる。
「人口が増えるのはなぜ?」と問われて、生徒は気づいたことを「祭りがある」「港があるから」「米がとれる」「仕事がある」と活発に発言していく。
 常に“ご近所同士の対話”を挟むので、“間違っていたら恥ずかしい”とためらうことなく少々ラフな気づきでも、全体交流の中で自由に発言する。教師は発言を受けて絶妙に問いでつないで、生徒たちを核心(ねらい)に向かわせる。一見すると“チョーク&トーク型”の授業風景でも、確かに授業は変化している。生徒の自由な考えを広く引き出せれば、グループ対話である必要はない。
「人口が増えるということは、町が栄えたということです。では『なぜ新潟町では人口が増え続けたのか』を考えていきたい。これが課題です」と、マイプラン学習の課題が示された。今後の学びに必要な情報は、軽重に関係なくすべて学級全体で共有していた。「自分たちはすでに何を学んでおり、そこから新たに何を学んでいくか(追究していくか)」……学習課題の確認に1コマをかけた。
 残り時間10分ほどで、マイプラン学習をどう進めていくかが説明されたが、このことは授業後、小林教諭にお話を伺った。

PISAよりも手強そう

 マイプラン学習(単元内自由進度学習)は山形県の天童中部小学校の実践がしばしば取りあげられる学習方法も子どもたちが決めるようだが、こんな重大な決定を子どもたちに任せても大丈夫なのだろうか。自分の責任で学ぶ大学生のレポートとは違う。小林教諭は導入にあたって、こう考えた。
「学び方をまったくフリーにしてしまうと、中学校では広がりがなく、深まってもいかないので、学習カードを用意して、私が学びをコーディネートしています」
 まだ義務教育段階。課題解決のための探究のプロセスを“身につけさせたり”、情報の取捨選択の視点を“与えたり”、学び方を“教える(気づかせる)”ことが、教師の重要な役割だろう。中学校時代は、生涯にわたって学び続けるための基礎を身につける時期だ。
 今回は、学びをサポートするために3種類の学習カードを用意した。
 学習カードAは「資料Aを読み取ってみよう――①資料Aから、新潟町(湊)が栄えた理由をチャート図(言葉を矢印や丸などを使って簡単にした図)にして表してみよう。②新潟町(湊)が栄えたことが『新潟町の人口が増えたこと』とどう関係しているのか」。
 資料Aは「新潟湊の移入高・移出高割合の円グラフ」「『新潟は西廻り・東廻り航路、北国海運、信濃川・阿賀野川水運など、多くの自他国廻船が出入りした』という文書」「河川が示された新潟県の地図」の3点。
 学習カードBは「資料Bを読み取ろう――①資料Bの1~3は、それぞれどんなことを伝えようとしていますか? 分かりやすく説明しよう。②資料Bが『江戸時代の新潟町の人口が増えたこと』とどう関係しているのか。資料Dと比べてみよう」。
 資料Bは「越後国の米生産量の棒グラフ」と「新田開発」「大名は年貢米を販売してお金に換えていた」と米に関係する文書2点。Dは地図(越後国の地形・位置の特性)。
 学習カードCは「資料Cを読み取ろう――①資料Cは何を表そうとしていますか? ②敦賀・酒田・新潟はすべて西廻り航路に位置付いているが、敦賀の人口は減っているのに、新潟・酒田が増えているのはなぜだろう?(他の資料や地図帳を比べてみよう)」。
 資料Cは「日本地図に描かれた船運ネットワーク」「年貢米を大坂や江戸に運ぶ海上航路の整備についての文書」「北前船の説明」。
 米、航路、地形、大名の経済活動などキーワードから大まかに要因が想像できるが、PISAの読解よりも手強そうだ。まして、アプローチの視点やこれら資料を、生徒たちが自力で手に入れるのは困難だろう。
 A~Cのどれから手をつけてもいいし、協働もOK。全部クリアしたらまとめ(課題への考察)を書く。こういう学習だ(あくまで白新スタイルのマイプラン学習)。

生徒から歓迎のコメントも

 この授業(10月)の1か月後、再び白新中学校を訪れたのだが、小林教諭はマイプラン学習の「まとめ」を書いておられた(こういうものを全教職員で共有する)。学習者の感想と授業者の感想を引用させていただく。
 学習者の立場に立った学び方のはずだが、生徒たちの評価は芳しくない。“先生が教える普段の授業”とマイプラン学習を比べると、圧倒的にふだんの授業を支持。授業者の意図が学習者に伝わるには、時間差がある。
 自由記述でも「計画的に進められなかった」「先生が教えてくれたほうが、効率がいい」「先生の授業のほうが理解しやすい」「発言しながらの授業のほうがよい」「楽しさは授業のほうが上」といった回答は多い。
 でもそんな中にも、「友達と一緒にやれるから、お互いに質問を見つけて何度も先生に聞きにいって理解を深めることができた」「1回目より早め早めに学習を進めることができた」「いろんな出来事を関連づけて説明できるようになる。定期的にやってほしい」「自分のペースでできたから置いていかれることもなかった」という感想も見られた。
 まだ「学習者に認知された」とは言い難いが、少数派であってもこの学習スタイルのよさを感じた生徒がいたのは事実だ。学習カードにはしっかりした考察も書かれていた。
 では、授業者はこの声をどう捉えたのか。小林教諭は、次のように書いている。
「生徒にとってはほとんど経験したことがない学習であるので、これまでのほうがいいと感じることは理解できる。そして、“これまでの授業が楽しいからいい”と答えてくれる生徒がいるのは、授業者としてはうれしいことである。しかしながら、それによって受身でいることが楽だと感じる生徒を育成していたとすると残念なことである。
 どちらの学習にもプラスとマイナスがあり、どちらか片方だけをやっていくのではなく、どちらの学習も行っていくことで、育成したい生徒の姿に近づくと考える。そのために、これからも年にいくつかの単元で、マイプラン学習を取り入れていきたい」
“あえて取り入れる”。これが授業者の思い。単にその思いに応えてくれるのではなく、学習者からも「もっとこうしたい」と改良の提案があがってきて、自分たちで学習のスタイルをつくっていきたい。それも「知性の高い生徒になる」ための過程だ。

文学の楽しみ方の一つの視点

 二つ目は国語の授業で、授業者はUDLチーム。この授業そのものがUDLということではなく、この授業の延長線上にUDLが登場する。
◆国語科・藍澤まき子教諭(UDL)
【単元名】3年生・いにしえの心を受け継ぐ「古典『君待つと』『おくのほそ道』」(11時間)
【単元で目指す深い学びの姿】『君待つと』和歌の表現のしかたについて評価し、効果的な伝え方について自分なりの考えをもつ姿/『おくのほそ道』本文や資料を根拠に芭蕉の人物像やものの見方や感じ方を、自分の言葉で説明する姿

『君待つと』(和歌)が第1~5時、第6時からが『おくのほそ道』で、授業は9時間目。本時の学習課題は「芭蕉はどんな人物で、どんなものの見方や感じ方をしたのか?~本文や読み比べ資料を根拠に説明しよう」。
 実は、第7~10時は、同じ発問(どんな人物? どんな見方・感じ方?)と指示(根拠を明らかにして自分の考えを説明する)を続けていた。そのためどの生徒も「今日は何をすの?」と迷わない。これが授業UD。
 一方、根拠を探す対象を“本文のみ”、“本文と引用”、“本文と他の資料”と教科書を中心に用いながら段階的に練習してきた(目的意識をもって教科書を読む)。このことにより教科書以外の資料を読む際に、生徒はどこを読み、根拠をどこから(どの部分を読むか+本文だけか、読み比べるか)探すか、自分にとっての資料の難易度などを選択できるようになる。これがUDLにつながる。
 生徒たちは芭蕉(おくのほそ道)、曾良(曾良旅日記)と一緒に旅をしながら、芭蕉の人となりを探っていく、そんな単元だ。旅人たちは今、平泉に到着、授業は中尊寺からスタートする。
 前述した学習の確認をしてから、平泉の後半を藍澤教諭が範読。
「かねて耳驚かしたる二堂開帳す。……五月雨の降り残してや光堂」
 久しぶりに聞く古文の語感はいいものだ。生徒は範読を聞きながら原文にふりがなをふり、今度は班(3~4人)で音読。彼らの手で文化遺産として大切に残してほしい。
「このあとは、いつもどおりだと何をしますか? 文章から芭蕉の人物像を考えていくので、『ここからわかるんじゃない?』という個所に線を引いて、班で話し合ってください」
 資料と対話し、生徒同士で対話する。
「予想できた人いますか?」との問いに、挙手した生徒が「奥州藤原氏が大好き。やけに褒めている」と答える。前時までに「芭蕉は(源)義経“推し”」という共通認識も生徒にもたれていた。こんなふうに芭蕉の人物像を学級で肉づけ、色づけしていく。

芭蕉を語れる中学生になろう

 ただ、この部分は二堂の説明がメインで、人物像はつかみにくい。そこで藍澤教諭は“比べ読み”を提案、資料の「曾良旅日記」を範読した。「……経堂は別当留主ニテ不開。……」
 二堂とは光堂(金色堂)と経堂。
 生徒は「曾良は感情が入らず、記録。メモっぽい。芭蕉はポエマー」と両者の違いを挙げる。なんとなく核心をかすめる。
「内容の違いに気がついたことはありますか? 圧倒的な違いが一つあります。みんなで言ってください」
「芭蕉は、二堂が開いてると書いた。でも曾良は、経堂は開いてないと書いている」
「これ、芭蕉さんが嘘を書いたことになります。なんのために事実と違うことを書いたのか、想像しながら班の人と話してください」
 生徒からは「話をおもしろく(脚色)して、読む人を楽しませたかったから」といった答えが出てきた。『おくのほそ道』の最初の時間の作品についての調べ学習で、「紀行文だけど、ところどころ事実でないことも書かれている」ことをつかんでいた生徒もいた。
 このことから「いい作品をつくりたいと考えてきた人」という人物像が加えられた。
 続いて新潟での芭蕉の行動が取りあげられた(越後路)。さらに「芭蕉は新潟が嫌い」「子どもっぽくてて、根にもつタイプ」といった人物像が加わる。
 ここまでに課題や学び方を全員で十分に共有してきた。
「違う場所を見ると違うことがわかる。今日から新しいところをやります」と示されたテーマが「中学生が語る 人間・芭蕉」。
「芭蕉を語れる中学生は、日本全国にほとんどいないと思います。ぜひ挑戦して!」
「ポエマー」とか「義経推し」と言っていた生徒たちの学習が、いきなり「荒海や佐渡に横とお天の川」並みに雄大になった。そして、ここにUDLが登場。
 藍澤教諭が提示したのは「A旅立ち」「B遊行柳」「C白河の関」「D大垣」の4か所。それぞれ「おくのほそ道」原文と口語訳及び「曾良旅日記」原文がセットで、☆の数で難易度が示されている。
「地図や写真からおもしろそうだなと思ったものを選んでもいいし、文章が長いから挑戦しようでもいいし、好きなものを選んでください。いくつやってもいいです」
 次の時間からこれに取りかかる。
「一人でやってもいいし、行き詰まったら、友達に相談してもいいです」
 次の時間を待たず、さっそく男子3人が何か真剣に論じ始めた。

選択できることが楽しそう

 授業後、藍澤教諭にUDLについて伺った。実施するのは今回で3回目。「スタートはしましたが、迷いながらやっています。まだまだこれからです」とおっしゃる。生徒たちにも「選べるのはいいけど、どう選べばいいの?」と戸惑いがあったそうだ。「こうあるべき」というやり方はあるのだろうが、現在は“この考え方を取り入れた授業づくりにチャレンジ”と理解しておく。
 生徒たちの仮選択は(タブレットで一覧できる)、Bが最多でCが4人。Bは文が短く、Cは難易度が高い。さて、その選択は正しかったのかどうか。
 授業でも説明があったが、一人で考えてもいいし、友達と学び合ってもいいし、先生から授業のようにヒントをもらいながら進めてもいい。学び方も選択できる。
 芭蕉の人物像を見つけたら、同じ資料を選択した同士で「どこに線を引いたの?」「こういう感じの人」と交流する。次いで、ワールドカフェによって「Cの人はこう言っていた」と、他の資料からはどんな人物像がつかめたのかを全体で交流して学びを広げていく。
「そういうことをやって、『芭蕉はこういう人だった』と説明してもらいます」
 慣れると生徒には好評らしい。
「一つの学び方を押しつけると“やらされている感”をもちますが、二つでも三つでも選択肢があって自分で選べると楽しそうですよ。『ほかのやり方があればオリジナルでもいいよ、でもゴールはここ』と言ってあります」
 ただし、さぼっていたら、「自分で選んだのに、どうしてやっていないの?」と“責任”を問われることになる。選択には責任が伴うことを実感するのも大事な学び。
 当然、振り返りはしっかり行う。
「選んだ資料や方法が合っていたか、次はどうするかを振り返ります」
 生徒と一緒によりよいものにしていく。
「学ぶ子どもの視点に立った」授業改善が進められている。でもそれは、教師が子ども個々に合った学習環境を提供すること以上に、子どもたち自身を学習者として自立させるという意味なのではないか。その自覚を促す手立てがマイプラン学習であり、UDLであり、授業改善であり……。あまりなじみのない学び方をまとめながら、そんなことを思った。

人々との出会いを振り返る

◆総合的な学習の時間(学年総合)・坂井友紀教諭(地域連携)
【単元名】3年生・4ターム「卒業発表会」(17時間)
【単元で目指す深い学びの姿】これまで過ごしてきた日々を振り返り、自分が成長したことを実感する/自分が成長した場面では、苦しいことを乗り越えようとしたり、他者と関わり自分では気づけないことに気づいたりしていることが分かる/卒業直前期に、自分の成長やこれからの自分が「~したい」などの決意を、エピソードを交えて語ることができる/聞き手の気持ちを考え、スピーチの構成を工夫することができる。

 単元は、オリエンテーション→①成長を振り返る→②「自分の成長」を表現する→③卒業発表会を企画・運営する→④まとめ・振り返りで構成されている。
 本時は全体の2時間目。学習課題は「これまで出会った人の中で印象に残っている人は、自分の中でどういう存在か」。
 1年生の「身近な地域」、2年生「働く」、3年生「地域課題解決学習『SDGs』」が1~3タームで、この4ターム(11月~)は中学校生活の締めくくり。入学時からずっとコロナ禍での中学校生活だったが、前述したように主な行事や活動は経験できていた。
 この日は2コマ続きで総合を設定(全学年)、1コマ目では3年間の活動を動画などで振り返るオリエンテーションが行われた。生徒たちは総合や他の活動で出会った人々を思い出しWS(ワークシート)に記録していた。

インタビュー形式で引き出す

 授業ではまず、出会った人々の中から、自分が特に印象に残っている人を3名選び、理由をつけてロイロノートに書き込む(この間、珍しく無言)。挙手により3名が発表したが、どの生徒の発言の中にも職場体験で出会った人の名前があった。卒業が近づき、漠然とでも「将来、自分はどんな仕事をしているのだろう」という思いがよぎるのか。
 次に、「今まで出会った人は自分にとって影響があるのだろうか?」と書かれたWSが配られる(「印象に残っている人→どんなところが印象に残っている?→なぜそのことが印象に残っている?→自分が受けた影響は?具体的なエピソードは?」を記入)。自分で書き込むのではなく、ペアをつくり、互いにインタビュアーになって相手から引き出す(掘り下げる)。そういう方法がとられた。
 始める前に、相手の話を共感しながら聞くための“あいづち”の練習。ここまで生徒たちがあまりしゃべっていなかったので、“声だし”も兼ねる。「うんうん」「わかるわかる」「そうなんだぁ」「だよね」「それで、それで?」……大声が響いてインタビューが始まった。
「印象に残っている人は?」「うーんと、新潟市役所の……」「アドバイスも受けた?」
 FTや授業中の対話を通して「話ができる」という空気をつくってきた3年間だ。
 インタビューを書き込んだWSを相手に返す。返されたWSを読みながら、「その人は自分にとってどんな存在なのか」を書き込む。ここも、挙手で数人の思いを共有した。
「人と出会い、学んできたことに価値があったなと気づいてもらえたら、先生たちもうれしいです」
 コロナ禍でも、生徒たちが人と出会う機会を閉ざしてしまわなくてよかった。
 次時では授業の中でどんな成長があったのかを振り返る。教師たちは、楽しみであり、ちょっと怖くもあり。
 同じ時間帯に1年生は、新潟市民芸術文化会館の公共劇場専属舞踏団(Noism)のリハーサル監督・浅海侑加さんと舞踏家たちを招いて“出前授業”を受け、その生き方や高度なパフォーマンスにふれていた。同劇場は学校から歩いて15分。地域連携は継続中だ。

(後編へつづく)